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第11話「そして始まる、地獄の日々」


 辺りを見渡すと、十人委員会の仲間全員がボクを見ている。


「え?」


「ユキ、何か言ったか?」


 ジンの問いに、ボクは慌てて誤魔化そうとする。

 だけど、少しだけ考える。


「…お祭りに、…カーニバルに行こうよ」


「お?」


「どうせ、カーニバルが終わるまでは何もできないんだし。それだったら、パーッと遊ばない?」


 ボクが円卓を見渡すと、皆が笑みを浮かべだした。


「そうだな。こんなことに閉じこもっていてもしょうがない」


「うむ、確かに」


「あ、あたしは気乗りしないけどさ。ユキが行きたいって言うなら、一緒に言ってあげてもいいわよ」


「…わたしも、…さんせい」


 満場一致。反対ゼロ。

 ボクは立ち上がって、勢いよく両手を円卓のテーブルにつく。


「よし、決まりだね。じゃあ、十人委員会はしばらくお休み。カーニバルが終わってから、再開するということで…」


 だが、その時。

 ボクの言葉を遮るように、会議室の扉が開いた。


「あー、ここにいらっしゃいましたか。ユキ殿」


 ひんやりと冷たい声が響く。

 そこにいたのは、獣人の紳士だった。キッチリと着こなした燕尾服に、ナイフのような切れ目。そして、灰色の髪と山羊の角。海洋国家ヴィクトリアの内務大臣。ハーメルン伯爵であった。



 この国のトップは、先代の国王の1人娘である王女のアーニャだ。だが、アーニャが20歳を迎えて女王になるまでは、国を取り仕切る権限はない。『元老院』が失墜した今では、王女の側近である各大臣たちが、この国の舵取りを任されている。


 つまり、アーニャも頭が上がらず、『十人委員会』が国の組織とされている以上、ボクたちも好き勝手なことを言えない、数少ない人物の1人であった。


「探しましたよ。アーニャ様も、ご機嫌用」


 すたすたと音もなく歩いて、十人委員会の会議室に入ってくる。燃え尽きた円卓や焦げた天井を見ても、一切表情を変えない。アーニャに対しても愛想笑いすら浮かべず、軽い会釈だけに留まっている。

 ボクは、このハーメルン伯が苦手であった。



 ヴィクトリアの内情を管理するトップだからというより、この人の性格が苦手であった。例えるなら、淡々と授業を進めていく地理の先生みたいだ。


「な、なんですか、ハーメルンさん?」


「そう構えないでください。とって喰うわけじゃないのですから」


 無表情のまま、山羊の獣人が答える。

 冗談なのか。それとも、本気で言っているのか。判断の難しいところだ。


「ユキ殿に、お願いしたい仕事があるのです」


「仕事?」


「ええ。簡単な書類仕事ですよ。王立の組織である『十人委員会』の設立にともなって、いろいろとやらないといけないことがあるのです」


「そうですか…」


 書類の仕事なら、ボクだってできるだろう。


「ちなみに、仕事内容はどんなことを?」


「簡単です。書類にサインをしていただいて、印鑑を押すだけですよ」


「あっ、それなら大丈夫そうですね」


 ほっ、と胸を撫で下ろす。

 せっかくのお祭りなのに、部屋にこもって仕事なんてしたくない。


「そうですか。それでは、書類のほうを牽引してきますね」


「はい。…牽引?」


 ハーメルン伯の言い方に、ボクは首を捻る。牽引って、馬や牛を使って引っ張るんじゃなかったっけ?


「それでは、運んでください」


 ぱんぱん、とハーメルン伯が手を叩く。

 すると、扉の向こうから獣のような鳴き声が聞こえてきた。


 ぬぎゃーっ!

 のっし、のっしという重々しい足音。

 そして、それが部屋に入ってきた。


「…え?」


 ボクは言葉をなくしていた。

 牛よりも、一回りも二周りも大きい、猪のような巨体。

 醜く歪んだ顔から伸びる牙は、安全のためか途中で切り落とされている。

 草原や森で出現する猪型のモンスター。ゴモラファンゴ。

 この世界では、鉱石や建築資材を運ぶために使われる、超重量級のモンスター。

 そのモンスターが歩くたびに、背中から伸びたロープがぴんと張る。

 後ろには、これまた巨大なカゴがあり、その中には溢れんばかりの紙の束が入っている。

 山のような書類を、…牽引していた。


「…これ、何ですか?」


「サインをしていただく書類です。ヴィクトリアには王立の機関や、組合に所属している大小さまざまな組織があります。その全てに、十人委員会としての書状を送っていただかなければなりません」


「…ちなみに、いくつあるんですか?」


 ボクの問いに、ハーメルン伯は淡々と答える。


「さぁ。私にも分りかねます。一言でいえば、山ほどの、とでも言いましょうか」


 さぁー、と背筋が凍っていく。


「…これを、全部1人でやるんですか?」


 すると、ハーメルン伯は無表情のまま首を振る。


「とんでもない。そんなことはありませんよ」


「そ、そうですよね! いくらなんでも、こんな山のような書類を1人で…」


「ええ。この書類の山が、あと3つ来ます」


「…へ?」


 ボクの頭が真っ白になる。

 何をいっているんだ、この人は?


