第21話「クラーケンの襲撃」
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「クラーケン?」
十人委員会の会議室で、ボクはまぬけな声を出してしまう。
「うむ。今朝、ヴィクトリアの漁業組合から連絡があった。アドリア海の遠洋で、クラーケンを見たそうだ。今は、コトリに確認に行ってもらっている」
いつもはジンの膝の上にいるコトリの姿が見えない。今ごろ、召喚獣に乗って空を飛んでいるに違いない。
「まだ距離があるので、ここに向かっているのかは不明だ。だが、遠洋に出る漁師達には死活問題となろう。早急に対応する必要がある」
そう言い切って、ゲンジ先輩は腰を降ろす。
「クラーケンかぁ…」
ボクは頬杖をつきながら、ゲームだった頃を思い出す。
クラーケンは海上で遭遇するフィールドボスである。大きさは、20メートルから30メートル。タコのような触手をもった、クラゲみたいなモンスターだ。その長い触手で船を海中に引きづり込んだり、大波を起こすなど広範囲の被害も引き起こす厄介な存在だ。
だが、その巨体にしては、倒しやすいボスモンスターとしても有名だった。中堅のプレイヤーでも数人のパーティを組めば難なく倒せるし、上級プレイヤーではソロで討伐することも不可能じゃない。ボク達、十人委員会のメンバーからしてみれば、ただのザコモンスターとなんら変わりない。
「まぁ、倒せなくはないよね」
「そうだな。ゲームだった頃は、倒すのに1分もかからなかったもんな」
「うむ。問題はないとは思うのだが…」
皆が相談しながら、言葉を濁していく。
ボクも同じことを考えている。
ゲームで楽勝だったからといって、この世界でも同じように事が進むとは限らない。
死ねば終わりだ。
慎重になって当然だし、臆病になって然るべきだ。勇気と蛮勇を履き違えてはいけない。自分の身を守る。それが生き物としての最低条件だ。
「…誠士郎先輩は、どう思います?」
ボクは斜め向かいに座っている細身の男に声をかける。
すると、その男は眼鏡を押し上げながら、不機嫌そうに目を細めた。
「僕に聞かないでください。そんなことは、あなた達でなんとかできるでしょう」
冷たい口調で言い放つ。
小泉誠士郎。
ボクの1つ年上の先輩で、ついこの間、合流したばかりのメンバーだ。
「おい、誠士郎。そんなに邪険にすることはないだろう」
ゲンジ先輩が苦言を呈すると、他のメンバーもそれに乗っかる。
「そうだぜ、誠士郎。もっと仲良くしようぜ」
「だよね、誠士郎」
「誠士郎先輩。ちゃんと会議に参加を…」
ぴくり。
男の眉間に皺が寄った。
「だぁーッ! やかましい! さっきから何ですか、誠士郎、誠士郎って! 何で皆、呼び捨てなんですか! ボクは先輩なんですよ! 先輩である僕が敬語で、何であなた達がタメ口なんですか!」
誠士郎先輩が突然キレた。
机をバンバン叩きながら、ボクたちを睨みつける。
「そう言われてもな。あんなダメ人間なところを見せられたら、もう先輩とは呼べねぇよ。なぁ、ミク?」
「そだね。敬語ってのは、敬う人に使うんでしょ。誠士郎には、タメ口で十分でしょ」
ミクとジンが頷きあっている。
そこに、ゲンジ先輩が付け加える。
「まったく。貴様は何が不服だというのだ。せっかくこうして仲間達と再会できたのだぞ。もっと楽しそうにしたらどうだ?」
ぴくっ、ぴくっ!
誠士郎先輩の眉間の皺が深くなっていく。
「はぁ! はぁぁぁ!? 何を言ってるんですか、源次郎! 今、僕が何をしているのかわかってるんですか?」
「書類業務だな」
「そうですよ! そうなんですよ! あなた達に捕まってから、ずっと僕は判子とサインを書き続けているんですよ! この状況を、どう楽しめとっ!」
「それは自業自得というやつだ。今まで遊んできたのだから、その報いは受けてもらおう。お前はそこで、機械のように印鑑を押し続けていればよい。貴様はハンコを押すだけのマシーンになるのだ」
「馬鹿なことを言わないでください! だいだい、なんですか。この国の書類は。書式もバラバラ。用紙のサイズもちぐはぐで、内容が被っているのも多すぎる。もっと、好率的にできないんですか!」
誠士郎先輩は大声で騒ぎながら、それでも印鑑を押す手を止めない。
さすがは、書類業務の鬼だ。
「すみませんね、誠士郎先輩。ボクが仕事を押し付けたばっかりに」
申し訳なくなって、ボクは頭を下げる。
すると、先ほどまでの怒りが嘘だったように、誠士郎先輩が爽やかな笑みを浮かべた。
「ははっ。何をいうのですか。ユキりんの頼みだったら、これくらい容易いことですよ」
キラリ、と歯を煌かせながら決め顔を浮かべる。
「うん、ありがとう。でもね、誠士郎先輩?」
「はははっ、何ですか? ユキりん?」
「…次、ボクのことを『ユキりん』って呼んだら、頭を吹き飛ばすから」
にこり、と笑みを浮かべる。
「ははっ、嫌だな。ユキり…」
「あ? なに?」
「ゆ、ゆ、ユキ君は…。は、ははっ、はははははっ」
誠士郎先輩が焦りながら遠くを見つめ始めたので、ボクは腰の『ヨルムンガンド』から手を離した。




