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第19話「王女さまの平日」


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 風がそよぎ、海が鳴る。


 カーテンの隙間から零れる朝日と、わずかに聞こえてくる海鳥の囀り。まだ、朝日が昇って間もないというのに、外からは色んな音が聞こえる。


 海の音。

 風の音。


 遠くで海鳥が泣いていると思えば、近くでゴンドラ乗りたちの立ち話が耳を打つ。


 目が覚めても、もう一度、ゆっくりと瞼を閉じる。

 そして、世界ヴィクトリアの音色に耳を澄ませる。


 あぁ、今日もこうやって始まるんだなぁ。なんてことを思いながら、私、アーニャ・ヴィクトリアはゆっくりと目を開ける。そして、目の前にいる大好きな人の寝顔を見ながら、今日の幸せに感謝するのだ。


「…おはよ、ユキ。…今日も、いい日になりそうだよ」


 目の前の彼女は目を覚まさない。

 長い黒髪をベッドいっぱいに湛えながら、規則正しい寝息を立てている。


 白い肌。長い睫。柔らかそうな頬っぺた。どこを見ても、可愛いとしか思えない。この女の子を可愛くないなんていう輩がいたら、即刻、断頭台ギロチンに送りつけてやる。


 私の名前は、アーニャ。

 本当は、アリーシア・マリ・ドージェ・ヴィクトリアっていう名前で、この国の王女様だ。ゆくゆくは女王になることが約束されていて、私が大好きなこのをヴィクトリアの王妃に、つまりお嫁さんにするのが、もっぱらの私の野望でもある。


 私の朝は、幸せな2度寝で始まる。


 ベッドが3つ並んだ寝室で、夜明けと共に目を覚ます私は、隣で寝ているユキのベッドに潜り込むのだ。…夜這いである。


 そのまま、大好きな人の寝顔をたっぷりと堪能したあと、こみ上げてくる睡魔に身を任せ、2度寝に落ちるのだ。


「ほらっ、早く食べなさいよ」


 朝食は3人でテーブルを囲う。

 私と、ユキと、もう1人の同居人であるミクだ。この真っ赤な髪をしたツンデレ娘のせいで、私とユキの関係はなかなか進展しない。同じベッドで寝てただけで蹴り落とされるし、お風呂を覗こうとしたら背後から首を絞められたあげく、玄関の外に放り出されてしまった。…仮にも、王女なのに!


 朝食を食べたら、私たちは宮殿へ向かう。

 お仕事だ。


 私は女王になるための勉強に、ユキとミクは『十人委員会』のメンバーとして様々な要件をこなしている。『十人委員会』の会議室は宮殿内にあるので、中庭までは一緒に出勤できる。それからは少しの間、お別れしなくてはいけない。寂しい。


 昼食はユキたちと一緒に食べている。

 安らぎを得る貴重な時間として、せめてユキの笑顔を見ないと心が折れそうになるのだ。


 ご飯は宮殿の近くにある軽食店で取ることが多い。ショーケースに並べられているサンドイッチやパニーノ(パンに生ハムなどを挟んだ軽食)を注文して、カウンター越しに立ったまま食べる。それがヴィクトリアの軽食のスタイル。ここでは昼間から赤ワインを飲む人もいるが、ユキたちがアルコールに手を出したとこは見たことない。


「あー、お腹すいたね、何を食べようかなぁ」


「ちっ。なんで、あたしまで」


 今日はユキとミクと一緒に食べることになった。

 正直、ミクとはまだビミョーな距離感で、ユキがいないと会話が滞ってしまうのが難点だったりする。


「…なによ」


「えっと。…なんでもない」


 とりあえず笑顔を向けてみるが、どうにも反応は乏しい。

 いつかミクとわかり合える日が来るのかな?


「ぎゃははっ! よぉ~、ねぇちゃん。かわうぃぃね!」


 ふと見ると、ユキが2人の酔っ払いに絡まれていた。

 こういった場所ではよく見る光景ではあるけど、ユキが言い寄られているのは気分が悪い。


「こんなとこで飯食ってんならさ~、俺らと一緒に遊ばね~」


「ぎゃはは! ベッドの上で一晩中、可愛がってやるぜ!」


「そうそう~。俺らがさぁ~、大人の女にしてやんよ~」


 2人の酔っぱらいは酒臭い息を吐きながら、馴れ馴れしくユキの肩に手を触れた。

 …その瞬間。


「いくぞ!」


「もちろんっ!」


 ガタン、と私とミクが勢いよく立ち上がる。そして、真っ直ぐ酔っ払いへと向かっていく。


「あ? なんだお前ら、…ぐはっ!」


「ぐへっ!」


 そのまま無言で男たちに拳を叩き込んだ。

 ぐしゃん、と店の外に放り出す。


「痛ぇ。おい、いきなり何を―」


「「選びな」」


「…は?」


 男たちは地面に倒れたまま、腕を組んでいる私とミクを見上げる。


「全身の骨を粉々に砕かれてアドリア海に沈められるのと―」


「経絡秘孔を突かれて爆死するのと、どちらかを選びなさい」


 ズンッ、と男達を見下ろしながら冷酷に言い放つ。


「ひいっ!」


「「さぁ、選べ!」」


「ちょ、ちょっと。待ってく―」


「そうか両方か」


「素直なのはいいことね」


「ま、まだ何もいって―」


 男たちは口を開いたまま顔を真っ青にしている。そんな2人を、薄暗い路地裏へと引きずっていく。


「ひぃぃぃぃっ!」


「嫌だ! 嫌だよぉ!」


 泣き叫ぶ声を無視して。

 人目のつかない場所から、怒声が飛び交うのだった。


「「てめぇらに明日を生きる資格はねぇ!」」


 ユキに手を出す輩に、容赦はいらない。

 2つの大きなゴミを水路に放り投げて、私たちは店内へと戻っていく。


「ど、どうしたの? 2人とも急に?」


 何も知らないユキが戸惑ったような顔を浮かべる。


「あはは、気にしなくていいよ」


「そうそう。悪い虫を河底に沈めてきただけだから」


 タンッ、と私は笑顔でミクとハイタッチを交わす。

 その様子を見て、ユキが微笑む。


「ふふっ、2人って意外に仲がいいよね」




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