第24話
雨が降り出す前にたどり着いた小さな家を、キースは隠れ家だと言っていた。深くは聞かなかったけれど、ここが訳アリな家なのを何となく察する。
「……はぁ」
気持ちが悪い。喉が渇いて、指先が氷のように冷たい。でもだからと言って発熱しているのかと思えば、そうでもなかった。逆に体温が下がってるような気がする。
「本降りになる前に水を汲んでくるから、お前は休んでおけ」
「……ん」
そう返事はしたものの、どこか遠くで私以外の人と話をしているんだと錯覚を起こしていた。耳からクワンクワン変な音がして視界が歪む。思わず座り込んでしまったら、もう立ち上がることが出来なくなっていた。
喉が乾いて仕方がなくて、キースが調達した水袋を勢いよく呷った。だけど中身が入っていない。
「……喉がかわいた……、水が、飲みたい……」
擦れた声で、誰に言うでもなく呟いた。そしてズルズルと身体が傾げ、力なく床に倒れ込んだ。指一本も動かすことが出来なかった。
頭はずっとぼうっとしている。考えないといけないことは沢山あるのに思考が定まらない。瞼が開けていられない。狭くなっていく視界の中、女の人が私を上から覗き込むようにして窺っているのが分かった。
「……だれ……?」
顔が見えない。それは視界が歪んでいるから判別がつかないの。耳もとで小さな声が聞こえる。
────ねぇ、どうして助けてくれなかったの?
「……え?」
────ねぇ、どうして、助けて、くれなかったの?
それは聞き覚えのない声だった。でもどこかで聞いたことがあるような気もした。
────ねぇ? いま、どんな気持ち?
苦しい。気持ち悪い。水が飲みたい。
────ねぇ? いま、どんな、気持ち?
怖い。泣きたい。辛い。
「……誰か、助けて……」
────私を、助けてくれなかったのに。
「あ、なたは……だれ?」
────あなたは、だあれ?
ハッと意識がクリアになったのは唐突だった。先ほどまでの酩酊状態は一体なんだったんかと思う程に、身体が軽く、頭も視界もはっきりとしている。そして気付いた。
「なぜここに……?」
私はキースと一緒に隠れ家にいたはずだ。それなのに、なんで屋敷の半地下室にいるのだろう。
埃と微かにすえた臭い。四方は壁で阻まれ、天井近くにある小窓からしか光がはいらない。唯一出入りが可能な扉は頑丈な鍵が掛けられているのは知っていた。だって私はそのドアノブが回る度に怯えていたのを覚えている。
だけどそんなはずはない。私がここに居る訳がない。そう思うのに、私にはこの部屋を出た時の記憶がなかった。
ぞくっと背中に流れる悪寒。無意識に唇が震えていた。
「あぁ、そっか。これは夢だわ」
リアルな夢。決して現実ではないのだ。怖がる必要なんてない。そう私はホッと胸を撫でおろした。
────なぁ、今どんな気持ちだよ?
「……っ!」
再び聞こえて来た声に心臓が飛び跳ねた。今度は女の声ではなく、男の声だ。
────ほら、しっかり見てみろよ。あんたの罪がそこにいる。
ひゅっと喉が鳴った。さっきまでは誰もいなかった室内に突然現れたのは、ボロボロのメイド服を着た女性。力なく床に横たわり、顔だけを私に向けている。
「……ぁ」
私はこの女性を知っている。この部屋で一緒に捕まっていたあの女性だ。
────あのメイドがこんな目にあったのは、あんたのせいだよ。
「……それは違う」
私のせいなんかじゃない。自業自得とは言わないけれど、あのメイドは自分から嘘の証言をして王宮から逃げたしたのだ。
────でも、その行動の発端はあんただ。
「違う!」
私に責任を押し付けないで。彼女があんな目にあったのは私の責任じゃない。
────絶望だよなぁ。これからの人生終わったも同然だよなぁ。
「そんなことない!」
生きてさえいれば、人生には終わらない。その先を望むことだって出来る。
────殺してやれば良かったのに。そうすれば、あんたの罪は消えた。そうだろう?
「違う、違う、違う!」
死んでほしいなんて思っていない。もし本当にこれが私の罪だというのなら、消えて欲しいなんて烏滸がましい。罪ならば償うべきだ。
────自分は正しいと正論をかざして、過ちを隠したいんだろ?
「違うってば!」
────うそつき!
メイドの彼女がカッと目を見開いて、身動き一つせずにそう叫んだ。
「あ……」
次の瞬間には男の声もメイドの姿もいなくなり、半地下牢から貴族街の屋敷に一室に場面は変わっていた。
息が苦しくて、ひどく喉が渇く。
────マーシャなんか、もういらない。消えて?
「……っ、マイ、ラ様?」
背後に現れたマイラ様は冷たい瞳で私を見ていた。
────あの期待外れにもう用はない。消えろ。
「あ、陛下……」
マイラ様の隣で、同じように冷たい瞳で見下ろされる。
────あんな役立たずに興味はありませんよぉ。消えてくれますぅ?
────すこし優しくしただけで勘違いされても困ります。目障りです。消えて下さい。
「マリィ……、ライニール様…っ」
止めて。この人達がこんなことを言う訳がない。
────本当に?
姿の見えない声が私の不安を煽る。
────そう思いたいだけなんじゃないの?
「そんなことない……」
心から私が信用している人達だ。こんな酷い真似はしない。するはずがない。いつの間にか私を四方から取り囲むようにみんなが私を見下ろしていた。
────消えて?
────消えろ
────消えてくれますぅ?
────消えて下さい。
「止めて!」
凍えそうな冷たい視線と声が降り注ぐ。現実じゃないとわかっていても、彼らの口からそんな言葉を聞きたくない。
私は耳を塞いで彼らを押しのけて逃げ出した。それなのに、私を否定する声が耳から離れない。消えろ、いらない、役立たず、期待外れ。興味がない、とそう責め立てるのだ。
「止めてってば!」
とうとう私の瞳は決壊した。次から次へと溢れ出す涙は、もう自分の意思では止められそうにない。
────ねぇ? どうして私を助けてくれなかったの?
「私は助けたかった!」
────自分が間違っているなんて、思いたくないだけだよな?
「私は間違ってない!」
────マーシャなんか、もういらない。
────期待外れだ。
────興味ありません。
────勘違いも甚だしい。
「だから止めてよ!」
声を振り切るようにがむしゃらに走る。耳を塞ぎ、涙で前は見えない。どんなに逃げても振りほどけない声に、プツンと私の中の何かが切れたような音がした。走っていた足がとまり、膝から崩れ落ちた。
そんな私に近づいてくる人影。力なく見上げると、ダグラス様が剣を掲げている。
────俺の目のまえから、永遠にいなくなってくれ。
「いやぁぁぁあああああああああ‼‼‼‼」
そして振り下ろされた剣は、私の身体を真っ二つに割った。




