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第12話「壊れてしまった、大切な…」


 カーニバル3日目。


「終わりましたか?」


「…終わるわけないじゃないですか」


 右手に羽ペン、左手に印鑑を持ちながら、山羊の獣人を睨みつける。


「ふむ。思っていたよりも順調のようですね。さすがはアーニャ様の命を救った御人なだけはある」


「…それはどうも」


 目の前の用紙にサインを書きながら、足で横に置いてあるカートを押す。すると、ファンゴが空になったカートに未記入の書類を入れて、ボクのところまで持ってくる。まったく、よく躾けられていること。


「…こんなんじゃ、終わらないよ」


 羽ペンを持ちながら、頭をボリボリとかく。お団子にまとめた髪が、熱を持ってすこしだけ痒い。あー、そろそろお風呂に入りたいよ。


「この調子で頑張ってください。もしかしたら、カーニバルの最終日には間に合うかもしれませんよ」


「…そうだといいですね」


 積み上げられた書類を見て、ボクはため息をつく。



 カーニバル4日目。


「ねぇ、ユキ。ちゃんとお風呂に入ってる?」


「入ってない。そんな時間もないよ」


 重たくなってくる瞼を擦りながら、印鑑を立て続けに押していく。

 トン、トン、トン、トン。

 この音を聞いているだけでも、眠くなってしまいそうだ。

 そんなボクを、アーニャが心配そうな目で覗き込んでくる。


「ちょっとは休んだら? なんか、顔色も良くないよ」


「…大丈夫。安西先生だって、言ってたじゃないか。強大な敵と立ち向かうためには、確固たる決意が必要なんだ」


「いやいや。誰よ、それ…」


 アーニャが呆れたように答える脇で、ボクは淡々と印鑑を押していく。

 目標はたった1つ。

 カーニバルの最終日に、思いっきり遊ぶことだ。

 そのためには、6日目の夜までには全部終わらせて、たっぷりと眠る必要がある。

 今は、まだ休むべき時じゃないんだ。


「待っててよ、アーニャ。キミを絶対にお祭りに連れて行ってあげるから!」


「え? あ、うん。ありがとう」


 目の前の書類の山に、ボクは挑み続ける。



 カーニバル5日目。


「追加の書類です」


 鋼鉄のハーメルンが冷たく言い放つ。両手には、大量の書類が抱えられていた。


「へ?」


「ですから、追加の書類です」


 それだけ言うと、テーブルの空いているところにドサドサと積み上げていく。

 ボクが絶句していると、ハーメルン伯は何も言わず部屋から出て行ってしまった。隣に立っているジンも呆れて何も言わない。


「…なぁ、大丈夫か?」


「へ、平気だよ。これくらい」


 ボクは2本の羽ペンを持った右手で、追加された書類に手を伸ばす。


「もうね、全然眠くないんだ。いつになく目が冴えちゃってて、自分でも怖いくらいだよ。あははっ」


「…そんな血走った目で見られると、俺も怖いんだが」


 ジンが引きつった笑みを浮かべる。


「なんか目の下にクマができてるし、顔色なんて真っ青だぞ。お前、ちゃんと寝てるのか?」


「うん、寝てる寝てる。さっきなんか、夢まで見ちゃったもん。あの鋼鉄大臣が追加の書類なんか持ってきたりね。もう、そんなことないのにね」


 あはは、と自分でもわからないけど、笑ってしまう。頭はボーとして何も考えられないけど、とっても気分がいい。


「あっ、ジン。いいこと思いついた」


「なんだ?」


「ほら見て」


 自分の長い三つ編みを手にとって、鼻の下にぶら下げる。


「サンタクロース、なんてね。…あは、あはははははっ!」


 楽しい!

 すっごく楽しい!

 よくわからないけど、この瞬間がとても気持ちが良い!


「…ユキ」


「ん? どうしたの、ジン?」


「…いや、なんでもない」


 何か哀れむような目で見つめてくるが、きっと気のせいだろう。

 明日までに終わらせれば、お祭りに行ける。



 カーニバル6日目。


「すー、すー、すー。…はっ!」


 カバッっと体を起こして辺りを見る。

 どれくらい寝ていたのだろうか。

 時計を見ると、昼の2時過ぎ。よかった。5分くらいしか寝ていない。


「…大丈夫。大丈夫」


 ボクは自分に言い聞かせるように呟く。

 この三日間の徹夜が功を奏した。

 あれだけあった書類の山が、確実に減っていた。

 残りはあと、わずかしかない。


「…これなら、…いける」


 お祭りに行ける!

 まず、何をしようか。

 出店を片っ端から見て回って、好きなだけ遊びまわるんだ!

 わたあめもいいけど、リンゴ飴が食べたいな。

 こっちの世界にもあるのかな?

 今から、ウキウキが止まらない!


「ユキ殿、いいですかな?」


 会議室の扉がひらいて、ハーメルン伯が音もなく入ってくる。


「これは追加の分です。目を通して、押印をお願いします」


「はい来た、予想通り! これくらいは予期してましたよ!」


 ボクはハーメルン伯の持ってきた書類をひったくると、最高速度で印鑑を押していく。


「完了! もうない? これ以上はないの?」


「はい。追加の書類はありません」


「よしっ、じゃ、残りの書類を片付けて…」


「ですが、些細な問題が発生してしまったようです」


 ん?

 些細な問題?


「ええ。本当に些末な問題なのですが…」


 ハーメルン伯が言葉を濁す。

 あの、『鋼鉄のハーメルン』が、…言葉を濁す!

 目の前に立った山羊の獣人は、灰色がかった指を持ち上げる。

 そして、ボクの左手に向けて指をさした。


「その印鑑なのですが、どうやら手違いで、間違ったものが渡されていたようです」


「…」


 ボクは意味がわからず、小さく首を捻る。


「…だから?」


「…その、…つまりですね」


 ハーメルン伯は一呼吸置いたあと、端的に答えた。


「今までの書類は全て無駄になった、ということです」


「…はあ?」


「ですので、最初から全部やり直してもらいます」


「…」


「…」


 ぱちくり、と瞬きをする。

 あと、残りの書類は少しだから、これが終われば遊びにいける。だけど、印鑑が間違っているから、このままでは終わりにできない。 新しい印鑑を貰って、書類にサインをして、それから、それから…

 今までの書類を全部やり直すのか。


「…ねぇ、ハーメルンさん」


「なんですか?」


「…この作業って、いつまでにしなくちゃいけないんでしたっけ?」


「明日までです」


 爽快なくらい、淡々と答える鋼鉄の内務大臣。 

 外の青空と同じくらい清々しい。

 祭りの喧騒が、窓の向こうから聞こえてくる。

 楽しそうな声。笑いあう声。はしゃぐ声。


 でも、ボクは。

 お祭りに行けない。


「…に」


 その瞬間。

 ボクの中のスイッチが、…壊れた。


「にゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!!!!!!!」



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