28.魅惑の半熟味付けゆで卵を作る、の巻*
斜め前のデスクに座る福留くんは、毎日手作り弁当だ。昼休み、パーテーションで仕切られているところからは、時折上下する福留くんの後頭部が見える。
「福留の弁当うまそうだな。とくに味付け卵」
福留くんの背後に秋山課長が立っていた。普段は冷静沈着な頼れる男である。私と福留くんの上司のポジションの人だ。
福留くんは箸を休めて見上げた。
「よかったら食べます?」
「いいの? じゃあお言葉に甘えちゃおう!」
秋山課長が目を輝かせている。
急ぎ足で割り箸を持ってきて、福留くんの弁当箱に箸をいれる。
何を食べるのかと思ったが、味付け卵だ。
「いただきます」
そのまま流れるように口の中へ。秋山課長は目を輝かせていた。
「うまいな。お母さんが作ったのか? 半熟でとろけるようにうまいぞ」
「ありがとうございます。……でも、作ったのは僕です」
謙遜する福留くんに、秋山課長は歯を見せて笑った。
人懐っこい犬のような顔だった。
「凄いな。半熟の加減が最高にいい! また食べたいくらいだ」
「じゃ、また持ってきますよ」
「ほんとか~? 期待しているぞ」
秋山課長は福留くんの肩を軽く叩くと、意気揚々とデスクに戻っていく。
やり取りはしっかりと聞いていた。
ごくり、と喉が鳴る。
半熟の味付け卵……! コンビニで買える半熟卵。ラーメンのトッピングの半熟卵。とろける黄身。
ああ食べたい。鼻歌混じりの秋山課長が羨ましい。
そうだ……!
私は、早起きして作ったおにぎりにかぶりつきながらパソコンを見る。
福留くんに聞かずとも、インターネットで調べれば方法はいくらでも載っているじゃないか。レシピなんて今、日本に無数にあるんだから。
すぐに福留くんに質問するのはよくない。
仕事の基本は自分で調べて、自分の中に仮説を作っておくこと。「このように調べましたが、合っていますか?」と聞くことが社会人としての必須スキルだ。
できる。私ならきっとできる! 福留くんを頼らずともきっと!
「半熟卵を作るコツは、ゆで上がったらすぐに冷水で冷やすこと……ね」
昼休みが終わると私たちはすぐ仕事に戻り、定時には家に買った。
家に帰り着くと、私はすぐにキッチンに立った。
インターネットで検索して、レシピを眺めてみる。さらに調べてみると、「一分ごとのゆで時間のまとめ」が載せているサイトを発見した。当たり前だけど、ゆで時間で半熟の度合いが変わっていくらしい。化学の実験みたいだなと思いながら読み進めていく。
好みにもよるが半熟にするには、沸騰したお湯に七〜八分ゆでるのが最適なのだろう。
「まずは、作ってみようかな」
何事も実践あるのみだ。
実際に料理をしてみないと、感覚的なところはわからない。
雪平鍋に水を入れて沸騰させる。その間に、お玉を用意した。
「お玉に卵をのせて、そっと入れるんだよね」
卵の温度が急に変わるため、慎重に卵を入れないとヒビが割れてしまうらしい。
そっと静かにお湯の中へ入れていく。六個全部を入れ終わって、ようやく緊張が解ける。まったく、ゆでるだけでここまで緊張するなんて。卵、侮れない。
沸騰したお湯に入れ終わったら、七分のタイマーをセットする。
「――あっ」
慎重に入れていったのに、六個の卵のうち、一個が割れていた。
「うん、気にしない」
どうせ固まるでしょう、と自分に言い聞かせて先に進む。
「氷水の用意をしよう」
冷水で良いらしいけれど夏場には氷水にするらしい。念のために氷水を用意することにする。
網付きのボウルに氷を入れて、冷水を入れていく。氷が溶けて、時折、からんという音がたつ。その心地よい音に、これから出来るはずの半熟卵への期待が高まっていく。
「あ、そうだ。ゆでている間にタレの準備をしよう。漬け込みたい時は水4:醤油3:みりん2:砂糖1ね。覚えやすい!」
大さじで測りながら水、醤油、みりん、砂糖を鍋に入れる。火にかけて沸騰させて、混ぜ合わせる。再度フツフツとしたところで火を止めた。タレの匂いだけでも食欲をそそられる。このままでもオカズになってしまいそうだ。
ピピッとタイマーが鳴って、慌ててとめる。
お玉を使って卵をお湯から引き上げた。
氷水のボウルに卵が全て入る。卵の熱を奪っていく気配がした。
「流水に当てながらむくと、綺麗にむきやすい……ってホントかな」
キッチンの角を使って卵の殻にヒビを入れて、流水の下でむく。
「うわッ。スルってむけた!」
割れてしまった卵の表面は凸凹していたが、中身には問題がなさそうだった。
形がいいのに越したことはないけど、何よりも食べられればそれで充分だ。
むき上がった卵を、私は満足げに見下ろした。
「……ふふ。すごく達成感がある」
つるんとして、弾力のある卵はほぼ完成に近い。塩をかけてそのまま一口で食べても、それはそれでおいしそうだ。でも今日は、それはグッと我慢。
ジップロックにゆで卵を入れてから、タレを加えて空気を抜いて封をする。
あとは待つだけだ。
「これで、完成か。意外と、大変じゃなかったなぁ」
正味二十分くらいしかかかっていない。
休日に作り置きしたら、平日の夕ご飯の定番にできそうだ。
それからお風呂に入ったりパジャマに着替えて、寝る前に一度、ジップロックの上からゆで卵を回す。こうすると、むらなく味を染み込ませられるのだ。
そして迎えた翌日の夕ご飯。
スーツの上着をハンガーにかけるとキッチンへ直行した。
(さてさて。半熟卵のでき具合は……?)
