第21話
「うそ……」
なんで、と小さく呟く。
口元を布で覆い顔を隠してはいる。しかしフードが外れ、月明りの下ではっきりと浮かび上がった髪は血紅玉色。
「キース……殿」
なんてことだ、なんてことだ、なんてことだ。騙された、私はそう思った。でも直ぐにそれはどこから騙されていただろう、と疑問が沸いた。
最初から殺すつもりなら、なぜ危険を省みず崖から飛び込んだのだろうか。そのまま見捨てれば、私は間違いなく死んでいた。それなのにわざわざ助けた後にもう一度殺そうとする訳はどこ? そして私がクワンダ国近衛隊に命を狙われる理由は?
「あ…、貴方は何者です。キース・ミラー殿ではないのですか?」
まず頭に浮かんだのは、キース殿がクワンダ近衛隊ではないということ。だが彼がクワンダ国近衛隊でないというのは、あの紅蓮の隊服と紫色の飾り紐を見る限り考え辛い。
では本物のクワンダ国近衛隊なのだろうか。そうだとすると、クワンダ国が特例親善大使の命を狙う理由は何だ。真っ先に思い浮かぶのは同盟の破棄、つまりは宣戦布告だ。でも戦争をする意味がグラン国とクワンダ国の間にはない。グラン国王妃のマイラ様はクワンダ国女王の妹であることから、それを無視してまで戦争を仕掛けるとも思えない。ましてや、クワンダ国女王のことを私はよく知っている。あの人がそんな生産性のない真似をするとは到底思えないのだ。正しい答えはどこだろう。考えても答えは出ない。
「はっ、それは俺の台詞だ」
「え……?」
それはどういう意味だろう。理解が出来なかった。
「何の目的があってクワンダへ入国した?」
ますます解せない。私が特例親善大使としてクワンダ国へ入国したのは彼も知っているはずなのに。
「申し訳ないのですが、仰っている意味が分かりませんわ。私が入国した理由など今更でしょう?」
グラン国とクワンダ国の親睦の為以外に何の目的もない。
「惚けるな! 貴様がグラン国特例親善大使マーシャリィ・グレイシスではないことは、とっくに分かっているんだ! さっさと白状しろ!」
「………………は?」
私がマーシャリィ・グレイシスではないと? え? それは何て言う勘違い??
「あの…、それは一体…??」
危機的状況だというのに、更に混乱して来た。本当によく分からない。
「いい加減にしろ。いくら惚けた所で貴様のような小娘が、女王陛下からの覚えがいいマーシャリィ・グレイシス嬢を騙れるものか。恥を知れ!」
「………………………」
思わず呆気に取られてしまった。マーシャリィ・グレイシスは間違いなく私のような小娘ですが、何か?
「いいか。マーシャリィ・グレイシス嬢はな、貴様のような小娘ではなく、れっきとした大人の女性だ!」
「……はぁ」
何を言っているんだ、この人。
「まだしらを切るのか。仕方がない、よく聞け。マーシャリィ・グレイシス嬢は、我がクワンダ国ではその類稀なる聡明さで女王陛下をお助けした、いわば恩人的存在だ。先見の明があり、冷静沈着であり、観察眼が鋭く、才女と呼ばれるに相応しい女性なんだ」
私の命を握っている相手に、なにか凄い褒められている。
「それだけじゃない。女王陛下は仰っていた。彼女はその才能に溺れることなく惜しみない努力が出来る人間だと。また幼かった陛下の妹であらせられる第二王女を預けるに相応しい心の温かな人なのだと、そう褒めていらっしゃったのだ。あの女王陛下が、だぞ」
「………………………」
「化粧で年齢を誤魔化していたようだが、俺様の目は誤魔化せん。貴様のような貧弱で、小賢しい真似をする小娘が、そのような素晴らしい女性を騙るなんて、烏滸がましいにも程がある。いい加減に諦めて白状するんだ!」
えーーーーーーーーー?????
