第19話「王女さまの平日」
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風がそよぎ、海が鳴る。
カーテンの隙間から零れる朝日と、わずかに聞こえてくる海鳥の囀り。まだ、朝日が昇って間もないというのに、外からは色んな音が聞こえる。
海の音。
風の音。
遠くで海鳥が泣いていると思えば、近くで舟乗りたちの立ち話が耳を打つ。
目が覚めても、もう一度、ゆっくりと瞼を閉じる。
そして、世界の音色に耳を澄ませる。
あぁ、今日もこうやって始まるんだなぁ。なんてことを思いながら、私、アーニャ・ヴィクトリアはゆっくりと目を開ける。そして、目の前にいる大好きな人の寝顔を見ながら、今日の幸せに感謝するのだ。
「…おはよ、ユキ。…今日も、いい日になりそうだよ」
目の前の彼女は目を覚まさない。
長い黒髪をベッドいっぱいに湛えながら、規則正しい寝息を立てている。
白い肌。長い睫。柔らかそうな頬っぺた。どこを見ても、可愛いとしか思えない。この女の子を可愛くないなんていう輩がいたら、即刻、断頭台に送りつけてやる。
私の名前は、アーニャ。
本当は、アリーシア・マリ・ドージェ・ヴィクトリアっていう名前で、この国の王女様だ。ゆくゆくは女王になることが約束されていて、私が大好きなこの娘をヴィクトリアの王妃に、つまりお嫁さんにするのが、もっぱらの私の野望でもある。
私の朝は、幸せな2度寝で始まる。
ベッドが3つ並んだ寝室で、夜明けと共に目を覚ます私は、隣で寝ているユキのベッドに潜り込むのだ。…夜這いである。
そのまま、大好きな人の寝顔をたっぷりと堪能したあと、こみ上げてくる睡魔に身を任せ、2度寝に落ちるのだ。
「ほらっ、早く食べなさいよ」
朝食は3人でテーブルを囲う。
私と、ユキと、もう1人の同居人であるミクだ。この真っ赤な髪をしたツンデレ娘のせいで、私とユキの関係はなかなか進展しない。同じベッドで寝てただけで蹴り落とされるし、お風呂を覗こうとしたら背後から首を絞められたあげく、玄関の外に放り出されてしまった。…仮にも、王女なのに!
朝食を食べたら、私たちは宮殿へ向かう。
お仕事だ。
私は女王になるための勉強に、ユキとミクは『十人委員会』のメンバーとして様々な要件をこなしている。『十人委員会』の会議室は宮殿内にあるので、中庭までは一緒に出勤できる。それからは少しの間、お別れしなくてはいけない。寂しい。
昼食はユキたちと一緒に食べている。
安らぎを得る貴重な時間として、せめてユキの笑顔を見ないと心が折れそうになるのだ。
ご飯は宮殿の近くにある軽食店で取ることが多い。ショーケースに並べられているサンドイッチやパニーノ(パンに生ハムなどを挟んだ軽食)を注文して、カウンター越しに立ったまま食べる。それがヴィクトリアの軽食のスタイル。ここでは昼間から赤ワインを飲む人もいるが、ユキたちがアルコールに手を出したとこは見たことない。
「あー、お腹すいたね、何を食べようかなぁ」
「ちっ。なんで、あたしまで」
今日はユキとミクと一緒に食べることになった。
正直、ミクとはまだビミョーな距離感で、ユキがいないと会話が滞ってしまうのが難点だったりする。
「…なによ」
「えっと。…なんでもない」
とりあえず笑顔を向けてみるが、どうにも反応は乏しい。
いつかミクとわかり合える日が来るのかな?
「ぎゃははっ! よぉ~、ねぇちゃん。かわうぃぃね!」
ふと見ると、ユキが2人の酔っ払いに絡まれていた。
こういった場所ではよく見る光景ではあるけど、ユキが言い寄られているのは気分が悪い。
「こんなとこで飯食ってんならさ~、俺らと一緒に遊ばね~」
「ぎゃはは! ベッドの上で一晩中、可愛がってやるぜ!」
「そうそう~。俺らがさぁ~、大人の女にしてやんよ~」
2人の酔っぱらいは酒臭い息を吐きながら、馴れ馴れしくユキの肩に手を触れた。
…その瞬間。
「いくぞ!」
「もちろんっ!」
ガタン、と私とミクが勢いよく立ち上がる。そして、真っ直ぐ酔っ払いへと向かっていく。
「あ? なんだお前ら、…ぐはっ!」
「ぐへっ!」
そのまま無言で男たちに拳を叩き込んだ。
ぐしゃん、と店の外に放り出す。
「痛ぇ。おい、いきなり何を―」
「「選びな」」
「…は?」
男たちは地面に倒れたまま、腕を組んでいる私とミクを見上げる。
「全身の骨を粉々に砕かれてアドリア海に沈められるのと―」
「経絡秘孔を突かれて爆死するのと、どちらかを選びなさい」
ズンッ、と男達を見下ろしながら冷酷に言い放つ。
「ひいっ!」
「「さぁ、選べ!」」
「ちょ、ちょっと。待ってく―」
「そうか両方か」
「素直なのはいいことね」
「ま、まだ何もいって―」
男たちは口を開いたまま顔を真っ青にしている。そんな2人を、薄暗い路地裏へと引きずっていく。
「ひぃぃぃぃっ!」
「嫌だ! 嫌だよぉ!」
泣き叫ぶ声を無視して。
人目のつかない場所から、怒声が飛び交うのだった。
「「てめぇらに明日を生きる資格はねぇ!」」
ユキに手を出す輩に、容赦はいらない。
2つの大きなゴミを水路に放り投げて、私たちは店内へと戻っていく。
「ど、どうしたの? 2人とも急に?」
何も知らないユキが戸惑ったような顔を浮かべる。
「あはは、気にしなくていいよ」
「そうそう。悪い虫を河底に沈めてきただけだから」
タンッ、と私は笑顔でミクとハイタッチを交わす。
その様子を見て、ユキが微笑む。
「ふふっ、2人って意外に仲がいいよね」




