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お料理好きな福留くん  作者: 八木愛里
第三章

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23/34

23.揚げ物大作戦①


 カウンター越しに見えたのは、トレーの上に乗った肉。天井から吊り下がったペンダントライトの光で、肉に細かいサシが入っているのがよく見える。


「今日はガッツリ系なんだね」


「そうなんですよ。トンカツにしようかなと。以前に真島さん、たまには揚げ物が食べたいと言っていましたよね」


「トンカツ、いいね! ……前にポロッと言ったの、よく覚えてたね」


 料理講座の最中ではなく、仕事の車移動の時。


『一人暮らしを始めてから、母親のアジフライが無性に食べたくなるんだよね。ううん、アジフライじゃなくても、揚げ物なら何でもいい。熱々を食べたいの』


 福留くんは「わかります、そういう時ってありますよね」と言って、クスッと笑っていたっけ。


「真島さんの希望を少しでも叶えてあげたくて。食べ物って、揚げると格段においしくなるんですよ」


 私の揚げ物に対するイメージは多分逆だ。


「……揚げ物は油をたくさん使うから、もったいないと感じてしまうんだよね」


「もったいないというのは?」


「一人暮らしだと、揚げる量が少ないから使う油がもったいないということだよ」


「……そうかなぁ」福留くんは首をひねった。「僕はそうは感じません」


「どうして?」


「サラダ油って一キログラムで、三百円もしないくらいの値段で買えるじゃないですか。揚げ物に使うのは多くても一本の半分の量です。僕に言わせて見れば、熱々のおいしいものが食べられるというのに自宅で作らない方がもったいないです!」


 福留くんの変なスイッチを押してしまったようだ。

 だけど、言われてみれば説得力がある。油の値段は決して高いわけではない。油を扱う面倒さから、あえて自分で作ろうとしなかっただけだ。


「よし、作ろう!」


 私は腕まくりをした。


「では、まず付け合わせのキャベツの千切りからですね」

「私やるね」


 キャベツの千切りなら、コールスローサラダを教えてもらってから何度もしている。

 一定のリズムで切っていくと、切れる音が小気味良くて仕事のストレスの解消になるのだ。


「いい細さに切れています。包丁の扱いも慣れてきましたね」


 わーい。褒められた。

 褒められていい気になって、余計な一言を付け加えてしまった。


「でしょっ。もっと褒めて」

「……えーと、それじゃ」

「あ、いいの。無理して褒めないで」


 自分で話を振っておきながら虚しい。しかも、「無理して褒めないで」と言った瞬間の安心した福留くんの顔。かわいそうなことをしたなぁ。


「次は豚のロース肉の筋を切っていきましょう」


 福留くんはまな板の上に肉を置いた。


「筋を切るというのは?」

「赤身と脂身の境にあるのが筋です。加熱すると筋が縮んで均一に火が通らなくなるため、筋のある場所を刺すように切っていきます」


 まず福留くんが手本を見せてくれた。包丁の先を使って、筋繊維を切っていく感じだ。

 途中から包丁を借りて自分でもやってみる。豚ロースは全部で四枚。筋が多いところは丁寧に。


「両面に塩胡椒を振っていくので、裏に返してください」

「わかりました」


 福留くんが塩を振って、ペッパーミルで胡椒を入れると、順次裏にひっくり返す。その上にも塩胡椒をしてもらった。


「バットに小麦粉を入れるので、まぶしていってください」

「了解。お願いします」


 バットに小麦粉を入れてくれた。量はそれほど多くなくて、カップ二分の一程度だ。

 豚ロースをバットに入れてからひっくり返す。それから、粉が付かなかった側面の部分を手で付けていく。


「余分な粉は叩いてくださいね」

「どうして余分な粉をはたくの?」

「あぁ、そうか。そこから説明しないとですね。小麦粉は肉に卵が絡んで、パン粉の衣が剥がれないために付けるのですが、余分な小麦粉が付いていると衣が剥がれてしまうことがあるからです」


 何となくわかった。小麦粉が肉と衣の接着剤のような働きをしているらしい。接着剤が多すぎても効果が出ないということか。

 片手で豚ロースを持って、もう片方の手で叩いて余分な粉を落としていった。出来上がったものは、お皿が用意されていて、その中に入れておく。もう三枚も同じように粉を付けていった。


