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お料理好きな福留くん  作者: 八木愛里
第三章

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25.懐かしの隠し味

 

 ガラス張りの社内に、アメーバのような形の机、フリーアドレスで社員は各々の位置で仕事をしている。


 天井までの本棚とジャングルジムの中には座るスペースがある。最初に訪れたときは、目新しいものばかりだったが今はもう見慣れたものだ。


「福留くん、進み具合はどう?」

「いい感じですね。あと三十分くらいで終わりそうです」

「了解」


 パソコンと帳面を広げて、仕訳の入力が合っているかどうかのチェック。福留くんと私で、取引先のベンチャー企業の監査だった。


 福留くんの仕事のスピードが上がって、昼前には事務所に帰れそうだ。


 と、机の上に置いてある福留くんの携帯電話が振動し始めた。福留くんは素早く通知を見て、私に小声で話してきた。


「すみません、ちょっと出てもいいですか」

「大丈夫だよ」

「すぐに戻ります」


 福留くんは小走りでオフィスの外に出る。

 ガラス越しに福留くんが話している様子が見える。二言三言話して、頭を抱え始めた。


(福留くん……どうしたの?)


 福留くんは仕事では困った表情を出さない。お客様を心配させないようにという配慮もあるが、「すぐにお調べ致しますね」と断りを入れてから落ち着いて対処する。


 顔を上げた福留くんと視線が合った。慌てて、目を外らせようとしたが遅かった。見つめていたのがバレてしまった。


「真島さん、すみません」

「どうしたの?」

「……この仕事が終わったら、昼休みの時間中に私用で外出したいのですが」


 取引先のオフィスの中だから話しにくそうだ。

 私は「車の中で話を聞かせて」と短く言って、残りの仕事に取り掛かった。




 仕事を切り上げて車に乗り込むと、福留くんは話し始めた。


「僕の祖母の入院先から電話があって……。祖母が息子に料理を作らないと……と取り乱しているようで……」


 認知症が進んでいるおばあさんの件で、病院から近い距離の会社に勤めている福留くんに電話があったらしい。


「大丈夫って言っても聞かないから、僕が父のふりでもして顔を出してこようかな、と」


 祖母は僕と父の見分けができなくなっていますから、と福留くんは寂しそうに笑う。


「僕だけを降ろして、真島さんは事務所に戻ってください」

「駅まで距離があるじゃないの。福留くんの用事が終わるまで待っているよ」


 福留くんの提案は却下した。効率を考えたら、福留くんと一緒に帰った方が良い。

 「でも」と福留くんがさらに言いかけたのを手を振って制す。


「心配なんでしょう。途中まで着いていくよ」

「迷惑ではないですか?」

「余計なことは考えないでいいよ。おばあさんが待っているんでしょう」


 入院患者への面会用の入り口で福留くんが受付を済ませている。


「福留静江さんのお孫さんと……一緒にいるのは同僚の方ということですね」


 受付の女性の瞳が鋭くなったのは気のせいだろうか。福留くんと一緒にいるとよく厳しい視線に晒される。

 気にしないのが一番だ。

 軽く会釈をしてやり過ごした。

 次の受付の客が来ると、受付の女性は事務的な表情に戻る。


「お待たせしました」


 福留くんは首に下げる入館証を渡してくれた。

 薬品のような臭いと広い廊下。忙しいナースステーションに対して、入院患者のいる部屋の時の流れはゆっくりだ。


「お孫さんが来ましたよ」


 看護師がそう言って部屋に入ってきたのに、おばあさんは「敦士あつしが来たのか!」と福留くんの顔を見て叫んだ。

 福留くんの下の名前は「浩太(こうた)」だ。敦士さんというのは父親の名前なのだろう。

 敦士と呼ばれた福留くんは一瞬寂しそうな顔をしたけれど、人懐こい笑顔に隠れてしまった。

 私は部屋の入り口近くで成り行きを見守る。


()()()()()、顔を見に来たよ」

「お腹を空かせているだろう、今すぐ母ちゃんが作ってやるからなぁ」


 おばあさんが手すりに捕まって立ち上がろうとするのを、福留くんは慌てて止めた。


「僕は大丈夫。自分でも作っているから、おかあさんも無理しないで」

「本当かい? ……ぐうぅ。あら、腹の虫が」


 おばあさんは恥ずかしそうにお腹を押さえた。


「……何か食べる?」


 福留くんはおろおろとしながら声をかけた。


(……そうだ)


 鞄の中を探すと、タッパーが入っていた。

 私は前に進み出て、おばあさんの座るベッドの前に背を屈めた。


「よければこれを」


 おばあさんと福留くんが私の手元を注目する。


「昼食用に作ってきたポテトサラダなんです。よかったら食べませんか」


 タッパーを開けて差し出すと、おばあさんは「いただこうかのぅ」と言って受け取った。和らいだ目元が福留くんにそっくりだ。

 紙皿に盛り付けたポテトサラダを、割り箸で取って一口食べる。

 食べた瞬間に、顔を上げて福留くんをまじまじと見る。


「隠し味のお酢が入っていて、おいしい。孫の浩太にもよく教えた。あんたは浩太か」


 福留くんは驚いて反応が遅れた。

 ゆりを見て「孫の嫁かのぅ?」と立て続けに言った。

 何か言いたげな福留くんをチラッと見て、こっそりと人差し指を口許にあてる。


(勘違いされているけれど、あえて否定しないでおこう)


「はい、そうなんです。福留く……主人を見てますから安心してくださいね」


(主人、か。ひゃー恥ずかしい!)


 自分から言い出しておいて、顔を覆いたくなった。言い慣れないセリフだから、明らかに言葉が浮いている。そして、たぶん耳元まで真っ赤だ。


「あなたのようなしっかりしたタイプなら安心できますのぅ。孫を頼みます」


 福留くんのおばあさんは、布団を被ってゆっくりと目を閉じた。安心したようで、すぐに寝息を立てていた。

 福留くんと私は顔を見合わせて、静かに部屋を後にする。


「ありがとうございました。ポテトサラダも祖母は喜んでいましたよ」


「いえいえ。元はと言えば福留くんから教えてもらったレシピだったから。役に立てて良かったよ」


 おばあさん直伝のレシピだったから、福留くんのことを思い出せたんだ。きっと。

 車に乗り込むと、大きく伸びをした。


「それにしても。お嫁さん、だってさ~。誰このおばさん、って言われるかと思ってたから嬉しいなぁ」


 両頬を指先で挟んで、病室での出来事をプレイバックした。嬉しいあまり、にやにやが止まらない。

 福留くんはシートベルトを付けて、短く息を吐いた。


「……自己評価、低すぎじゃないですか?」

「またまた~。お姉さんを喜ばせようと無理しちゃって。私にはわかっていますよー」


 福留くんは私の尊厳を守るために必死になっているらしい。遠慮しないでいいのにね。

 否定をする度に福留くんが黙ってしまう。


「……っくしゅ」

「風邪ですか?」

「そんなことはないと思うんだけど……」


 鼻をすすりながら答える。病室で噂話が広がっているのかもしれない。お孫さんにはずいぶん年上のお嫁さんがいるのではないか、と。


「まだ到着に時間がかかるので寝ていてもいいですよ」

「大丈夫。話し相手ぐらいにはなれるから」


 弱いところを見せたくなくて、つい強気に言ってしまう。

 福留くんは「全然、甘えてくれてもいいのに……」と小さく呟いた。


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