「この程度で済めば楽なものです。足りないものは、後日、このファンゴに持ってきさせますので」


「ちょ、ちょっと、待ってください! そんな量の書類を1人でやるんですか!」


 驚愕するボクに対して、ハーメルン伯はあくまで淡々と答える。


「はい。カーニバルが終わるまでに完遂していただければ結構なので」


「そんな無茶苦茶な!」


「無茶?」


 ハーメルン伯の視線が、すっと細くなる。

 元々細かった目が更に細くなり、もはや閉じているようにも見えのだけど、何故か突き刺さるほどの威圧感が襲ってくる。


「甘ったれたことを言わないでもらいたい。ユキ殿、あなたは十人委員会の代表。つまり、王国直属の幹部の1人なのです。女性であろうと、子供であろうと、背負った責任は果たしてください。仕事とは、本来そういうものです。それに、これくらいの書類整理など、仕事をしたうちに入りませんよ」


 スパッ、とナイフで切りつけるかのような言動に、ボクは何も言い返せなくなる。

 ボクたち十人委員会は、王女のアーニャを救ったということから、特別な待遇をとられることがほとんどであった。他の大臣たちも例外ではなく、古くからいる国の重鎮たちは歓喜の喜びをもってボクたちを迎え入れた。


 だが、このハーメルン伯だけは違った。

 誰に対しても冷静さを忘れないこの内務大臣は、例え相手がアーニャであろうと、その対応を変えることはない。


『鋼鉄のハーメルン』。

 ボクたちの間では、そう呼んでいる。


「それでは、ユキ殿。進行状況の確認のため、明日の同じ時間に来ますので」


「ま、待ってください!」


「何か?」


 いちいち無表情なのが怖い。


「お、お祭りに遊びにいくのは…」


「祭り?」


 すっと目が細くなる。

 そして、淡々と言うのだった。


「諦めたほうが賢明でしょう。あと、5日以内に終わりにしないと、アーニャ様の友人といえど覚悟していただかなければいけません」


 では、と言い残して、鋼鉄のハーメルンは部屋から出て行った。

 ポツンと残されたボクは、顔を真っ青にさせながら振り返える。


「ど、どうしよう…」


 頭が回らない。

 現実を認識しようとしない。

 目の前に突き上げられた紙束と格闘する自分が、どうしても想像できない。

 せっかくの、お祭りだっていうのに!


「だ、誰か助けて…」


 ボクは救いを求めるように仲間達を見た。

 いつくもの困難を乗り越え、真の仲間となったボクたちにとって、これくらいの困難はなんでもない。友情は見返りを求めない! そうでしょ、皆!


「ふむ、すまんな。我はこれから、ユキのフィギュア化、第二弾に着手しなければならないのだ。第一弾の雛形が破壊された今では、それも困難を極めるだろうがな」


「あー、そうだ。私も闇市に回って、ユキの写真集を買い漁ってこないと。目の前で焼却処分されなければ、こんなことにならなかったのになぁ」


 ゲンジ先輩とアーニャが、何か言いたそうな目でボクを見ていた。

 え、何?

 ボクがいけないの?


「じゃ、ユキ。がんばってね」


「うむ。努力は決して人を裏切らないぞ」


 それだけ言って、二人とも会議室から出ていてしまった。


「ちょ、ちょっと待ってよ! アーニャ! ゲンジ先輩!」


 ボクの問いかけは、虚しくこだまする。

 そ、そんな…


「…ジン。…わたあめ、食べたい」


「そうだな、コトリ。じゃあ、祭りにでも行くか?」


「…いく」


 コトリはジンの肩に乗ると、そのまま二人とも部屋を出ようとする。


「ジン! コトリ!」


「悪いな、ユキ。十人委員会代表のサインなんて、俺達に手伝えることじゃないんだ。まぁ、差し入れくらい持ってきてやるさ」


「…ジン、はやく」


「おうよ。ユキ、死ぬなよ」


「ちょっと! 縁起でもないことを言わないでよ!」


 ボクの悲痛な叫びもむなしく、ジンとコトリも部屋から出て行ってしまった。

 残るのは、ミクだけ。


「…ミク?」


「…なによ」


「…ど、どうしよう?」


 すがる思いで、ミクに問いかける。

 すると、ミクは力強い手でボクの肩を掴んだ。

 真っ直ぐの強い目が、ボクの捕らえている。


「…ユキ。大丈夫よ」


「…ミク」


 ぱぁ、と心が軽くなる。

 ミクがいてくれれば何とかなるような気がした。

 1人じゃない心強さが、ボクに勇気をくれる。


「…アンタは強い。やれば、できる子なんだよ」


 ん?

 あれ、おかしいな?

 なんだか、雲行きが怪しい気が…


「…だから、アンタにこの言葉を送るよ」


 ミクは真っ直ぐと見つめたまま、かけてもいない眼鏡を持ち上げる。


「諦めたら、そこで試合終了ですよ」


「誰が、そんな名言を言えといった! そんなことを言われても、全然嬉しくないよ!」


「問題ない! ユキならできる! 安西先生だって言っているじゃない。最後まで希望を捨てちゃいかんって」


「うるさいよ! 無理なものは無理なの!」


 頭をガシガシかきながら、心の底から叫ぶ。長い黒髪が狂ったように踊る。

 え、なに?

 本当にひとりでやらなくちゃいけないの!


「ユキ、本当にゴメン。アタシ、どうしても行かないといけないところがあるの」


 ミクが辛そうに視線を落とす。

 その時、会議室の扉が開いた。


「ミク、早くしないと闇市に流れたユキのグッズが無くなっちゃうよ?」


「すぐ行く!」


 ミクは返事をすると同時に、駆け出していった。


「ゴメンね、ユキ。ちゃんと買いなおせたら、お土産を買ってくるから。それまでは1人でガンバって!」


 バタン、と扉が閉まる。

 部屋に残されたのは、ボクと書類を引っ張ってきたファンゴだけだった。

 ファンゴは呆れたようにあくびをすると、そのまま眠りだしてしまう。


「…うそ、でしょ」


 こうして、カーニバル2日目にして、ボクの地獄の日々は始まった。



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