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お料理好きな福留くん  作者: 八木愛里
番外編

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クリスマス編

その後の話になります。

 

「杏、婚約おめでとう!」

「ありがとう!」


 ワインの入ったグラスを軽く触れるくらいに合わせて乾杯する。肌寒くなってきた季節には、杏の家のこたつがいい働きをしている。私の家にも欲しいくらいだ。

 杏はワインを一口含むと、頬が綻んだ。


「まろやかで、おいしい……」

「よかった。杏の口に合うと思ったんだ!」


 ホッと胸を撫で下ろす。普段の宅飲みのワインよりは、ちょっと良い値段のワイン。気に入ってもらえてよかった。

 仕事終わりの金曜日のこの時間が一番幸せだ。福留くんと一緒に食事を作ったり、外でデートをするのは大切な時間だけど、友人に会うこともリフレッシュになる。

 食事が進み、頬が紅潮してほろ酔いな気分になってきた。


「ところで。旦那さまからは、どんなプロポーズされたの?」


 会話が途切れてきて、杏の気が抜けたのを見計らって声を掛ける。きっと素面だったら、はぐらかして答えてくれないだろう。


「……そんな夢のあるような話でもないから、期待した目で見ないで!」


 彼の話になると、杏のツンとした表情が剥がれて少女のような顔になる。


「気になる! 勿体ぶってないで教えてよ」


 杏はぶつぶつと渋りながら、それでも嫌ではなさそうだ。


「遠出した帰りの車の中で、『結婚しよう』と言われた」

「……それ、いい!」


 お付き合いをしている福留くんとは、互いに車を持っていなくて、車でデートをすることはあまりない。たまにレンタカーで出掛けるくらいだ。都会では車がないことに不便を感じないが、車デートというのは憧れる。


「帰りの車内じゃなくても、綺麗な夜景を見ている場面とかあったのに、どうにも言えなかったみたい。最後の最後でようやくって感じね」

「旦那さん緊張してたんだろうね」


 杏は「そうね」と言って、息を小さく吐いた。


「お金がないってことで、式も挙げる予定はないし婚約指輪もなし。何でこんな男を好きになっちゃったんだろう」


 杏は「相手が再婚だから期待していなかったけど」と口では嘆いているが、決して不幸せそうには見えない。

 と、杏はズイと身を乗り出してきた。


「ゆりは福留からプロポーズされたら、婚約指輪をもらって、みんなからお祝いされて幸せになるのよ!」


 婚約指輪。私の頭の中に一つの疑問がよぎる。

 そして、この爆弾発言をしてしまった。


「……婚約指輪って、そんなに重要なことかな」


 私は婚約指輪がいらないと思っていた。ダイヤ一石の婚約指輪。高価な婚約指輪は普段付けないものだし、結婚で必要になるお金は多いから貯金に回した方がいいのではないか。

 それを聞いた杏は、慌てたように否定する。


「え? ……いやいや、本気で言ってる?」

「本気って。結婚したら、結婚指輪を付けるわけだし、婚約指輪の必要性がわからないな。友人の結婚式に付けて行くくらいなんじゃないかって」


 私の言い分を聞いた杏は、私の肩に手を置いて静かに首を振った。


「結婚したら、高級品のプレゼントは貰えなくなっちゃうかもしれないのよ。今のうちに貰えるものは貰っておきなさい」


 子どもに言い聞かせるように杏は諭してくるが、イマイチ納得できない。


「その根拠は?」


 結婚したとしても、福留くんの優しさは変わらないと思う。その自信はどこから来るのか、と我ながら疑いたくなっちゃうけれど。福留くんなら大丈夫だと信じたくなってしまうのだ。


「男って釣った魚には餌をあげないものなのよ。福留がゆりにメロメロだとしても、油断しちゃダメ」


 私の心を先読みしたかのように言い、杏は腕を組んで目力で私を圧倒する。

 自分のことを棚に上げている杏に一言言い返したくなった。


「でも、杏は餌、貰っていないじゃない」

「私はいいの。愛があるから!」


(あ、これは言葉じゃ通じないかも)


