表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

101/132

第18話

 そうこう過ごしている間に、クワンダ国王都まであともう少しという所まで旅路は進んでいた。


「なにかキラキラすると思ったら、川が崖下を流れていますのね」

「えぇ、そうです。この川はしばらくすると海に繋がる河口があるのです。そこまで来たらクワンダ国王都は目と鼻の先ですね。ご令嬢は海を見たことはありますか?」

「いいえ。わたくしはグラン国王都から出たのは初めてですわ。なので海に面したクワンダ国を訪れるのを、とても楽しみにしておりますのよ」

「それは貴女のような麗しいご令嬢の初めてをご一緒出来るとは大変光栄ですね」

「まぁ、書記官様はとてもお口がお上手ですのね」

「いやいや、これは私の正直な想いを口にしたまでですよ」


 あははは、うふふふ、な会話が展開されているが、もちろん女性は私ではない。シエルと我が兄の会話である。


「……私のシエルを口説くなと言ったでしょう、この女たらしが」


 と、手を頭上に伸ばして兄の顎を掴んで言った。なぜ頭上に兄の顎があるのかって? それは私の頭が兄の膝にあるからだ。


「具合の悪い妹に膝を貸してやっている優しいお兄様に何すんだ、妹」


 そんな私の手を払いのけた兄は、面倒くさそうにそう言った。


「何すんだ、じゃなくて、お兄様は私の枕になっていればいいのよ。余計な口は開かないで結構……うっ…」


 お、おぅ、馬車が揺れる度に気持ち悪い。


「お前こそ俺たちの語らいの邪魔せずに大人しく目を閉じておけ。顔色がひっどいぞ」


 なら口説くの止めて。私はバウワー伯爵家からご令嬢をお預かりしている身なのよ。兄と言えども変な虫を付ける訳にはいかないでしょう。監督責任があるのだよ、兄よ。


「マーシャ様。私のことはお気になさらずお休みくださいませ。それにこのくらいの軽口に変な気は起こしませんわよ。安心して下さいませ」


 と、にっこりを微笑むシエル。大変呑み込みが早くてよろしい。だが本当に大丈夫なの? 私の兄だからと遠慮しないで、嫌なものは嫌と言っていいのよ?

 そう私が言いたいのが分かったのだろう。


「いたっ!」


 兄が私の額を指ではじき、それを見たシエルは淑女らしい笑い声を立てた。


「本当に仲が宜しいのですね。私には兄妹がおりませんので大変羨ましゅうございますわ」

「いやぁ、まだまだ子供のような妹ですのでね、兄としては心配でならないのですよ。シエルリーフィ嬢のように美しく羽化するのはまだまだのようです」


 はははは、と自分の株を上げようとしているのが見え見えな兄である。子供のようって、シエルより一回り近く年上なんですけど? デレッデレの兄の情けないこと、情けないこと。妹の私が恥ずかしくなってくる。


「ふふふ、本当に楽しいお方ですね。マーシャ様が子供のようでしたら、私なんてケイト様から見たら赤子ですわ。あまりにも良くしてくださるから、私もお兄様が出来たみたいだと嬉しく思っていたのですけれど、もしかしてお父様のようだと認識を改めた方が宜しいかしら、うふふふ」

「…っ…は、はははは。そんなまさか、ははは」


 あ、笑って誤魔化してたけど牽制されて撃沈したわ、お兄様ってば。わはは、ざまぁみろ。もしかしたらシエルの対男性スキルは私より高いのかもしれないわね。お見事。

 口には出さず胸の中で大笑いしていると、ひときわ大きく馬車が揺れて、兄の膝から頭が落ちそうになった。


「おっと…っ、なんだ?」


 危うい所を兄が支えてくれて無事だから良かったものの、不自然な馬車の揺れに私は身体をゆっくり起こした。

 馬車はゆっくりと速度を落とし、とうとう足を止める。


「……前方が騒がしいわね」


 少し先から聞こえる多数の声に、ザワリと身体に寒気が襲った。


「様子を見てくる。お前たちはここから出るなよ。いいな」


 兄がそう言って馬車を出て行こうとしたのを、私は咄嗟にローブの裾を握って止めた。


「待って。もし前方に何かがあったとしたら書記官のお兄様が行っても危ないだけよ。外には護衛の騎士がいるんだから、大人しく待っていた方がいいわ」

「何か、ってまさか賊が襲ってきたとでも言う気か? 王都も近いのにそんなに治安が悪い訳ねぇだろ」

「そうですわ。こちらの予定は知らせてあるのですから、きっとクワンダ国からの使者ではないでしょうか。あちらの騎士が護衛に加わるというお話でしたでしょう?」

「そ…うね」


 私が気にし過ぎているのだろうか。兄もシエルもそんなに心配することはない、と言うが、胸を騒がす嫌な予感は収まらない。


「いいから、お前は待ってろ。な?」

「分かったわ。でも気を付けて行ってきてね」

「おうよ。お前の兄はこれでも喧嘩慣れはしている方だ。心配するな」


 喧嘩慣れしている書記官ってどうなんだろう。しかも喧嘩慣れはしていても決して強くはないのに。


「大丈夫よ。貴女はもう一度横になって休んで。顔色が本当にひどいわ」


 兄が居なくなると口調ががらりと変わるシエルが、心配そうに私を窺ってくる。


「ありがとう。だいじょ…っ!」「‼」


 大丈夫だと口にした時に遠くから聞こえた悲鳴。そして剣撃に私とシエルは顔を見合わせた。


「まさか…」

 信じられない、とシエルは言った。私も同じ思いだった。本当ならこんなことは起こってはならない。クワンダ国王都に近い所で同盟国の親善大使が襲われるなんてあってはならないのだ。その為にクワンダ国だって慎重に治安を正していたはずなのに。

