第7話「ボクと、ミクと…」
「昨日はびっくりした。コトリ、歌上手かったんだ」
「うん、ボクもびっくりしたよ」
宮殿のレッスンルーム。ボクはミクと一緒に、昨日の演奏練習について話していた。
「ミクも、コトリが歌ったところは見たことないの?」
「全然。というか、ジンがいないとカラオケにも行かないしね」
「あー、そういえばそうだったね」
「ホント、どんだけジンが好きなんだっていう話だよ」
ミクが楽しそうに笑っている。
…よかった。今日のミクは、機嫌が良さそうだ。
ボクはほっと胸をなでおろす。最近のミクは、いつにも増して不機嫌になっていることが多い。
「それにしても、小泉副会長は本当に来るの?」
「どうかな? ゲンジ先輩の話じゃ、絶対来るようなことを言ったけど」
「来なかったら、ユキの頑張りは水の泡ってわけね」
「…それだったら、今すぐにでも止めたいとこなんだけど」
ボクは乾いた笑みを浮かべていると、ミクが声を上げて笑った。
ひと通り笑った後、ミクが目を細めて天井を見上げる。
「…なんか、久しぶりだよね」
「何が?」
「アタシとユキ、二人だけの空間ってやつかな。中学で知り合ってからは、いつもジンやコトリが一緒だったじゃない?」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
そう言って、ミクは淡く微笑む。
「アタシがいて、ユキがいて、ジンやコトリがいる。そんないつもの学校の風景が、なんだか懐かしくなってね。まだ一ヶ月くらいなのにね」
「いろいろあったからね。ボクだって、同じような気分だよ」
「…そっか」
ミクは両足をぱたぱた動かしながら、じっと天井を見つめている。
「ねぇ、ユキ」
そして、そっと囁くように尋ねる。
「二年前のこと、まだ怒ってる?」
その言葉に、ボクは目を見開く。
…思い出すのは、辛そうな顔をした中学生のミク。
…学校の屋上。
…壊された窓ガラス。
…血のように赤い夕陽と、血に染まったミクの手。
…叫び、吠えて、慟哭する。
…泣きじゃくりながら、それでも拳を振るう彼女の姿。
…胸が、締め付けられる。
「怒ってないよ」
ボクは努めて冷静に答える。
「怒ってない。あの時はボクたち2人とも悪かったんだ。ボクもミクも、相手を気遣う気持ちが足りなかった。それだけのことだよ」
一度、言葉を区切る。
「それに、もう2年も前の話だよ」
「…そっか」
するとミクは、天井を見上げたまま、そっと目を閉じた。
「あっ、ユキ! こんなとこにいた!」
レッスンルームの扉が開いて、アーニャがえらい勢いで入ってくる。手には、大きな布の袋を持っている。
「どうしたの、アーニャ?」
「ユキのことを探してたのよ。どこにもいないから、ライブ会場まで走っちゃったよ。あ、ミクもいたんだ。今日も暑いよね~」
ミクの姿を見つけたアーニャが、元気よく声をかける。
だが、ミクは不貞腐れるように唇を曲げてしまった。さっきまでは、あんなに機嫌が良さそうだったのに。
「あれ? ミク、もしかして機嫌悪い?」
「…別に」
「もう、ダメだよ。いくらミクでも、たまには笑わないと」
「…誰のせいだと思って」
ミクはボソッと呟くと、横を向いてしまう。目も合わせたくないらしい。
何となく場の空気が悪くなったので、ボクは慌ててミクに声をかける。
「ね、ねぇ、アーニャ。ボクに何か用?」
「あー、そうそう! ユキ、ついに完成したのよ!」
「何が?」
「ユキのステージ衣装!」
そう言って、アーニャが布の袋をばっと広げる。
まず見えたのは白とピンクの布地。ストライプの入った大きなリボンそして、ふりふりのスカート。パッと見ただけで、スカートの丈が異常に短いことがわかった。
「どうよ! 私と社長が、三日三晩、寝ることも惜しんで考えたのよ!」
ボクは言葉を失くす。
こんなことに時間を費やすくらいなら、たっぷりと眠っていてほしかった。
「ちなみに、こっちが私の。色合いは似ているけど、露出は控えめね。私が清純派を担当するから、ユキが露出を担当して…」
「ちょっと待って! 本当にこれを着るの!?」
ボクはアーニャの言葉を遮って叫んだ。
「当たり前じゃない。まさか、上下ジャージのままステージに立つ気だったの?」
「そ、そんなことないけど、いくらなんでも恥ずかしすぎるよ!」
ボクは泣きそうになりながら、アーニャの持つステージ衣装を指差す。よく見たら。背中の布地がほとんどない。
「大丈夫だって。絶対に似合うから」
「そういう問題じゃないよ! ボクは嫌だからね! こんな露出の大きい衣装なんて、絶対に着ないから!」
ボクは腕を組んで、アーニャを睨みつける。
すると、いつもは強気のアーニャも少しだけたじろぐ。
「…そ、そうよね。ユキは、本当は男の子だもんね。こんなふりふりの衣装を着させるなんて、酷いことだよね」
肩を落として、しゅんとさせる。
アーニャにしては珍しく、ボクの言うことを聞いてくれた。
「そうだよ。きっとボクには、もっと地味な服が似合うと思うんだ。だから、その服は燃えるゴミにでも出して…」
「だが断る!」
キリッ!
アーニャがいつになく真剣な目でボクを睨む。
「このアーニャ・ヴィクトリアが好きなことは、可愛い女の子の頼みを『NO』と断って泣かせてやることなのさ!」
腰を捻りながら、ボクに人差し指を突きたてる。
どこまでも真剣な目が、逆に怖かった。
「というわけで、ユキの意見は却下! 観念して、この衣装に着替えなさい!」
「ちょっ、待って!」
「待たない! なんだったら無理やりにでも着替えさせてあげるんだから。この衣装を着たユキを想像しただけで、昨日の夜から興奮して眠れなかったんだから!」
ムハー、と危ない鼻息を漏らしながら、目を血走らせている。
正直、めちゃくちゃ怖い!
「や、やめて!」
「無理! もう、待てない! 私の嫁は世界一ーーーーーーッ!」
ばっ、と悪鬼羅刹のような顔をしてアーニャが飛び掛る。
…逃げられない!
そう思ったときだった。
「…だからさ。発情したネコみたいに、キャンキャン喚かないでよ」
ミクが、ボクとアーニャの間に割って入ってきた。
そして、飛び掛ってくるアーニャに対して、デコピンを放つ。
ビタンッ!
「ぎゃう!」
アーニャが小さな悲鳴を上げる。
そのまま空中でゆっくり一回転して、ばたんと落ちていた。
「あ、あううう。…わ、私の嫁はぁ~」
頭を抱えながら、床で悶絶している。
さすが、人形遣いのミク。前衛職顔負けのステータスはダテじゃない。
「はぁ、まったく」
ミクは面倒そうに、真っ赤な髪をかき分ける。
「で、ユキはどうするの? コイツ、ユキがこの衣装を着ないと、地獄まで追っかけてくるよ」
「…だよね」
ボクは諦めた心地になりながら、床に丸まっているアーニャを見る。
そして、彼女の持ってきた衣装に手を伸ばした。




