第八話 地下の祭壇
記憶を取り戻したイリアに連れられて来た地下の空間。
奥の壁には魔法陣が浮かぶ、壁画の描かれた扉があった。
女神の血族。
教団の真なる守り人、その血を引く者だけが開く事が出来ると言う扉に、イリアが手を触れると魔法陣は砕けて消え——扉もまた開かれた。
彼女は迷いなく部屋の中へと入って行く。
(女神の血族とは、何だ?)
疑問を胸に、ルーカスは銀糸の靡く背に続いて、部屋の中へ足を踏み入れた。
そこは手前の部屋と同じ造り、同じ形状の部屋であった。
違うところがあるとすれば——全面に血管のように木の根と見られるものが張り巡らされており、床には魔法陣が展開している。
その中心には丸く透き通った球体の収められた祭壇があった。
薄暗くはあるが、マナの煌めきに満ちていて、かつ文字の書かれた光る青い画面があちこちに浮かんでいるお陰で、最低限の光源は保たれている。
イリアが言った〝女神の血族〟、そしてこの場所が何であるかはわからない。
だが、地下を這う木の根については思い当たる節があった。
「世界樹の根……か」
創世の時代より世界の中心に聳え立ち、神秘的力の源であるマナを生み出す大樹。
マナを循環させるため、大樹が世界に根を張っているのは有名な話だ。
「そう、ここは大樹の根が集まる要、〝宝珠の祭壇〟と呼ばれる場所」
前を歩くイリアが立ち止まり、答えた。
聞き覚えのない単語に、ルーカスは首を捻る。
「宝珠……。初めて聞く名称だ」
「それはそうだよ。この場所の事は、教団でも一部の人間しか知らないもの」
イリアは止めた足を再び進め、魔法陣の中央、丸い球体の収められた祭壇の前へと立った。
その眼前には文字の書かれた画面が存在しており、勿忘草色の瞳が画面を注視して何かを確かめている。
ルーカスと、シャノン、シェリル、リシアもそれぞれ近くの宙に浮かぶ画面へと目を向けた。
画面はマナ機関で似たような構造の物を見たことがある。
だが、そこに書かれている文字は見覚えがなく、内容は読み取れなかった。
「この文字は古代語ですね」
同じように画面へ目を向けていたシェリルが、目を凝らしながら言葉を発した。
「古代語か……」
「私も齧った程度なので詳しくはありませんが、間違いありません」
古代語であれば見覚えがないのも納得だ。
遥か昔、創世の時代に使用されていたと言う、いまは使われなくなった言語で、一般教養として習うものではない。
読めるのは学者などを志し、専攻して習得している者くらいだろう。
そう思ったのだが——。
「……ええっと、惑星……」
「リシア、わかるの?」
「はい。女神様の神話が書かれた書物の原文は、古代語が多いので勉強しました」
意外にも趣味で習得している者がこの場にいた。
リシアの黒瑪瑙の瞳が、仄かに光を放つ画面の文字を追い、書かれている言葉を紡いで行く。
「……保護……命……いえ、延命? ……術式? え?」
紡がれた単語に、ルーカスは眉根を寄せた。
〝惑星延命術式〟——リシアの言った単語を繋ぐとそうなる。
どう考えても、穏やかな意味には捉えられず、嫌な予感がした。
ルーカスだけでなく、単語を読み取ったリシアも動揺を浮かべ、シャノンとシェリルも「何なの?」「……延命?」と、表情と言葉で戸惑いを表していた。
ルーカスは答えを求めるように、イリアへ視線を送った。
(この場へ導いた彼女が、何も知らない訳がない)
淡い青、勿忘草色の瞳と視線が交わって——逸らされてしまった。
その面持ちは憂いを帯びている。
無言のままイリアが祭壇の球体に手を伸ばし、触れた。
そうすれば球体が一瞬発光して、そのちょうど真上に、新たに半透明の画面——文字らしきものが羅列された操作盤が浮かび上がった。
イリアの白い指先は優しく操作盤を叩き、そして薄紅に色付く唇が、ゆっくりと言の葉を形作って行く。
「惑星延命術式——通称〝女神のゆりかご〟。
ここは世界に十……いえ、十一ある宝珠の祭壇の一つで、この場所は惑星に施された〝惑星延命術式〟を維持するための要」
〝女神のゆりかご〟——それはイリアが歌った、イリアだけの歌だと思っていた。
だが、予想外にとんでもない意味が隠されていたようだ。