「できましたね。次は卵、パン粉の順番に付けていきます」


 卵とパン粉の入ったバットが二つ並んで用意されていた。


「よーし、付けていくよ」


 両手で豚ロースを掴んで、卵のバットに入れる。全体に卵を絡ませようと、両手を近づけたところで福留くんの声が割って入ってきた。


「ストップ!」

「え?」


 肉との距離わずか数センチ。顔だけ振り返って福留くんを見る。


「どうしてストップをかけたのか、わかりますか?」

「いえ、わかりません」


 正直に答えると、福留くんは静かに息を吐き出した。


「このまま両手で掴むと卵が両手に付きます。その状態でパン粉に付けると、両手がパン粉だらけになって、さらに卵とパン粉を繰り返していくと両手が団子になってしまいます」


「途中で手を洗えばいいんじゃ……」


「違います。ちょっと考えればわかることです」


「ええ……?」


 卵とパン粉を付けていくのに、手が汚れるのはしょうがない訳で。

 全く想像ができない。きっと仕事や勉強とは違う、料理脳というものが必要とされているんだ。


「卵を付ける手と、パン粉の手を分ければいいんですよ」


 ヒントを聞いてもピンときていない私を見て、福留くんはワイシャツの袖のボタンを外して腕をまくった。


「やるので見ていてください。まずは卵に使う手を決めます。例えば卵は左手とします」


 左手で卵のバットに肉を入れて、左手だけを使ってひっくり返した。そして、左手で肉を掴んでパン粉のトレーの上に置いた。


「ここで使う手を変えて、右手でパン粉をまぶしていきます」


 パン粉を掴んで肉の上にかけて、右手で優しくまぶしていく。パン粉が付いた肉は、皿の上に置いた。


「ほら、片手ずつでもできる」

「そうやるのかぁ。やり方さえわかれば、こっちのもんだね」


 左手で肉を掴んでバットの中へ投入する。ひっくり返して、卵が滴り落ちるのを一瞬待ってパン粉のバットへ。右手に変えて、パン粉をまぶしていく。

 片手ずつというのは、一見効率が悪いようにも見えるけれど、スピードはそれほど変わらない。むしろ都度手を洗うよりは効率が良い。


「よし、できた」

「いい感じです。では、鍋を使って揚げていきましょう」


 コンロに用意されていたのは鉄製の中華鍋だった。


「中華鍋を使うの?」


「そうです。中華鍋は少ない量の油で揚げることができて便利ですが、深さのある小さなフライパンでも代用ができますよ。あ、小さすぎてコンロの上で安定しないものはダメなんですけれど」


「そっかぁ。揚げ物用の鍋じゃないといけないのかと思ってた……」


 イメージは左右に取手が付いているタイプの鉄製の鍋だ。実家の母がよく使っていた。


「一人暮らしだと、揚げ物用の鍋を買うのは場所も取るし、優先順位が高くはないと思うんです。でも、フライパンで揚げ物をするのは一気に温度が上がりやすいので注意が必要です」


「どんな注意が必要なの?」


「まず油の量です。2.5センチくらいの深さまで油を入れてください。少ないと一気に温度が上がって火事の原因になります。焦げやすいので、揚げるときは上下をひっくり返しながら揚げていきます。あとはフライパンについてですが──」


 福留くんは言葉を一度切った。


「テフロン加工のあるフライパンはオススメできないです。というのは、テフロン加工は材料がくっつかないというメリットがありますが、高温になると加工が剥がれたり有毒ガスが発生する可能性があるからです」


「それじゃあ、どんなフライパンならいいの?」


 家にあるフライパンはテフロン加工があるものだ。揚げ物には不向きだろう。


「結論から言うと、厚みと深さのある鉄製のフライパンです。薄いフライパンだと、すぐに温度が上がってしまってオススメできません。またフライパンにも浅型、深型とありますが浅いと油がはねてしまうので深い方がいいでしょう」


「鉄製のフライパンかぁ……」


 もちろん持っていない。興味を持って見たこともなかった。けれど、以前に福留くんと合羽橋へ行ったときに、フライパンのコーナーを素通りしていたかもしれない。


「……今度、一緒に見にいきませんか」


 願ってもない申し出。もう一つフライパンがあってもいいと思っていたところだ。ありがたい。

 でも、福留くんが緊張しているように見えたのは気のせいだろうか。


「うわぁ。助かる! 一人で買いに行くと失敗するって思った。福留くんに選んでもらいたいよ」


 福留くんの緊張を少しでも吹き飛ばせればいいな、とわざと明るい声を出してみた。

 福留くんは一瞬、笑顔を我慢するように口許を引き締めると、コンロの前に向き直った。


「今度、合羽橋へ行きましょう。……では料理の続きに戻りましょうか」


 もう少し、可愛い顔を眺めていたかったな……と残念な気持ちになりながら、「そうだね」と返事をした。


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