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第68話「決着」

――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 サンマルコ広場の入口に時計塔が立っている。

 

 高さは百メートルはある鐘楼に、遠くからでも時刻を読み取れる時計盤がつけられている。塔の中は螺旋状の階段になっていて、最上部の鐘にまでいける造りになっている。


 私が目を開けると、その時計塔の螺旋階段が薄っすらと見えてきた。


「…」


 どれくらい意識を失っていたのだろう。

 目を動かして周囲を見渡す。手と足は少し痛むけど、問題なく動く。軋むような痛みに泣きそうになるけど、問題ない。


 大丈夫。

 まだ、やれる。


「…っ」


 ガラガラと砕けたレンガから身体を起こす。

 どうやら、時計塔の壁に叩きつけられたらしい。最上部に見える時計塔の鐘が静かに佇んでいる。


「…がはっ」


 咳き込んで口にたまった血を吐き出す。口の中は固まった血液と砂利で最悪だ。全部終わったら、すぐにシャワーを浴びたい。


「…はぁはぁ」


 視線を正面に移す。

 狂気に飲み込まれたバーサーカーが悠然と近づいてくる。どうやら、意識を失っていたのは一瞬だったようだ。


「…銃を」


 傍に落ちていたヨルムンガンドとフェンリルに手を伸ばす。左手でフェンリルの残弾を確認しながら、右手でヨルムンガンドを拾い上げる。


「ぐっ!」


 拾い上げた手から『ヨルムンガンド』が零れ落ちてしまう。

 よく見たら、右腕が赤く腫れあがっていた。


「…くそ」


 思い出したかのように痛み出した右腕をかばいながら、『ヨルムンガンド』を左手で拾い上げる。そして、腰のベルトに挟む。


「…『フェンリル』の残弾も、あと六発か」


 腰のポーチからクイックローターを取り出して、左手だけでリロードを済ませる。もう、予備の弾丸はない。


 いよいよ、追い詰められていた。


「…ふふっ」


 不意に笑い声が漏れた。

 もう打つ手がない絶望的な状況で、私は静かに笑う。


「…ピンチのときこそ笑えか。本当に、あの人は無茶苦茶なんだから」


 笑みを浮かべたまま、私はゆっくりと立ち上がる。

 ガラガラッ、と砕けたレンガを踏みしめて時計塔の外へと足を踏み出す。


 力の入らない右手をぶら下げながら、『フェンリル』を軽く握り直す。歩くたびにベルトに挟んだ『ヨルムンガンド』が小さく揺れた。


「グウゥゥ…」


 ゲンジ先輩の血走った目が私を捉えた。

 それと同時に、突進してくる。


「っ!」


 私は鈍い痛みを訴える身体にムチを打って、左手の『フェンリル』を真横に撃ち出す。


 ダンッ! ダンッ!

 二発の銃弾が広場に消えていき、そしてゲンジ先輩の右膝に着弾する。


 それでも、ゲンジ先輩は止まらない。

 ますます加速して、迫ってくる。


 私は右腕を庇いながら回避しようとする。

 だが、その時。思いがけないことが起きた。


「え?」


 ゲンジ先輩は私を見向きもせず、通り過ぎていったのだ。巨体が巻き起こす風圧で、思わずよろめきそうになる。


「…どうして」


 右肘を抱きながら、ゲンジ先輩の進む先を見つめる。

 そして、愕然とした。


「っ!」


 ゲンジ先輩は突進しながら屈むと、地面に向けて手を伸ばす。

 そして、捨てたように放置されていた大剣『ベルセルク』を握りしめた。


 ガランッ!

 巨大な刀身が石畳を削り、軋むような音が広場に響く。地面に剣筋を立てながら、それでも狂戦士の疾走は止まらない。細かい粉塵を巻き上げながら、狙いを定めたように一直線に走りだした。


「…まさか、この時計塔ごと斬るつもり!?」


「グォォォォォォッ!」


 ゲンジ先輩は咆哮をしながら、私のいる時計塔へ駆けていく。両手に『ベルセルク』を握り締めて、目の前に迫った時計塔に向けて斬撃を放った。


 ズンッ!

 鈍い音が私の身体を貫く。

 周囲の建物のガラスは揺れて、わずかに軋む。


 そして、数秒後。

 時計塔が傾いていった。


「…うそ」


 全長百メートルはある巨大な時計塔を、根元から真っ二つに切り落としたのだ。ゆっくりと広場に向けて倒れる時計塔。最上部の鐘がガンガン鳴り響き、広場中から悲鳴が上がる。


 私は、ただ見ているしかできなかった。

 崩れ落ちる時計塔。

 騒がしいほどの破壊音が耳朶を叩いた。


 それと同時に、大量の石の破片と瓦礫が広場を埋め尽くす。目の前が砂埃に覆われ、視界が全く見えなくなる。


「ごほっ、ごほっ! …まずい!」


 私は咳き込みながら事態の危機を感じ取っていた。


 敵が見えない。

 どこから襲ってくるのか検討がつかない。

 あの早さで襲ってきたら、この視界では確実に避けられない。


「…グゥゥ」


 ドスッ、ドスッ。

 瓦礫の音の隙間から、狂戦士の呻き声と足音が聞こえてくる。

 感覚と研ぎ澄ませるが、降り注ぐ石の破片によって気配を追うことができない。


「グァァァァッ!」


 咆哮が聞こえる。

 もう、迷っている暇はない。


「『アサシンアイズ』!」


 咄嗟に、敵影を捉える魔眼スキルを発動させる。

 お願い。

 もう一度だけでいい。

 発動して!