ルーカスは鼓動の跳ねる音を聞きながら、ディーンの話を思い起こしていた。
枢機卿がその名を知っており、焦った様子で「限界」と口走ったと言う件を。
(あれは、こういう事だったのか)
あの時の言葉が線となって繋がった。
だが気になるのは〝惑星延命術式〟が何のための物かと言う事だ。
延命と言うからには、惑星の存亡に少なからず関わるのだろう。
それを問うため、ルーカスは言葉を口にしようとしたのだが——。
「やっぱり——術式が、書き換えられてる。それに、これは宝珠じゃない! 一帯のマナを術式のリソースへ……マナ欠乏症はこれのせい。ともかく術式の一部変更を破棄。小経を繋いで——」
焦って只ならぬ様子で矢継ぎ早に告げ、画面を確認しながら手早く操作盤を叩くイリアの姿に、開きかけた口を噤んだ。
周囲に浮かぶ画面が赤に染まり、甲高い音が鳴り響く。
不安を煽るかのような音色に、シャノン、シェリル、リシアは落ち着かない様子で、ルーカスの背後で身を寄せ合っている。
イリアが懸命に、目線と操作盤を叩く指を動かしているが、音が鳴り止む気配はなかった。
——そうして暫くの時間が過ぎても状況が変わる事はなく、イリアは作盤を叩く手を止めると拳を握りしめて、叫んだ。
「ノエル! どうして、貴方は——!」
血の繋がった彼女の弟、アルカディア教団の頂点、教皇ノエルの名を。
唇を噛んで血相を変えたイリアが駆けて横を通り過ぎ、部屋を飛び出そうとする姿が見えて——ルーカスは慌てて彼女を追い、その手を掴んだ。
「イリア、待ってくれ!」
「放して! 行かないと! あの子を止めないといけないのよ!」
振り向いて声を張り上げたイリアは、酷く動揺しているようだった。
今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
「どういう事なんだ? 説明してくれ」
こうまで取り乱す理由とは何なのか。
彼女の力になりたくても、その理由がわからないままではどうする事も出来ない。
尋ねれば、イリアは苦しげに顔を歪めて、体に力が籠るのが掴んだ手首から伝わってきた。
「——あの子は、ノエルは! 世界のために、私のために、世界中の人の命を犠牲にするつもりなのよ!」
悲痛な叫び声が耳に響く。
彼女の口から飛び出たのは、にわかには信じ難い衝撃的な話だ。
だが、教皇ノエルと対峙した時に見せた彼の言動——怒りと絶望を知った眼差しに、氷のような殺気を放つ姿が脳裏に浮かんで、あり得ない事ではないと思えた。
過去の自分がそうだったように、激情を秘めた人間は感情が爆発した時、何をするかわからない。
「それはここにある、〝惑星延命術式〟と関係あるのか?」
「そうよ! このままだと、取り返しのつかない事になる! だから、行かないと、止めないと……!」
イリアもまた、感情に流されるがまま行動を起こそうとしているのが見て取れる。
ルーカスは努めて冷静に振る舞う。
「とりあえず落ち着くんだ。止めるにしても、君一人でどうにかなるのか?」
「でも、だとしても、私が止めないといけないのよ! 私にはその責任が——!」
「いいから落ち着け」
切実な声で大きな勿忘草色の瞳を揺らし、今すぐにでも手を振り切って走り出そうとするイリアを、ルーカスは逃さなかった。
両腕で捕まえて抱き込み、強張る彼女の体と気持ちを落ち着かせるように優しく背を叩きながら、耳元で囁く。
「言っただろう? 力になるって。一人で背負うな、頼ってくれ」
「——あ……」
そうすれば、幾分か落ち着きを取り戻したのか、イリアの肩から力が抜けて、脱力していくのがわかった。
「……ごめん」
静かな高音域の呟きが聞こえ、銀糸の流れる頭が肩に寄せられた。
——先程までのように、急に駆け出す事はもうなさそうだ。
「とりあえず、一旦ザフィエルへ戻ろう。そこで話して欲しい。イリアが何を抱えているのか、教皇ノエルが何をしようとしているのか」
「うん」
イリアがこちらの胸に手を当て、軍服を握り込んで震えている。
その姿は抱え込んだ事態の大きさを、物語るかの様だった。
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