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お料理好きな福留くん  作者: 八木愛里
第一章

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5.福留くんと合羽橋散策、の巻①

「うーん、切れ味が悪いのかな」


 福留くんから教えてもらったポテトサラダを自宅でおさらいしているときに、家にあるセラミックの包丁がふと気になった。


 福留くんのレッスンで使った包丁は力を入れずに切れるけれど、セラミックの包丁は材料が切りにくい。

 材料そのものに柔らかさの違いがあるのかと疑うくらいに切れ味が悪いことに気づいた。


「やっと切り終わった……」


 一口大になったニンジンがまな板の上に散らばっている。変に力が入っていたのか、手の甲や肘がじんじんと痛む。

 どうやら、すべての元凶はこの包丁だ。切れ味が悪いから、余計に時間もかかる。


「決めた、私は新しい包丁を買う!」


 一人暮らしのアパートに私の声が反響する。

 誰からの返事もないことに気づいて、急に恥ずかしくなった。


 物事を始めるには、まず道具を揃えたいじゃない。私の料理生活は包丁を買うところから始めよう。




 会社のお昼休み。デスクにいる福留くんに、午後のミーティングのプリントを渡しながら、さりげなく声をかける。


「忙しいところ申し訳ないのだけど……。自分用に包丁を買いたいと思っていて、アドバイスをもらえないかな」


 手を合わせて福留くんにお願いをする。

 デートを誘っているようで少し恥ずかしい。でも、包丁を見立ててもらうのは彼が適任なのだ。


「もちろんいいですよ。僕も包丁見るの好きですし」


 無意識に止めていた息を小さく吐き出した。


「ああ、良かった。一人だと失敗しそうだから助かる」

「包丁といえば、合羽橋ですね」

「合羽橋……」


 浅草から歩いて行ける問屋街。キッチングッズが大抵揃うと聞いたことはあるけれど足を踏み入れたことはない。


「今度の土曜日とかどうですか?」

「大丈夫です」


 休日は家でゴロゴロが日課になっていて、スケジュール帳を見なくても即答できる。

 福留くんは私の表情を伺うように口を開く。


「あの……合羽橋行くとしたら朝から行きたいのですが大丈夫ですか?」

「朝というと何時集合かな?」

「九時……はどうですか」

「九時!」


 いつもの土曜日の朝なら、まだ寝ている時間だ。


(福留くんに付き合ってもらうのだからしっかりするのよ、私!)


 会社に行く気持ちでいれば、ちゃんと起きれるはず。


「もし、無理そうなら──」

「大丈夫だよ。お願いします」


 小さな動揺を隠すように微笑むと、福留くんは安心したような顔をした。


「こちらこそ。いい包丁が見つかるといいですね」




 金曜日の就寝前、翌日の服を選ぼうとクローゼットを開ける。


(そういえば、このクローゼットは引っ越し以来、開けたことがなかったかも……)


 クローゼットは二つあって、会社のスーツや、よく着る私服は片方に収納されていた。もう片方はよそ行きの服。


 元彼の趣味に合わせた清楚系の服がハンガーにかかっていた。ニットのカーディガンのアンサンブルと小さく揺れる膝丈のスカート。


 雑誌を読んで研究を重ねて購入したもの。クリーニングに都度出す必要があって、機能性はない。


 ある意味黒歴史だ。

 パタンと閉じかけるが、思い直してクローゼットを開く。


(どの服で出掛けようかな)


 ジーンズにTシャツのようなラフな格好だとお子様みたいで、ラメの入ったスカートだと気合いが入り過ぎているように見えてしまう。


(休日に会社の人と会うなんて、服装が難しいなぁ)


 会社では制服代わりのスーツがマストアイテムで、それ以上に便利なものは知らない。

 ハンガー越しに鏡で確認して、落ち着いた紺色のワンピースをセレクト。冬場はコートで隠れてしまうので意味がないと気がついたのは選んだ後だった。




 朝の合羽橋は活気があった。

 商業用の建物が道路を挟んで両側に並んで、お店からは威勢の良い掛け声が飛び交う。


 十五分も早く着いてしまった。散策しようにも迷ってしまいそうで、待ち合わせの地下鉄の地上の出口に着くと合羽橋の様子を眺めていた。


「お待たせしました!」


 福留くんは小走りでやってきた。

 コートにニットを合わせて、グレーのジーンズを履いている。


(私服って新鮮……。スニーカーって履くんだ)


 もしかしたら福留くんはセンスが良い方なのではないだろうか。爽やかな服装がよく似合っている。


 福留くんは立ち止まると小さく息を整えている。


「遅くないよ! 私が早く着いちゃっただけ」


 待ち合わせの十分前だ。社会人の常識としての五分前行動は守っている。


「真島さんを待たせるのが嫌なんです」


 ムキになるように福留くんは言って、申し訳なさそうな表情になる。


「急用が入ってしまって、ご一緒できるのがお昼ぐらいまでになってしまうのですが大丈夫ですか?」


「全然大丈夫だよ! 私のことは気にしないで」


「ありがとうございます。……では、行きましょうか」


「そうだね」


 福留くんの案内で少し後ろを歩く。

 お箸専門店、業務用のシンクの店、ラッピングを取り扱っている店等、台所用品に関係する店を通り過ぎる。普段見かけない店は、自然と目移りしてしまう。


「ここですね」


 福留くんが立ち止まった店は、包丁だけが並ぶ店だった。

 店内に入ると、お土産に包丁の購入を考えているといった外国人の客もちらほらいる。


 包丁の数に圧倒された。壁という壁には包丁がディスプレイされていて、自由に手に取って良いようだ。


「どんな包丁を選んだらいいかな?」


「家庭用には主に、三徳包丁と牛刀があって、先が丸いのが三徳包丁です。一般的には三徳包丁の方が多いかな。これですね」


 サンプルコーナーに飾ってある包丁の一つを指差した。


「これが三徳包丁なんだ。実家の母もこの形の包丁を使っているかも」


「牛刀はこっちですね。持ってみるとわかると思いますが、若干重さを感じます」


 サンプルは自由に包丁を手に取ることができて、他にも手に取っている客もいる。牛刀を手に取ると、三徳包丁よりは手の平に重みを感じた。


「軽い方がいいかも」


 家庭で一般的な三徳包丁に気持ちが傾いてくる。


「牛刀は先が鋭くて、刃渡りも長く、肉を切ったりするにはちょうどいいのですよね」


 絶妙なタイミングで、迷うようなことを言ってくる。


「いいとこ取りしたい……」


「それならまずは三徳包丁の方が良いかもしれません。素材ごとにまんべんなく切れますし」


「福留くんは三徳包丁と牛刀のどっちを持っているの?」


「僕は両方持っていますけれど……最初は三徳包丁を買いましたね」


 セラミック包丁から変えるだけで第一歩に違いない。三徳包丁にしようと決めた。

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