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お料理好きな福留くん  作者: 八木愛里
第三章

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27.福留くんの告白


「今年、税理士試験受ける人!」


 社員の全員が集まった朝礼で、所長がそう告げた。

 社員たち数名の手が上がった。


「安藤と斎藤、高橋……福留だな」


 所長は顔ぶれを見回して、一人一人確認する。

 全員、監査担当だった。税理士の資格取得を目指して、日夜頑張っている。


「試験前の一週間は休みを取ってもらう。集中して頑張れ。他の人は、大変だとは思うが惜しまずにサポートしていってほしい」


 所長の言葉に職員は鷹揚に頷いた。


「はい、もちろん!」

「我々としても助かるしね」

「みんな、頑張るのよ!」


 試験組は深々と頭を下げる。

 朝礼は終わり、各々自分の仕事に戻ろうとする。

 そんな中で、秋山課長が福留くんを呼び止める。


「福留!」

「どうしましたか?」


 秋山課長は税理士の資格を持っている。

 教科書や参考書も、福留くんにあげているらしい。


「試験、頑張れよ。応援してるからな」

「……はい! 精一杯ご期待に応えたいと思います!」


(福留くんも試験を受けるのだった)


 料理を教えてくれるだけでなく、私が体調を崩したときは手料理を作りに来てくれた福留くん。

 税理士試験は八月の上旬。今は四月の後半だから、あと三ヶ月くらいしかない。


(これ以上、迷惑はかけられないよね)


 料理に時間を割いてもらうのは試験勉強の邪魔になってしまう。福留くんの負担になってほしくないと切に思った。




 会社に残っているのは私と福留くんだけだった。私たち二人の席の照明だけが付いている。それ以外はすっかり真っ暗だ。集中して作業することができるし、キーボードを叩く音だけが響いて心地よい空間だった。


「私はそろそろ終わるけど、福留くんはどう?」

「僕もあともう少しです」


 首を上げて福留くんに問いかけると、福留くんは視線だけを動かして答えた。

 仕上がったデータの保存をかけて、背伸びをする。その様子を見た福留くんが慌て始めた。


「あ、ごめんなさい。急ぎますね」


 私が事務所の鍵を預かっているから、間に合わせようとしてくれているらしい。


「大丈夫だって。私、終わったら書類整理をしようと思ってたから」

「すみません」


 しばらくして、福留くんは小さく「よし」と言って画面から体を離した。「お待たせしました。終わりました」


「お疲れさま。見回りは終わっているから、帰る準備をしてくれるかな」

「分かりました」


 時刻は二十時。家に帰ってから食事の準備をすると、夕ご飯にありつけるのは早くても一時間後だろう。


「あの、福留くん」

「どうしましたか」


 事務所の鍵を掛けて解散、となったところで福留くんに声を掛ける。


(自分から誘うのって緊張する)


 緊張しているのを悟られたくなくて、明るく声を掛けた。


「ご飯食べて行かない? ……あ、もし嫌だったら断ってもらって構わないんだけど」


「嫌なわけないじゃないですか。僕も誘おうかなと思っていたんです」


 私は胸を撫で下ろす。よかった。これで断られたら意外とへこんでいたと思う。


「そうだね。近場がいいね。どこかいいところあるかなぁ」


 誘ったもののノープランなのが恥ずかしい。居酒屋でも構わないけれど、翌日の仕事があるからそんなに遅くまで一緒にいられない。


「僕の行きつけのお店にしませんか。定食屋なんですけれど」


「行きつけって、福留くんが外食するなんて意外だよ。料理が上手だから外食しないと思っていた」


「そんなことないですよ。たまには他の人の味が食べたくなるんですよね」


 自分が作ったものだけを食べていると飽きてしまうらしい。


「自分が一番好きな味を作っちゃうじゃないですか。だからそれ以外の味を、冒険しなくなっている自分がいるんですよね。外食して食べる場所も家以外になれば、リフレッシュにもなって楽しいんですよ」


 駅前の道を、福留くんと歩く。通勤ラッシュが終わった夜の時間は、どこかゆっくりとした時間が流れている。

 雑居ビルの一階に入ると個人店が並んでいた。福留くんは慣れた様子で、その中の一つの暖簾をくぐって扉を開ける。


「こんばんは」

「あら、いらっしゃい」


 座席に案内されて、テーブルに座る。案内とは言ってもテーブル席三つにカウンター席に三人座れるくらいのこぢんまりした店だった。

 カウンターに座る常連客が、ビールとつまみでチビチビと飲んでいる。個人の店ならではの独特な雰囲気がある。うん、嫌いじゃない。


「真島さんはどれにしますか? メインと小鉢二品をそれぞれ選ぶ形なんですけれど」

「どれにしようかなぁ……」


 選択肢が多いと迷う。

 手書きのメニューが壁に貼られていて、日焼けして年季が入ったように見える。


 メインは豚の生姜焼き、鳥の唐揚げ、トンカツ、鮭の塩焼き、ホッケの開き。小鉢二品は卵焼き、ひじきの煮物、冷ややっこ、ホタルイカの酢の物等で日替わりで変わるようだった。


