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ランドリーで推論を  作者: 片宮 椋楽
第4話 どうがいいとわかっても~世間を騒がすディープフェイクで作られた告発動画と奇妙な言葉を残して消えた恋人……二つの騒動に隠された真実と伝えたかった想いを、いま〜
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4.すいへーりーべーぼくのふね

「付けてない、って?」


 美波が呟いたその言葉の意味がなんなのか、光莉は思い切って尋ねてみた。


「あっ、いや」


 戸惑いと躊躇いで美波は言葉を詰まらせた。まだ自信がないからなのだろう。だが、それも一瞬のこと。自論を納得してくれるのか、何か他にヒントが得られるのではないか。考えを切り換えた美波は、これまでの時点で気になることについて話し始めた。


「皆さんは、どう、という言葉を使う場面について、例えば、いつどんな時に使いますか」


「使う時か。ええっと……」


 光莉はつっかえる。よく口にしたり、耳にしたりする言葉であるのだが、突然話題を振られたせいもあり、すぐに出てこない。どうにか頭を起こし動かし、思い浮かべた。そして、然程かからずに、「あっ」と閃いた。


「具合どう、みたいに尋ねたり、今日の午後どう、とか予定が空いてるか確認する時に使ったりするかも」


「そうですよね。では、ええっと……伝え方が少々難しいのですが、こういったメッセージアプリ上での会話で、文章にしてやり取りをする時には、どのようにして送りますでしょうか」


 反応したのは波止中。「そりゃ、調子どう、で、終わりにハテナを付けて……」


「そう、クエスチョンマークです」


「……えっ、ごめん、ちょっと話が見えない」


 続けざまに「てかめっちゃ饒舌になってね?」と波止中が呟くも、美波には聞こえなかったのか、「つまり」とそのまま話を進めていく。


「文章ではその人の言わんとしている語気や語調などが伝わりづらく、誤認させてしまうことがあります。それを防ぐため、また意味を補う観点から、特に友達や家族同士のこういったプライベートなやり取りの際には、記号を用いたりすることが多いかと思うのです」


 光莉はふと思い出したことがあった。それはつい半年ほど前、新入社員にビジネスメールの書き方を教えている時のこと。先方への日程調整のメール文面の最後に、クエスチョンマークを用いようとしていたのだ。

 送る前に注意が出来たので特段問題は無かったが、そのまま一人で行っていたら、相手にビジネスマナーとして不適切と捉えられてしまいかねなかった。その際、指摘した時の新入社員の反応からして、疑問系の文末にクエスチョンマークを用いることが当たり前と思っていたよう。

 新入社員ですら、そうなのだ。今回、文面のやりとりをしているのは、より若い大学生同士。その傾向はより強くなるのではないか、光莉でもそのことは容易に想像することができた。


「今回の場合、この言葉を選んだのだとすれば、もし何かを尋ねる意味で送ったのだとすれば、語尾にクエスチョンマークを付けたりして、表現する気がするのです」


 片桐は片眉をひそめる。「でも、何も付いてないよね。ただ、どう、とだけ」


「はい。となるともしかして彼女さんは、尋ねるというニュアンスで送っていない、のではないでしょうか」


「なら、間違えたり(やっこ)さんの反応を待っていたってわけじゃないってことかい?」


「はい」大きく頷いた美波。「だから、この“どう”だけで意味の成立する言葉なのだと思います」


 だから、付けてない、と呟いたのか。そう光莉は心で呟いた。


「しっかし、どう、だけでどんな……あっ、どう(・・)いう意味なのか」


 片桐が言い直したそのわけがダジャレを言うためだと勘づいた光莉は、「わざわざ言い直すまでのことですか」と、眉の影を濃くした。


「こういうのはね、言っておかないと後悔しちゃうんだよ。なんか分かんないけど、不思議とね。オッさんになれば分かるよ」


「残念ながらアタシ、オッさんにはなれません」と、光莉はさっと流す。


「はぁぁ」片桐は頭の後ろで手を組んだ。「生の読み方が〜とか呑気に話してた頃が懐かしいよ」


「懐かしいって、ついさっきじゃないですか」


「懐かしい、ってどんな話してたんっすか?」波止中が興味深そうに尋ねてきた。


「生きるって字の読み方が沢山あるね〜って話」


「あーあ、逆に、読みが一番多いらしいっすからねぇ」


「そう、らしいね」


 光莉はそう応えるも、片桐は「あれだね。ずっと思ってたんだけどさ、君って軽いよね」と言う。


「そうっすか?」と首を傾げる波止中に、片桐は「うん」と縦に大きく頷いた。


「ホントっすか?」


「ホント。発言も、逆って言葉を多用しているところも」


 光莉も思っていたことを、片桐は発散するかの如くぶちまける。


「軽いっすか?」


「うん、もう、ヘリウムぐらいね」


「ヘリ……ウム?」


 波止中は聞き馴染みありません、と言わんばかりに、この上ないきょとん顔を浮かべていた。


「すいへーりーべーぼくのふね、のへー、の部分」


 分かりづらい説明だというのに、片桐は何故か少し自慢げだ。


「はぁ……」だが、ピンときていない波止中。


 光莉が補足を加える。「水素の次に軽い物質。ヘリウムガスとかで聞いたことない? よくテレビとかで、鼻をつまんで吸うと声が甲高くなるアレ」


「ああっ、はいはいはいはい」小刻みに頷く波止中。「あれっすね。あれ、ヘリウムっていうんすね」


 やっとピンときたみたいだ。今度の反応に嘘はなさそう。


「あれだよね、風船にも使われてたと思うんだけど」片桐はどこか自信がなさげだった。


 そのため、補足するために、光莉は助け舟を出す。


「そうです。昔は水素でしたが、可燃性なので今は使用されてないです。代わりに可燃性ではなく、かつ空気よりも軽いヘリウムガスが用いられてます」


「へぇー、それのことを、ヘリウムって言うんすね〜便利っすねぇ〜」


 初めて聞いたかのような反応に、片桐は疑問に思う。「あれ、高校の時に習わなかった?」


「あっいや、習ったは習ったと思うんすけど、数学とか化学とか物理とか、俺てんでダメなんすよ。大学受験の時にも、数学とか化学とか物理とかを受けなくても受けられる私立ばっか選んだぐらいで。三角関数とか元素記号とか力学的エネルギーとか、ホント訳分かんないっすよねぇ」


 波止中は苦々しい顔で首を横に何度か振った。


「の割には、よく専門用語を覚えてるね……あっ逆に」


「いや、受験勉強のが辛うじて。あと、ほら彼女が理系だったんで」


「……ごめん、そこ直結しない」


「分からないと、都度都度叩き込まれました」


「愛のムチだねぇ〜」


「ええ……」


 嫌な思い出なのか、今までには見せなかった苦々しい顔になる波止中。その表情から察するに、愛のムチではなく、スパルタなのではないかと光莉は思っていた。


「ヘリウム……」


 静かだった美波が急に反応を示す。見ると、顎に添えるようにして指先を置いている。


「ヘリウム……元素……あっ、そうかっ!」


 美波は目を見開く。そして、勢いよく立ち上がった。周りは少し仰反る。


「な、何か分かったの?」光莉は声をかける。


 美波はおもむろに顔を向ける。


「ええ」


 美波の口角は上がっていた。その満面の笑みには、何かを気づけたこと、そしてその気づきには確信めいたものがあった。


「あくまで、私の推論ですが」

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