 ワンルームの部屋に杏の声が大きく反響して、私はその場では観念したように小さく頷いてみせた。




 街路樹には青一色のイルミネーション、デパートのショーウィンドウにはプレゼント箱の展示が目を引く。

 手を繋いだ福留くんと私は、「見たいものがある」という福留くんの希望で服飾品のブランドの店に入った。

 普段使いもできそうなネックレスやイヤリングがあって、ハートをモチーフにしたデザインがシンプルなのに可愛い。

 ガラスのケースの中をじっくりと見回している福留くんの表情は真剣だ。


「福留くんの見たいものって……」


 内緒話をするように、福留くんの耳元でささやく。


「ゆりさんが気に入るものを見つけたかったんです。クリスマスのサプライズをしてみたかったのですが、僕はそこまで器用になれなかったんです」


 福留くんは白状するかのように言った。

 プレゼントを選んでくれるようだ。サンタクロースが家に来なくなってから随分と経ったけれど、恋人にプレゼントを選んでもらえるのは嬉しい。


「ありがとう。……私も福留くんの気に入るものを探したいな」


 福留くんの気持ちに少しでも恩返しがしたい。


「そうですね。プレゼントを贈り合うのもいいですね」


 私たちのやりとりを微笑まそうに見ていた店員さんは、福留くんが爽やかに笑うのを見て、今度は私に羨ましげな視線を投げてきた。

 一瞬視線が痛い、と感じたがさすがはプロで、完璧な接客に戻っている。


「ゆりさん、これも似合いますよ」


 福留くんは私を乗せるのが上手くて、ネックレスやイヤリングの試着を数回繰り返して、小さなハートのネックレスに決めた。

 仕事でも着けられそうだというのが理由の一つだが、職業病がどうやら抜けきらないらしい。


「仕事中でも福留くんのことを思い出せそう」


 と、笑って言っていたら、福留くんが赤くなったのは可愛かった。


「ありがとうございました」


 ドアマンが重厚感のある扉を開けると、頭を下げた。福留くんの手には、私へのプレゼントが入った袋がある。

 店から出ると、福留くんが「ダイヤ一石の指輪とか見なくても大丈夫だった?」とモゴモゴと言う。

 ダイヤ一石とは婚約指輪のことだろうか。


 ネックレスや普段使い用の指輪を見ていたけれど、婚約指輪の方に私が見向きもしなかったことに対して言っているのかもしれない。


 婚約指輪のコーナーは私の中では聖域だった。結婚が決まった幸せな人たちがいる空間。近づいてはいけない、となぜか頭の中にインプットされていた。こじらせていた期間が長いからかもしれない。

 キラキラしたものに憧れはあったけれど、現実的な私が優ってしまった。


「せっかく買っても普段付けないのじゃあもったいなくない? 必要だとは感じないの」


 価値観の共有のために、はっきりと言った方がいい。頑なにそう思っていたのに。


「必要だとは思わない……」


 福留くんの顔が、ショックを受けたような顔になった。杏の忠告をこのときになって思い浮かべる。


(私、とんでもない間違えをした……?)