「福留くんは決まっている?」


「僕は生姜焼きにしようかな。真島さん、選ぶのゆっくりで大丈夫ですよ」


「ううん。そうすると一生決まらないから。ホッケの開きと、卵焼きとホタルイカの酢の物にしようかな」


 酒飲みのつまみのようなチョイスだ。


「決まりですね。すみませーん!」


 福留くんが注文を頼んでくれて、ビールも一緒に注文してくれる。

 手際のよさに、私は感心してしまう。


「ささ、飲んでください」


 先に来たビールを福留くんは注いでくれた。私も注ぎ返すと、ビールの泡の割合がちょうどよくなって勝手に満足した。


「「乾杯!」」


 グラスの端をカチンと合わせて、グイッと一気に飲む。仕事終わりのビールは、格別においしい。仕事の疲れが吹き飛ぶようだ。


「この一杯のために生きてるって感じするなー」


「そう? 私は、福留くんのご飯のために生きてる気がするけど」


「ほんとですか?」


 そんな軽口をたたいていると、女将さんが笑いながら料理を持ってくる。


「お待たせしました」


 ホッケの開きの定食だ。

 メインと小鉢二品の他にもご飯と味噌汁、漬物が付いて完全な定食だった。

 味噌汁を飲んだ瞬間に「お袋の味だ」と実感した。懐かしいごはんというのは、どうしてこうも胃を温めてくれるのだろう。


 ワカメと小さく切られた豆腐が入っていて、そのワカメがとろけるように甘い。小鉢の中の卵焼きはふわふわで、思わず感動してしまった。時々ホタルイカで箸休めして、ホッケの開きの上質な脂と甘みに舌鼓を打った。なんて幸せな時間だろうとつくづく思う。


 私たちが入ってからすぐに、数組が入ってきてお店は満員になってしまった。人気のお店なのだろう。早くに食べ終わらなきゃと焦ると、女将さんが「ゆっくりでいいのよ」と声を掛けてくる。暖かいお店だ。福留くんが好きになる気持ちもよくわかる。


 食べ終わって、お勘定を済ませると素早く店を後にした。


「食べるのに夢中になって、あんまり話せなかったね」


 店にいる間、私は、ただ食事を食べていただけだ。「おいしそう、おいしい、おいしかった」の三点セットでコメントできれば話題が弾むと聞いたことがあるけれど、どれも言っていなかった。


「僕は後輩だし、そんなに気を遣わないでください。真島さんが、おいしそうに食べていたのを見てて嬉しかったですし」


 福留くんは本当によくできた人だ。さりげなくフォローしてくれている。


「うん、すごくおいしかった。懐かしい味がして、また食べに来たくなるお店だね」


「そうなんですよ。無性に食べたい時があって、つい、ふらりと」


 福留くんとは家の駅が一緒だ。

 電車に乗り込んで、今日の定食屋について話していると、あっという間に駅に着いてしまった。


「あ、僕、送っていきますよ」

「送るっていうか。帰る方向も一緒でしょ?」

「確かに」


 私達は笑い合って、歩き始める。

 でもその道すがら、福留くんは珍しく何も喋らなかった。私も無理して話すことはないかと思い、福留くんに合わせて無言のままでいた。


「あ……もう着いちゃいますね」

「ほんとだ」


 すぐに、アパートの前の道に着いていた。一人で歩くと長く感じるのに、二人で歩くとあっという間に感じてしまうのはどうしてだろう。


「そういえばさ、税理士試験まであと三か月だよね」

「え……あ、はい」


 福留くんは、何か考え事をしていたかのようだった。私に話しかけられて、驚いた様子だった。


「もうお料理とかも無理に教えてくれなくていいよ」


「えっ、どうしてですか?」


「どうしてって……。あんまり私で時間取らせちゃ悪いからさ」


 福留くんは目を見張って、立ちすくんだ。


「じゃ、今日はありがとうね。明日も仕事頑張ろう」


「……真島さん。あのっ!」


 福留くんに呼び止められて、振り返る。

 福留くんは、拳をぎゅっと握って、仁王立ちしていた。

 耳まで真っ赤な福留くんは、それでも可愛かったし、かっこよかった。


「僕は……僕は、真島さんのことが好きです。付き合ってくれませんか」


 まさか、福留くんからそんな風に言われるなんて思ってもいなかった。


(気持ちは嬉しい……けど)


 舞い上がってしまう気持ちを必死に押さえる。

 料理を教えてくれる福留くんを頼りになる存在だと感じていた。でも、年下であることを理由に恋愛感情は抱かないようにしていた。だって、いつか福留くんより若くて可愛い女の子が現れて、その子に猛烈なアプローチをされたら、そこで終わってしまうかもしれない。

 私は傷付かないために、浮かれる気持ちに防波堤を作る。


「もう、そんなことを言ってからかわないでよ。それより、税理士試験頑張りなさいよ」


 ついはっぱをかけてしまう。福留くんは税法三科目を合格していて、あと二科目合格すれば晴れて税理士だ。そうなったら、言い寄ってくる女の子はもっと増えるだろう。


 福留くんはショックを隠せないようだった。それでも私を見据えて、こう告げる。


「試験に合格したら、僕は先輩に並ぶことができますか?」


 真剣な福留くんの表情を見て、もう生半可なことは言えない。


「……きっと福留くんに好きな子ができるほうが先だよ」


 そう言ってはぐらかした。私たちは、そうして別れた。

 次の料理講座の話はひと欠片も出なかった。

 それからの日々、福留くんも忙しくなったようで、料理講座の話は自然消滅していった。

 それで良かったのだと、思うことにした。



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