玉手箱を開けるように、わくわくしながら冷蔵庫を開ける。
ジップロックの上から見ると、表面茶色っぽくていい色になっている。
(よし、味見だ!)
夕食の用意に入る前に、待ちきれずに味付け卵を一個食べることにする。
これくらいの贅沢、頑張って毎日働いているんだからいいだろう。
スプーンで皿に取り分けると、ごくりと喉が鳴った。
お箸で味付け卵を半分に割ると、濃厚な黄身が垂れてきた。
「わぁ!」
思わず歓声をあげてしまう。
切り口は半熟で、食欲がそそられた。
いよいよ、割った卵を箸でつかむ。とろとろした黄身が、箸の上で垂れていく。
それ以上落ちないように、思い切って一口で口の中に入れてしまう。
「ん~~!」
幸福が口の中ではじけるようだった。
(タレがよく染み込んでいるし、とろとろ具合も最高!)
心の中でガッツポーズをきめる。
我ながら、最高の出来だ。
これ以上に美味しい卵料理はないんじゃないかとさえ思う。
卵は万能だけど、その中でも味付け卵は格別だ。
残っていた半分も食べると、あっという間になくなってしまった。
(これってご飯と一緒に食べてもおいしいんじゃないの?)
そう思って、さっそくご飯の用意に入る。
味付け卵とご飯を、思う存分外食で食べるなんてこと、なかなかできない。味付け卵は外食だと一個百五十円くらいだし、置いている店も多いわけじゃない。ただの卵かけご飯とはまた違った魅力を前に、私は急いだ。
アジの開きを焼いて、味噌汁を手早く作り、冷凍していたご飯を解凍する。塩ゆでした小松菜にかつおぶしをかけた小鉢も添えて、独り暮らし定食のでき上がりだ。
「いただきます!」
味噌汁を一口すすると、いつもの味に心が落ち着いた。
アジの開きも、脂がのっていて美味しい。
そして、また味付け卵である。
今後も半分に割って、黄身がこぼれないように口に運んだ。
「おいしい!」
それに合わせて、白いご飯も口にする。
うん、やっぱり成功だ!
タレと卵の半熟加減がご飯にピッタリ。味付け卵だけでも、何杯でも食べられてしまいそう。毎日食べても美味しそうだ。
(よし、半熟味付け卵は我が家の定番にしよう)
うんうん、と一人で頷く。
福留くんの手を借りなくても一品マスターできた。この調子でレパートリーを増やしていけば、福留くんに彼女ができたとしても、きっと泣かないで済む。
私はそう思って、また一口、味付け卵を口にする。
○味付け半熟卵のレシピ
卵…6個
漬け込み用のタレ…水大さじ4、醤油大さじ3、みりん大さじ2、砂糖大さじ1
作り方
(1)沸騰したお湯に、お玉を使いながらそっと卵を入れる。衝撃で卵が割れてしまうので注意する。
(2)ボウルに氷水を用意する。
(3)漬け込み用のタレを計って鍋に入れて、混ぜながら沸騰させる。
(4)7〜8分のお好みでゆでたら、氷水で素早く冷やす。
(5)卵が冷めてから殻をむく。流水にさらしながらむくとむきやすい。
(5)ジップロックに漬け込み用のタレと卵を入れ、時々卵を回しながら半日から一晩置く。




