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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第87話


 私は部室でユニフォームにそでを通した。髪を頭の後ろで結ってバレーシューズに足を差し入れる。


 アームスリーブに腕を通して深く空気を吸い込んだ。おびえを息に乗せて吐き出し、ドアノブに腕を伸ばして握力を込める。


 部室を後にして肌寒い空気を突っ切った。体育館内に続く扉を開いて内部の光景を視界に収める。


 広々とした空間はがらんとしている。


 負傷するまでは人気のない体育館で調練に励んだものだ。あの頃は寂しさなんてみじんも感じなかったのに、今は私一人取り残されたみたいで強烈な寂寥感せきりょうかんに駆られる。

 

 足を前に出して体育館に踏み入った。倉庫のドアを解錠してほこり臭さに包まれる。


 ホイールをガタガタ言わせてボールかごを引っ張り出し、持ち上げたボールを床に叩きつける。


 アップはもう済ませてある。ボールを相手に一人練習に臨む。


 トス、レシーブ、普通のサーブ。


 ジャンプサーブまで一通りやったところで、左右に分かれる扉が一人の女子をのぞかせる。


 片桐凛子。一年生の頃のクラスメイトが微かに顔をしかめる。


「来てたんだ」

「うん。試合してもらう身だから準備しておこうと思って」


 レギュラーはまだ確定していない。私が顧問や部活仲間に頭を下げて保留にしてもらった。


 今日の試合でレギュラーかベンチを温める係になるかが決まる。否応なしにボールを握る手に力がこもる。


「殊勝な心がけね」


 重々しい扉が体育館内と外を隔てた。大きめな音が閉め切られた監獄の扉を想起させる。


 凛子と協力して支柱を体育館の床に立てる。


 二本目を持ち出すべく倉庫に戻る。


「ねえ」

「ん?」

「秋村はどうして今日試合しようと思ったの?」

「どうしてって、納得がいかないからだよ。みんなに迷惑はかけちゃうけどさ」

「自覚はあるんだ」

「そりゃあるよ。練習頑張ってるのはみんな同じだもん。私がレギュラーになったら誰かがベンチに下がることになるし」

「ふーん。本気でレギュラー狙いに来てるんだ」

「うん。私が休んでる間に頑張ってたみんなには悪いけどね」

「嘘でしょ」

「え?」


 思わず支柱から視線を外した。

 

 無表情な顔が淡々と言葉を連ねる。


「本当に本気なら、秋村がここにいるはずない」

「それってどういう意味?」

「さあ」


 むっとする。


 今は支柱を運んでいる。喧嘩になって足の上に落としたら目も当てられない。


 微笑に努めて口を開いた。


「昔みたいに燈香でいいよ」

「今はやめとくよ」

「……そっか」


 二人でネットを広げて体育館を飾る。


 他のメンバーもぞろぞろと体育館に到着した。各自アップを済ませて練習に励む。


 最後にやってきた女性の号令で整列した。


 男性顔負けのハキハキとした指導員。みんなは畏怖いふを込めて教官と呼んでいる。


 点呼を終えた教官が紙を取り出して声を張り上げる。

 

 読み上げられたのは名前。一人ずつ前に出て二つのチームが形成される。


 私の名も呼ばれた。元気よく返事をしてチームメイトと肩を並べる。


「秋村、お前だから時間を取った。失望させてくれるなよ」

「はい!」


 声を張り上げてコート内に踏み入った。仲間に軽くあいさつをしてコートの外に出る。


 私はウィングスパイカーだけど、ひざを故障する前はジャンプサーブで点をもぎ取ることも得意としていた。リベロを務める田中先輩以外でまともにレシーブできる人はいなかったくらいだ。


 私の価値を示すにはこれ以上ない要素。呼吸を整えてボールを放った。助走の慣性を乗せて腕を振り抜く。


 いい感触。音も軌道も完璧だ。


 ボールが向かう先にあるのは、先程険悪な雰囲気になりかけた同学年の顔。


 私怨しおんじゃない。


 凛子はレシーブを苦手としていた。狙うなら凛子一択だ。


 先制点いただき!


 そう思った次の瞬間にはボールが浮き上がっていた。


 セッターの打ち上げを経てボールが再度山を描いた。スパイカーが床を蹴って腕を振りかぶる。


 流れるようなスパイクが私たちのコートの床を打ち鳴らした。


「どんまい。あれ取られちゃ仕方ないよ」


 励ましの言葉が耳から耳へと抜ける。


 微かに残っていた闘志の炎が、一気に揺らいで弱まっていく。


 そこから先は散々だった。レシーブを失敗して連続得点を許し、つまらないミスを連発した。


 相手チームのマッチポイント。


 サーバーは凛子。しなやかな腕から打たれたボールが山を描いてネットを越える。


 レシーバーがボールを上げた。

 

 最後のアピールポイント。ネットの前まで走ってセッターからのトスに備える。


 来た。


 床を蹴って背筋を反らした。ブロッカーの位置を視野に収めつつ右腕をムチのごとくしならせる。

 

 打撃音に続く打撃音。床を跳ねたボールがてんてんてんと転がる。


 試合終了のホイッスルが鳴り響いた。


 凛子が冷やかな視線を送る。


「気は済んだ?」

「……うん」


 返す言葉もなく、その二文字だけを告げた。


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