第70話「ひとまず、エピローグでも」
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ボクたちは宮殿の廊下を真っ直ぐ歩いていた。
先頭はアーニャ。その後ろに、ボク、ジン、ミク、コトリ、そして最後にゲンジ先輩が続く。
「じゃあ、元老院のジジイたちは王座にいるってわけね」
アーニャが振り返って、最後尾にいるゲンジ先輩に問いかける。
「うむ。アーニャ殿が不在となってからは、元老院の歴々が玉座を使用しているとのことだ。そこには、警備隊副隊長のダルトン氏もいる」
「はぁ、あの男か」
アーニャがわかりやすくため息をつく。
男性が怖いアーニャにとって、できれば近づきたくない人物なんだろう。
「…大丈夫、アーニャ?」
ボクは見かねて前を歩くアーニャに声をかける。
「うん、平気。ユキが一緒だし。いつまでも逃げているわけにはいかないよね」
笑顔でそう言って、蜂蜜色の髪をなびかせる。
廊下を歩いていると、赤い礼服を着た宮殿兵士が敬礼をしてくる。アーニャが軽く頷くだけで通り過ぎるが、後ろにいたゲンジ先輩は一人一人に敬礼を返している。兵士のゲンジ先輩を見る目は、敬意や尊敬が込められているように見えた。どこの世界に行ってもゲンジ先輩は人望を集めるのだと感心してしまう。
しばらくして、一際大きな扉の前に立つ。
廊下の大理石と同じ真っ白で、真ん中に国も紋章である有翼の獅子が描かれている。
「じゃ、行こうか」
アーニャが確認するように振り返って、扉を思いっきり開けた。
「フハハハハハ、待っていたぞ、化け物め!」
中から下品な男の声が響いた。
「貴様達なんかが!この俺を侮辱しやがってぇ! 万死に値するわっ!」
副隊長のダルトンだった。
全身を包帯に巻かれていて、松葉杖をついている。お腹のあたりに巨大な銃を抱えて、扉の前にいるボクたちを狙っている。
背後には元老院と思われる老人たちがいた。
ヨボヨボの老人たちはニヤニヤ笑いながら、銃を突きつけられたボクたちを見ている。
「喰らえっ、化け物共めっ! この銃はなぁ、我がヴィクトリア王国の最高知能の結晶であり誇りである! 一分間に六十発の銃弾を発射可能。0.3ミリの鉄板を貫通できるガトリング砲だ! 貴様らの身体を、ガラス細工のように粉々にしてくれるわっ!」
パン。
パン。
パン。
「フハハハハッ! 蜂の巣になるがいい!」
パン。
パン。
パン。
パン。
羽虫の群れのような弾丸が飛んでくる。
呆れていると、ゲンジ先輩がボクたちの前に出た。
そして…
カン、カン、カン。
小さな甲高い音を立てて、銃弾はゲンジ先輩の硬い皮膚に弾かれていく。
「そ、そんな、馬鹿なぁぁぁ!」
ダルトンが悲鳴を上げた。
銃弾を全て撃ちつくしたのだろう。カラカラと虚しい音を立てて、ガトリングの砲台が空回りする。元老院たちにも動揺が走っている。
「もう、終わりなの?」
アーニャがゲンジ先輩の後ろからひょっこりと顔を出す。
「それじゃ、今度はこっちの番ね」
「ひぃ!」
脅えだすダルトンを見ながら、アーニャが肩を回しながら近づく。
ザンッ。ザンッ。
異様な威圧感を放ちながら、脅えるダルトンを追い詰めていく。
「や、やめてくれ! 俺は怪我人なんだ! それに雇われただけの兵士だ。俺は悪くないんだよぉ!」
アーニャが黙って足を止める。
それを見て、ダルトンはニヤリと笑った。
「そ、そうだよな。これから国民の上に立つ王女様が、まさか怪我人をブチのめすなんて事はしないよなぁー。そんな卑怯なこと、しないよなぁー」
ダルトンの言葉を聞いて、アーニャが考えるように顎に手を当てる。
「うーん、そうね。怪我人をブチのめすなんて、あと味の悪いことよね。心の痛むところだわ」
ダルトンの表情から勝算の笑みが浮かぶ。
アーニャはしばらく考える態度をとっていたが、フッとダルトンに向かい合う。
「…だと思ったから、怪我を治してあげたわよ」
右手に回復魔法と思われる魔法陣を展開させながら、にっこりと笑う。
その笑顔を見て、ボクは背筋を凍らした。
「え? え、え?」
ダルトンは戸惑いながら包帯の巻いてある手を動かす。
「治っているでしょ。王家の治癒魔法だから、効果は保証してあげるわ」
アーニャの手から魔法陣が消える。
「な、…治って、…いる」
信じられないといわんばかりにダルトンは体を動かす。
問題なく動く自分の体を実感して、嬉しそうに笑みを浮かべる。
…だが、その笑顔は。
一瞬にして凍りつくことになる。
「そう。いったんアンタを、治しちゃえば―」
コキ、コキ。
アーニャが手首を鳴らす。
「思う存分、ボコボコにしてもいいってことだよね♪」
ハッ!
