第24話「ミクの想い①」
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翌日。
ヴィクトリア宮殿の廊下を、1人の少女が歩いている。火のように真っ赤な髪に、桜の模様が入った振袖を羽織っている
十人委員会の『No.6』、人形使いのミクであった。
「ユキのやつ、怒ってるかな?」
昨日、何となく帰りにくかったあたしは、コトリの家に泊めてもらった。物言わぬ友人は何かを察したのか、あまり追求することなく家に入れてくれた。
「べ、べつに、アイツのことなんか何とも思ってないし! でも、ちょっとくらいは罪悪感があるっていうか…」
誰に言うわけでもなく、ブツブツと呟く。
廊下をすれ違う宮殿の兵士達は、あたしの姿を見つけると、直立不動のまま敬礼を送る。中には、脂汗までかいている者までいた。
1ヶ月ほど前、あたしは『追放された島』の刑務所に収監されてから、わずか1日で、その刑務所を手中に収めたという伝説がある。他にも、素手で軍艦を破壊したり、40人の小隊を壊滅させたり。噂では、10万体のゴブリンを1人で殲滅したなど、語るべき鬼伝が数知れない。宮殿の兵士にとってあたしは、機嫌を損ねると何をするかわからない。魔王のような存在でしかないのだろう。
「ねぇ、ちょっと」
「は、はいっ! な、な、なんでございましょうか!」
その魔王に声をかけられた兵士は、裏声になりながら答えた。
既に男の脳裏には、愛すべき恋人の笑顔が浮かんでいる。
…回答を間違えたら、…殺される!
「ユキの姿って見た?」
「ゆ、ゆ、ユキ様ですか! お、お、恐らく、執務室にいらっしゃるのではないかと!」
「それって、どこ?」
「あ、あちらの階段を昇って、真っ直ぐ行った突き当りの部屋です!」
「そ。ありがとうね」
ほっ、と一息ついた兵士だったが、あたしが再び声をかけたせいで、まだ固まってしまう。
「ねぇ?」
「は、はいっ!」
「アンタ、何でそんなに汗をかいているの?」
「ひっ! そ、それは!」
楽しかった思い出が走馬灯のように駆け巡る。恋人が笑顔が、今は遠い。
あぁ、キシリアさん。
僕は今日、死ぬかもしれない。
やはり、あの壺をプレゼントしておくべきだった。
男ははっきりと、そう思った。
「べ、べ、別に、あ、あ、汗など! そ、そういえば、今日は暑いですね! あ、あはは、あはははは!」
男が浮かべる必死の愛想笑いは、見るからに不気味だった。
だが、ミクはそれ以上は追求しなかった。
「そ」
それだけ言って、視線を外す。
「あんまりさ、そんな怖がらないでよ。古傷に塩をすり込まれるみたいで、…なんか、傷つく」
「え?」
独り言のように呟いて、そのまま歩き出した。
宮殿兵士の男は、毒気を抜かれたような表情をして、その場に立ち尽くした。
「あっ、ミク!」
宮殿の廊下で、真っ赤な髪をした少女を見つけた。
ボクが声をかけると、ビクリと肩を揺らして、ゆっくりと振り返る。その表情は、少しだけ後ろめたそうだ。
「…ユキ」
落ち着かないように視線をさまよわせながら、妙にそわそわしてる。
怒られている子供みたいで、その姿がちょっとだけ可愛い。
「…ごめん。昨日は帰れなくて」
「うん、大丈夫。昨日はどこにいたの?」
「コトリのとこ。無理言って、泊めてもらった」
「…そう」
ボクはそれっきり、黙ってしまう。
色々と聞きたいことはある。
体調は大丈夫、とか。
なんで昨日は帰らなかったの、とか。
どうしてクラーケンの討伐に参加しないのか、とか。
聞きたいことは山ほどある。
だけど、どこまで聞いていいのかわからない。
どこまで踏み込んでいいのか、わからない。
「…じゃあ、ボクは会議があるから」
「会議? あたしは聞いてないけど」
「え? あー、クラーケン討伐の会議だからかな。ヴィクトリアの人には言ったんだけど、ミクには伝えられてないのかな?」
「…そう」
ミクが無表情で答える。
顔色から何を考えているのか察するのは難しい。
…でも。
…それでも。
…いつもと違う。
…それだけは、はっきりとわかる。
「ねぇ、ミク。大丈夫?」
「何が?」
「なんか、調子が悪そうだよ。何か困ってることがあるのなら、相談してほしいな」
「困ったこと…」
ミクは小さく呟くと、視線を外へと向ける。
そして、しばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「ユキ。聞きたかったことがあるんだけど?」
「なに?」
「…いつから、あたしのことを『ミク』って呼ぶようになったの?」
「え?」
意外な問いに、思わず面食らってしまう。
「元の世界じゃ、いつも『御櫛笥さん』って呼んでたよね? いつから、ミクって呼ぶようにしたの?」
「う、うーん、いつだったかな? この世界に来てからだと思うんだけど」
唇に人差し指を当てて考える。
そんなボク姿を、ミクが訝しそうに見つめていた。
「ごめん。よくわからないや。それがどうしたの?」
「ん、別に。…そういえば、今日の服は可愛いね。そのワンピース、自分で選んだの?」
「うん、そう。いつもはミクに任せちゃってるから、ちょっと自信ないんだよね。変じゃない?」
「…大丈夫。すごく可愛いよ」
「そっか。えへへ、嬉しいな」
ぴょんと跳ねて、くるりと回る。
短めのスカートが翻り、長い髪が尻尾のように踊る。
「今朝はミクがいないから、大変だったよ。2人とも寝坊しちゃって、朝ごはんも食べられなかったしね。やっぱり、ミクがいないとダメだね」
頭をかきながら、恥ずかしそうに笑う。
目をそらして、彼女と正面から向き合うのを避ける。
…だから。
…だから、気づけなかった。
…気づこうとしなかった。
…気づかないふりをしてた。
…ずっと。
…ずっと。
…2年前の、あの学校の屋上から、…ずっと。
「…なによ、それ」
「え」
ボクは笑うのをやめて、ミクの横顔をまじまじと見る。
そこでようやく気がついた。
ミクが、怒っていた。
涙を流しながら、…怒っていた。