「………………………はぁぁあああぁ」
これはもうどうしたらいいんだろう。褒めた口で思いっきり下げられたよ、私。口からは盛大なため息しか出てこない。全身脱力である。
首元に剣があるという切迫した状況なのに、私の中にある感情は呆れ。さっきまであった恐怖感は良く分からない誉め言葉でどこかに消えて行ってしまった。
「おい、なんだ、その態度は」
いやいやいや、それはこっちの台詞である。私は佇まいを直し、地面の上で正座をして男を見上げた。
「まず、お褒めのお言葉をありがとうございます、とでも言いましょうか」
その誉め言葉はよく分からないものばかりで、すっごく微妙な気分に陥る羽目になったけれど、マーシャリィ・グレイシスを褒めてくれたことには変わりはない。
「まだ言うか、貴様は」
私をマーシャリィ・グレイシスと信じないと、そういう反応になるのね。うんうん、分かるよ。でも私が本人なんですよ。
「はぁ……。再度お尋ねしますが、貴方はクワンダ国近衛隊キース・ミラー殿でお間違いないのですか?」
「何を今更。俺様は俺様以外の何者でもない」
一人称がおかしい。俺様って、ねぇ? どんだけ自分に自信を持っているのだろう。今まで見たことのない人種だ。
「では、クワンダ国がマーシャリィ・グレイシスの命を狙っている訳ではないのですね?」
今の話を聞く限りでは、そう解釈できる。あくまでもマーシャリィ・グレイシスを騙る偽者に剣を突き付けているのだからね。
「そんな必要などどこにもない。彼女は俺様が守るべき存在だ。命を狙う者がいるのなら、俺様が叩き斬る」
「………」
その守るべき存在である私の喉元に剣の刃を当てているのは、まごうことなく俺様である。もう失笑ものである。どうしたら、私がマーシャリィ・グレイシスだと理解してくれるのか。
「よろしいですか、キース殿。貴方はマーシャリィ・グレイシスの容姿はご存じないようですが、さすがに聞いたことくらいはありますわよね」
ちょっと思い出して、目の前にいる私と見比べてみて下さいよ。
「当然だ。彼女は向日葵色を纏い、その華奢な身体は触れるだけで折れてしまいそうな嫋やかな大人の女性だと聞く」
あははははは。もう乾いた笑いしか出てこない。残念ながら、合っているのは向日葵色という所だけ。それも良く言えばであり、実際は金髪になり損ねた黄色である。私は意地でも明るめの栗色だと言い張っているけどね。しかも触れたら折れそうな華奢とか、さっきは貧弱とか言われましたけども? 嫋やかは別としてだ。大人の女性って、小娘呼ばわりされた私は正真正銘25歳の大人の女性である。これは若く見られたことを喜ぶべきか、悲しむべきか。いや、ここは情けなく思う所だ。
本当にどうしよう。クワンダ国での私は随分と美化されていて、このままでは本物だと信じてもらえなさそうだ。
「……よく分かりました」
「ようやく白状したか、ふん」
「違います。そうではありません!」
私が理解したのは、どうあがいて私が本物だと信じてもらうには、材料が少なすぎるということだけだ。なら、発想を逆転させたらどうだろう。
「キース殿。私は自分をマーシャリィ・グレイシスだと証明する術を持ち合わせておりません。ですが、貴方も私が偽者だという証拠は持っていませんよね。今おっしゃったことは全て貴方の主観的な意見だけですもの」
「……ぐっ」
間違った確証を持っているようだけど、確固たる証拠はないものね。
「もし、キース殿が間違っていたらどうします? クワンダ国近衛隊士が同盟国の特例親善大使に剣を向けているのですよ。それはどういう意味に捉えられるのか、さすがに分かりますわよね」
グラン国代表をクワンダ国女王付きの近衛が殺害してしまったら、大問題も大問題だ。彼一人の責任では済まされない事態となるのだ。
「……俺は貴様をマーシャリィ・グレイシスとは認めん」
頑なだな、もう。
「認める、認めないの話ではございません。私が嘘を吐いているのか、キース殿が間違っているのか、それを証明する術はお互いに持ち合わせていないのですよ。ならやるべきことは一つでしょう!」
「はぁ?」
なんて察しの悪い。顔だけではなく能力もあり頼りになる人で良かった、なんて思っていた昨日の私を殴ってやりたい。実際はとんだ自信過剰な勘違い男だった!
「私と貴方のどちらが正しいのか証明するには、当初の目的通り、グラン国一行と合流するのが一番です。違いますか!」
あー、もう、イライラする! この話の通じない感覚、覚えがあるなぁ。なんか脳内お花畑な人とお話ししているような気分。もう面倒くさい。お願いだから納得して。我が儘言わないでよ、お願いだからぁ。
「……」
何か言って。でも否定とか拒否とか聞きたくない。
「良いだろう。そこまで言うのなら、譲歩してやらんこともない」
心の中では『やったー!』と歓喜の声を上げた。良かった、話が通じた。
「だが、いいか」
何よ。納得したなら剣をしまって欲しい。
「貴様が少しでも怪しい真似をしたら、直ぐにでも斬る。問答無用でだ」
ここまで言っても、少しも私が偽者だと信じ切って疑わないのね。その根拠のない自信は、結果がでれば叩き折られるのに、残念極まりないな、この人。いっそ哀れに思えて来た。
「良いでしょう。貴方にその覚悟があるというのならそうしなさい」
その覚悟とは、グラン国とクワンダ国の同盟にひびを入れる覚悟があるなら、という意味ですよ。
「ですがその場合、貴方一人の命で済むとは思わないことですね」
でもそう簡単に殺されたくはないからね、釘は刺しておく。キース殿の行動一つで沢山の命が失われるかもしれないのだ。そこの所をしっかり自覚して貰わなければ。
「小賢しい小娘だ…ふん」
ははは、その小賢しい小娘は、貴方が盛大に褒めたマーシャリィ・グレイシスですよ、ばーかばーか。