ダルトンが顔を上げる。
そこにある怒り狂ったアーニャの顔を見て、悲鳴を上げた。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「オラオラッ! アドリア海の塵になりなさい!」
ドコドコドコドコドコドコドコッ!
グシャーン!
ダルトンの体が吹き飛び、窓ガラスをブチ破る。
そして、遠く海に落ちて、小さな水しぶきを上げた。割れた窓ガラスから外を眺めて、アーニャは深く息を吸う。
「ふぅー、すごく良い気分だわ。新年の朝に新しいパンツを穿いた時くらい、すごく清々しい気分だわ」
そんなアーニャを見ていた元老院たちは、部屋の片隅で震えていた。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
あれから数日が経った。
目が覚めても男に戻っているということはなく、未だにボクは女の子として暮らしていた。
この身体にも少しずつ慣れてきて、お風呂の度に恥ずかしくなるようなことはなくなってきていた。どうやら女の子は朝が苦手らしい。女の子になってから、ボクは朝起きるのが遅くなっていた。目が覚めてもシャワーを浴びるまでスイッチが入らない。目覚めたボクは、ずるずるとバスルームに向かおうとするが、今日はいつも以上に体が重い。
「…う、うん?」
寝ぼけた頭で寝癖のついた髪を掻き分けていると、布団の中で何かかもぞもぞ動いた。
「うーん、ユキー。…大好きだよー。…すー、すー」
下着姿のアーニャがボクに抱きついていた。
蜂蜜色の隙間から見える真っ白な肌が目に毒だ。
ボクは目のやり場に困りながら、アーニャをゆっさっゆっさと揺らす。
「アーニャー、…ねぇー、おきてよー」
「…すー、すー」
どうやらアーニャは、ボク以上に朝が苦手らしかった。別々のベッドで寝ているはずなのに、いつもボクのベッドに潜り込んでいるのだ。確信犯でないことを祈りたい。
「ほらー、そろそろ、あさごはんだよー」
あー、ダメだ。
こっちまで眠くなってきそうだ。
瞼が重くなってきて、二度寝の体勢になったときだ。
部屋の扉が勢いよく開いた。
「もうっ、二人とも早く起きなさい。朝ごはんが冷めちゃうでしょ」
エプロン姿のミクが部屋に入ってきた。
片手にフライパンを持っていて、今でもジュージュー音を立てている。真っ赤な髪を無理やり一つに束ねて、小さなポニーテールを作っている。ボクたちの中で一番の早起きさんであるミクには、朝ごはんをお願いしている。ちなみに、夕食はボクが作っている。
「って、何でアンタがユキのベッドで寝てるのよ! アンタのベッドは隣でしょ!」
布団の中のアーニャを見つけて、ミクが目を吊り上げる。
「うーん、ユキの体はふかふかだー。おっぱいも柔らかくて気持ちいいー」
「何を寝ぼけてるのよ! ほら、アンタも起きなさい」
フライパンを持ったまま、アーニャをベッドから蹴り落とす。ぎゃっ、という小さな悲鳴を上げて、ベッドの隙間に落ちていく。
ちなみに、この国で王女であるアーニャを足蹴りできるのはミクくらいだろう。
「ユキも早くシャワーを浴びて目を覚ましなさい。遅刻するよ」
「はぁーい」
ボクは重い足取りでバスルームを目指す。
「あー、私も行くー」
「アンタはここにいなさい」
アーニャの背中を踏みつけてぐりぐりと押し付ける。
「ぎゃー、ミクのいけずー」
「うっさい! 黙れ!」
あの日から、ボクたちは三人で生活していた。最初にミクの住むところがないところから始まり、アーニャも追放された島の人たちに薦められて、ボクの部屋に住むことになった。使っていなかった部屋を改装して、一番大きい部屋にベッドを三つ並べた。並びは、ボクを真ん中にして左右にミクとアーニャが寝る格好。これには珍しくミクとアーニャの意見が一致した。
シャワーを浴びて朝ごはんを食べたボクたちは、宮殿に向かう準備をする。ミクの用意した服に着替えて、髪型はアーニャに任せている。今日は黒と白のワンピース。髪型はシンプルにストレートで流しているが、アクセントとして前髪に猫の髪留めをつけている。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
「はいよ」
ミクはいつものようにジーンズに着物を羽織る格好で、アーニャもフードつきのパーカーというラフなスタイルだ。
宮殿までは歩いて五分くらい。この距離感が朝のドタバタに重要となってくる。宮殿に入って、一番奥にある部屋を目指す。白い扉に有翼の獅子が描かれている、王座のある部屋だ。
バンッと扉を開く。
すると、中にいた人がボクに視線を向ける。
礼儀よく席についているゲンジ先輩、窓から外を眺めているジン、そして何故かジンの肩に乗っているコトリ。ボクは三人の顔を順番に眺めたあと、口を開いた
「それでは、十人委員会の会議を始めます。議題は他の仲間を見つけること。何か意見はある?」
わずかに沈黙した後、ゲンジ先輩が挙手をする。
ボクはゲンジ先輩の名前を呼んで、彼の意見に耳を傾けた…。