 発してしまったら取り返しのつかない言葉だった。




「はあぁ〜」


 外出先から戻って、会社のデスクに座った福留くんは溜息をついた。

 大企業の決算書の報告が終わって、近々の仕事から開放されたばかりなのに、浮かない顔だ。仕事場でマイナスな面を出すことは福留くんにしては珍しい。

 溜息を聞きつけた秋山課長は、通り過ぎようとしていた足を止めた。


「福留、無事に報告が済んだところだろ? どうした」

「……秋山課長」


 福留くんは戸惑いがちに眉尻を下げ、助けを求める目をした。




 終業後、秋山課長と福留くんは焼鳥の居酒屋のカウンター席に並んで座っていた。

 ビールジョッキが来て、乾杯を済ませると秋山課長は「仕事を終えた後のビールがうまい!」と言いながらお通しに箸をつける。


「福留はよく家で晩酌しているのか?」

「金曜日の夜とかは飲んでいますね。後は付き合い程度です」

「真島は酒豪らしいからな。合わせるのが大変だろう」

「あ、いえいえ、そんな……」


 真島、というキーワードが出てきて、福留くんは反射的に身を堅くした。


「図星だろ。福留が一喜一憂するのは、決まって真島が絡む」


 秋山課長はクックと喉を鳴らせて笑った。

 福留くんは負けました、と言わんばかりに小さく息を吐いた。


「本当に秋山課長は鋭いですね。隠し事ができないです」


 福留くんはお付き合いをしている真島さんのことを相談する。


「僕の親の世代ですと、『婚約指輪は給料の三ヶ月分』とか言われていましたが、婚約指輪を贈ることが迷惑なのでしょうか」

「そんなことで悩んでいたのか。福留は真面目だなぁ」


 面食らった顔して、ニヤリと笑う。

 他人事だと思って面白がっているのだろう。他人事には違いないが、福留くんは秋山課長が笑い過ぎだと感じていた。

 福留くんのジトッとした視線に気づいて、秋山課長は急に真面目な顔に戻った。


「一つ言えるのは、真島が遠慮している可能性があるってことだな。……ま、福留のやりたいようにすればいい」

「僕のやりたいように……」


 秋山課長の言葉を頭の中に浸透させるように復唱した。




 ゆりは学生時代の友人三人とランチだった。土曜日の昼間というのが、結婚している友人がいると合わせやすい時間だ。


「やっと四人揃ったね。ゆりの仕事が落ち着いてきたみたいでよかった」

「ごめん。本当は皆に会いたかったよ」


 会計事務所の仕事は暇になることが基本はない。一年を通して期限を決められた仕事がある。

 その仕事の忙しさを理由にして、結婚している友人の誘いには気が乗らなかった。恋人がいないことに引け目に感じ、独身の友達と傷を舐め合うことが快適になっていた。でも、それは現実に目を向けなかった自分の甘えだ。


 結婚している友人は結婚指輪と婚約指輪を重ね付けしていた。銀一色の結婚指輪がダイヤと合わせると華やかに見える。


「婚約指輪も付けているのね」

「こんな席でないと婚約指輪を付けることはないけれど、付けないともったいないでしょう?」


 指輪をそっと優しくなでながら、頰を綻ばせた友人には幸せがにじみ出ている。


 ーー婚約指輪が必要だとは感じないの。


 福留くんにはそう言ったけれど、私は、本当は……。


(福留くんから婚約指輪を贈ってもらいたかったんだわ……)




 お洒落なレストラン。席は全部予約で埋まっていて、クリスマスだというのに予約を取ってくれた福留くん。

 コース料理は出揃って、後はデザートを残すところになった。

 用意していたプレゼントを交換する。

 私が受け取った箱には一緒に選んだネックレスが入っていて、福留くんの手元には後日一緒に選んだキーケースがある。


 ネックレスを首に着けようとしていたら、福留くんが立ち上がって後ろから着けてくれた。

 ハートのモチーフが冷たいと感じたのは一瞬で、鎖骨に収まる。


「ありがとう」

「ゆりさんもありがとうございます」


(欲しいものを選んで贈ってもらえるなんて幸せだなぁ)


 貰えるものが分かっているのに、プレゼント交換した喜びを実感する。

 幸福感に浸っていたのに、福留くんが真剣な表情をしているのに気づいた。


 福留くんがスッと跪くと視線が合って、福留くんの手元には、いつの間にか小さな箱が用意されていた。福留くんの一つ一つの挙動から目が離せない。


「僕からもう一つ贈りたいものがあります。僕の自己満足かもしれないですが、渡したいと思ったんです。受け取ってもらえますか」


 福留くんが箱を開くと、ダイヤの石が輝いていた。


「ゆりさん、僕と結婚してください」

「……っく。福留く……ん」


 声が詰まって上手く喋れない。パクパクと口は動かしているのに、言葉が出てこない。あまりに驚いてしまうと身動きが取れなくなってしまうんだ。

 そういえば、仕事モードの「福留くん」の呼び方が抜けきらないな……なんて考えながら。


「あ、ゆりさん。もしかして、婚約指輪が嫌でしたか?」


 ゆりが沈黙したのを見て、福留くんは慌て始める。

 ふるふると首を振る。嫌じゃない。

 驚きの感情の次に来たのは嬉しい気持ちだ。

 婚約指輪を目にするまで、こんなに嬉しいとは思わなかった。最愛の人に一番輝くものを一生懸命選んでもらえたことが嬉しいんだ。


「ありがとう。福留くん……大好き」

「僕も、大好きです」

「私で良ければ……よろしくお願いします……っく。」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 いい年をした大人が、声を上げて泣いてしまった。こんなに泣いたのは一人で観た感動系の映画以来かもしれない。

 福留くんがハンカチを出してくれて、必死に涙を押さえる。

 お店の人には、福留くんから事前にプロポーズをすることを伝えてあったのか、私たちを見守っていた店員が私の返事を聞くと波を打ったように動き出す。


「ハイチーズ」


 お店の人が気を利かせて私の携帯電話で写真を撮ってくれた。私は鼻を赤くした顔で、福留くんはテーブルの下で私の手をギュッと握って画面に収まった。年上のお姉さんらしさは全然出せなかったけれど、いい思い出だ。

 福留くん、最高のクリスマスをありがとう。


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― 新着の感想 ―
[一言] この時期らしい良いお話でした。 う〜ん、婚約指輪ねぇ、いつの間にか無くしてしまいました、家は夫婦揃って指輪とかつけないもんで気付いたら二人してあれっ?って感じで、家の中にはあると思うんですけ…
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