 近づいてくる馬の足音、そして外から騎士の声が私たちに向けて掛けられた。


「山賊です。ですが心配はいりません。直ぐに鎮圧いたしますので、親善大使殿はこちらでしばしお待ちください」

「……分かったわ。それと兄が出て行ってしまったの。保護をお願い」

「承知致しました」


 そして遠ざかる騎士。もちろん周囲には他の騎士が護衛をしてくれている。私たちの心配はいらない筈だ。けれど、他の留学生たちはどうなっただろう。兄は無事だろうか。ノア様たち文官達は。心臓の音が酷く五月蠅く感じる。けれど動揺しては駄目だ。私が狼狽えると、同乗しているシエルが怯えてしまう。


「大丈夫よ、シエル。我が国の騎士は決して弱くない。直ぐに鎮圧するわ」


 シエルの手を取り、私はそう言った。


「……そうですわね。あの屋敷の時も一瞬でしたもの。なんの心配もいりませんわ」


 手を握り返してくるシエルは微かに声を震わせながらも気丈にもそう返してきた。やっぱり見込んだ通り肝が据わっている。

 息を潜めて周囲の音に耳を澄ましていると、少しずつ斬撃が収まっていくのが分かった。


「…ほら、やっぱり我が国の騎士は優秀だわ」


 聞こえてくるのは騎士達の整然とした声。そして制圧されたであろう山賊の往生際の悪い怒鳴り声だ。私とシエルはホッと息を漏らし、全身の力を抜いた。だが、その直後だ。


「おいごらぁ、てめぇ何しやがんだ‼‼‼」

「っ!」


 聞こえてきたのは山賊の抵抗する声ではない。兄の怒号だ。それに身体を強張らせた瞬間、騎士の慌てた声と馬の嘶きが。何が起こったのかと把握する暇などなく、私たちを乗せた馬車は大きな音を立て走りだした。

「きゃあ!」

「シエル、しっかり馬車に摑まって!」


 男性の叫び声とドサッという地面に叩きつけられるような音。馬車が暴走して御者が振り落とされたのだと気付いた。


「マーシャ‼‼」


 外から兄の私を呼ぶ声が聞こえるが、大きく揺れる馬車ではどうすることも出来ずに、微かに小窓から見えた兄の姿が遠ざかっていく。

 御者がいない馬車を私に止める術はない。ガン、ガタタン、とけたたましく馬車は揺れる。その度に私たちに大きく負荷がかかり、少しでも気を抜けば身体が叩きつけられそうだ。


「シ、エル、耐え、るの、よぉぉ!」

「わか、って、います、わぁぁ!」


 私もシエルもお互いに鼓舞し合うように叫んだ。一瞬でも気を抜けば、ただでは済まない怪我が待っている。もしかしたら命さえ失いかねないのだ。助けが来るまで必死に耐えるしか、私たちに出来ることはなかった。

 そして微かに大きな音を立てながら走る馬車と並走する馬の足音が聞こえた時には、心底ホッとした。来た! これでもう大丈夫だ。そう思ったのに、私たちの耳に届いたのは、


「崖だ。間に合わない。飛び降りろ‼」


 である。私の喉から、もしかしたらシエルの喉からだったかもしれないヒュッと息を呑む音がした気がした。

 暴れる馬車から飛び降りろとか、どれだけ無茶な要求だ。けれど騎士が叫ぶように崖があるのだとしたら、一刻の猶予もない。迷うまでもない。飛び降りるという選択肢しかないのだ。


「シ、エルゥ、て、手を、こっちにぃ!」


 何とか片手で馬車にしがみつき、もう片方の手をシエルに伸ばした。馬の足音は私がいるドア方向から聞こえる。と言うことは運が良ければ、そして騎士の身体能力が高ければ馬上で抱き留めて貰えるかもしれない。

「ぬ、うぅ、っ!」」


 お互いに必死に手を伸ばして、あともう少しで手が届くといった、その瞬間、ぐわんと大きく馬車が跳ねた。


「…………あっ」

「シエル‼」


 私とは反対側のドアが跳ねた衝動で開き、それはまるで吸い込まれるようにシエルの身体が馬車の外に放り投げられた。シエルの先に地面はない。そう崖だ。


「だめぇぇ!」


 もうそれは無意識だった。私は咄嗟に馬車からシエルに向かって飛び込み、伸ばされた手を掴んだ。そしてその後すぐに私の身体と入れ替えるようにして、シエルを地面のある方へ投げ飛ばしていたのだ。

 あ、まずい、と思ったが時はすでに遅し。視界に映る地面に叩きつけられたシエルの姿を最後に、私の身体は崖下に吸い込まれていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