「っう!」


 私の眼が、わずかに青く光る。

 それと同時に、眼球に激しい痛みが走った。まるで、目の中に焼けた刃物を突きつけられたようだった。


「っうああ!」


 私は叫びながら、意識を視界に集中させる。

 すると、わずかに粉塵の向こう側が霞んで見えた。


 灰色に包まれるサンマルコ広場。

 その一点に、高速で突進してくる巨大なものがいた。『ベルセルク』を振り上げて、狂気に狩られるバーサーカー。距離はたぶん、七メートルくらい。


「っあああああ!」


 私は叫んだ。

 粉塵の向こうにいる狂戦士を見据えて、『フェンリル』の引き金を引く。


 ダンッ! ダンッ! ダンッ!

 三発の銃弾が灰色の視界に消えていく。


 それと同時に、赤褐色の狂戦士が姿を現した。

 目の前に、『ベルセルク』の巨大な刃が迫っている。


「『クイックドライブ』ッ!」


 私は身体を捻りながら叫ぶ。

 全身を切り刻まれるような痛みが走る。ほんの一瞬だけ、狂戦士の一撃を遅らせただけで『クイックドライブ』の効果が切れる。


 だが、その一瞬があれば十分だった。


 キィン、キィン、キィン!

 三発の銃弾が狂戦士の右膝を穿つ。

 ぐらり、と揺れる巨体。『べルセルク』の剣筋もわずかにブレる。


 …最後の、チャンスだ!

 

「っ!」


 私は腰を捻りながら身を翻して、その斬撃を回避する。

 その拍子に、ベルトにから『ヨルムンガンド』を引き抜いた。左手の『フェンリル』を投げ出して。最後に、全てを銀色の愛銃に託す。


 カチリッ。

 手に馴染む重量感。

 力強く握り締めながら、正面にいる狂戦士に銃口を向けた。


「…避けてみな」


 カッ、と狂戦士が目を見開く。

 呻き声を上げる隙も与えずに、引き金を引いた。

 ゼロ距離の、魔弾『緋色の銃弾(スカーレットノヴァ)』。


 小さな火が狂戦士の額に灯る。

 その火が一瞬にして紅蓮の業火となり、狂戦士を焼き尽くす。


「グォォォォォォォオォォォォォォォォゥォオォォォォォォォォォォォォォォォッォォォォォォォオォォォォォォォォゥォオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォオォォォォォォォォゥォオォォォォォォォォォォォォォォォッ!」


 炎に包まれた狂戦士が断末魔を上げる。

 目の前に燃え上がる火柱が、私の髪を少しだけ焦がす。


 やがて、狂戦士は両方の膝を地面に着けた。


 ズシンッ!

 重い音だった。

 正直、時計塔が崩れた音よりも重く感じた。


「…はぁ、はぁ」


 私は肩で息をしながら、燃え続けるゲンジ先輩を見つめる。

 やがて火の勢いは収まり、中から燃え尽きた狂戦士が姿をあらわす。


 赤褐色の肌には、無数の火傷が刻まれている。

 両方の膝を地面に着けて、目を閉じたまま動かない。

 まるで、眠っているようだ。


「…グ、グォォ」


 わずかに呻き声を上げる。

 そして、事もあろうか膝を上げて立ち上がろうとしたのだ。


「まだやるの!?」


 思わず臨戦態勢をとる。

 だが、すぐにその必要がないと悟った。


「…グォ、…オォゥ」


 立ち上がろうとしようにも、狂戦士の右膝が動かなかった。

 それでも、何とか立ち上がろうと、両手で右足を持ち上げようとする。


 だが、動く様子はない。

 その姿はまるで、膝の傷に嘆いているようだった。


「…オゥ、オォゥ」


 流せるのなら、涙を流していたかもしれない。

 許されるのなら、天にも届く泣き声をもらしていたかもしれない。


 この狂戦士も。

 そして、郷田源次郎という男も。


「…ゲンジ先輩」


 私は地面に落ちている『フェンリル』を手に取る。

 中には、まだ一発だけ銃弾が残っていた。


「…もう、いいんだよ。あなたは負けたの」


「…グオォ」


 まるで返事をするように答える狂戦士。

 顔を上げて、私のことをじっと見つめる。

 その狂気の目を見つめながら、『フェンリル』を額に突きつける。


 …もし―

 …もし、この銃が。本当に狙った場所を穿つのであれば。この不器用な先輩を苦しめている鎖を、撃ち砕いてほしい。


 そんな狙い(願い)を込めて、私は引き金を引いた。


 ダンッ!

 乾いた音が広場に響く。

 最後の銃弾が狂戦士の眉間を穿つ。

 銃弾は弾かれて、歪んだ破片となって地面に落ちる。


 そして―

 戦い続けた狂戦士もゆっくりと崩れていった。


 その表情は、戦いに負けた戦士ではなく。自らの鎖から解放された高校生のように、安らかなものだった。

 

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