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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第78話 くせになってしまいそうだ

 

 両腕がゴーグルを持ち上げて整った顔立ちを露わにする。


「柴崎さん」


 俺の言葉に混じって息を呑む音が聞こえた。


 普段柴崎さんは眼鏡をかけている。ルームメイトがレンズやフレームに飾られていない顔を見たのは初めてだったのだろう。


 それを踏まえても視線に熱を感じる。もしやと思って、受けて立つと奮い立っていた気力が微かに削がれる。


 でもここまで来たら引くに引けない。残った苛立ちに身を任せて口を開いた。


「この人たちに体当たりされたんだよ。二日連続で」

「何だよその言い方、やめろよ」


 先程よりも声色が控えめだ。女子を前にして臆したんだろうか。


 俺の知ったことじゃない。


「その言い方ってなんだよ。事実だろ」

「それは」

 

 田中が口をつぐむ。


 続く言葉はない。


 柴崎さんが沈黙を破った。


「何か経緯がありそうですね。あなたが萩原さんにぶつかったのは本当なんですか?」

「あ、ああ」

「それなら謝って終わりにしませんか? スキー講習の最終日ですし、このまま時間が潰れるのは本意じゃないでしょう?」

「俺は謝ったし」

「萩原さんが納得してません。ぶつかったのは二度目みたいですし、故意と勘繰られてもおかしくありませんよ。もっとちゃんと謝るべきだと思います」


 柴崎さんが真面目な面持ちで田中を見据える。


 落ち着いた声色ながらも理路整然としていて隙がない。下手に声を荒げられるよりも口少なになりそうだ。


「……何でだよ」


 田中が悔し気にうつむいて指をぎゅっと丸める。


 怪訝に思って目を細めるとルームメイトがバッと顔を上げた。


「何でお前ばっかりいい思いをするんだよ⁉ 一年前は俺らと同じだったくせにお前ばっかり好かれて、理不尽じゃないかッ!」


 視線を横にずらすと、もう一人のルームメイトも眉をひそめている。


 田中と似た考えのようだ。故意か偶然かはともかくとして、ルームメイトが俺を嫌っている理由はこれに違いない。


 察して口から深いため息がもれた。


「ようやく合点がいったよ。勝手に親近感を抱いたあげくに嫉妬したわけか。陰湿な奴らだな。やっぱり昨日もわざとぶつかってきたんだろ」

「わざとじゃねえって言ってんだろ!」

「どうだか。昨日俺が部屋に戻った時はへらへら小ばかにしてたし、わざとじゃないと言われても信じられないな」

「それとこれとは話が違う!」


 違うとは言い切れない。


 態度は言葉に出るものだ。仲のいい相手ならからかうこともあるだろうけど、俺たちの関係は他人よりも深いみぞがある。俺には、昨日の態度は嘲りにしか映らなかった。


 ともあれ確かにそれはそれだ。


「そうだな。それとこれとは話が違う。わざと体当たりしたことを証明する手段がないし、故意を認めさせたところで殴るわけにもいかない。柴崎さんの言う通り、もう謝って終わりにしよう。聞いてやるから」

「謝らない」


 田中の声色が微かに震えた。


 意固地になった子供をなだめる気分だ。被害者は俺なのに、どうして俺がこんな思いをしなきゃいけないんだろう。一年前俺が泣きそうになった時は、なだめるどころかクラスメイトと同調して嘲笑ったくせに。


 腹が煮える。いっそこのまま泣かせてやろうか。


 クラスメイトが反面教師になってくれたから手法には覚えがある。眼前の顔がぐちゃぐちゃになってわめく姿を見ればすっきりするに違いない。


 これ見よがしに深く息をはき出した。


「謝らないって、あのなぁ小さな子供じゃないんだからさ」

「何で悪くないのに謝らなきゃいけないんだよ! 秋村さんや魚見さんに構ってもらってるからって調子に乗ってんじゃねえ!」

「ひどい……」


 柴崎さんのつぶやきで田中がハッとする。


 中立だった柴崎さんの態度が明確にかたよった。


「何ですかその言い方、萩原さんがせっかく譲歩してくれたのに。あなたは加害者の自覚があるんですか?」

「な、なんだよ、柴崎さんには関係ないだろ」

「ありますよ。萩原さんは私の大切な人ですから」


 ルームメイトの顔が悲痛にゆがむ。


 想像通りの展開だ。


 柴崎さんへの矢印を感じたからまさかとは思ったけど、ここまでうまく事が運ぶとは。むかつく相手を手の平の上で転がす感覚。不覚にもくせになってしまいそうだ。


 どうする、ここで止めておくか? 


 けどこんな機会はめったにない。二度とこんなことができないように刻み付けるのも……。


「もうその辺にしておけよ」

 

 ザクッと雪の潰れた音が鳴り響いたのは、とどめの言葉が口を突こうとした時だった。


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