第66話「狂戦士の猛攻」
おどけるように私は笑う。
だが、狂戦士にとって、剣とは唯一の武器ではなかった。
地面に転がった『ベルセルク』には目もくれず、そのまま突進するような体勢をとる。
「…まさか、素手で突っ込んでくるつもり? 嘘でしょ?」
私が呆れながら呟いていると、ゲンジ先輩の巨躯がとてつもない速さで迫ってきた。
ダダダダダダッ!
一歩踏み込むたびに、地面が軋む。
それだけの重量なのに、この速さは一体何なのか。私は目の前にまで迫ってくる狂戦士を見ながら、忌々しく呟いた。
「…『クイックドライブ』」
喧騒が遠のき、一瞬が永遠に引き延ばされる。
それと同時に、全身が激しい痛みに襲われた。鈍い頭痛と共に吐き気までしてくる。
「…やっぱり、そろそろ限界か」
冷や汗を額に滲ませながら、迫り来る丸太のような腕を難なくかわす。
…大丈夫。
…耐えられないほどの痛みじゃない。
緩慢に動く狂戦士の脇を抜け、背後から『ヨルムンガンド』を狙い撃つ。引き金を引くと同時に、時間は元の歩調を取り戻す。
「グォォォォォォォォォォォォッ!」
再び、ゲンジ先輩の顔面を紅蓮の炎が焼き尽くす。
『緋色の銃弾』は、残り二発。
どれほどのダメージを負わせているかわからないが、一発として外すわけにいかない。
私は気を引き締めて、二つの銃を握り直した
頭部が燃えたままの狂戦士が私を捉える。そして、先ほどと同じように突進してきたのだ。
「…マジ?」
頭が燃えたままの狂戦士が、とてつもない速さで迫り来る。
…この距離なら、避けられる。
豪快に薙ぎ張られる両腕を、身を翻してかわしていく。
「ったく、どんだけ化け物なのよ!」
思わず悪態をついてしまう
少しだけ間合いに余裕ができた隙に、私は『フェンリル』を自分の真横に撃ち出す。
ダンッ!
私の後方に飛んでいった銃弾は、広場の片隅に消えていく。
キィン!
そして、刹那の時を挟んで、ゲンジ先輩の右膝に着弾した。
だが、それでも狂戦士は止まらない。
一気に間合いを詰めるように、飛びかかってくる。
「ちっ!」
私は舌打ちをしながら、『クイックドライブ』を発動させる。
一瞬を永遠に引き延ばす。私の胸元にまで伸ばされた右手が、動きを緩慢にさせる。
その時だ。
突然、周囲の喧騒が戻ってきた。
「えっ?」
…そんな。
まだ、早い。『クイックドライブ』の効果が切れるまで、まだ猶予があるはず。
目の前を、ゲンジ先輩の豪腕が通り過ぎる。
その余波だけで、私の身体が少しだけ仰け反らせられる。
「くっ!」
身体を庇いながら、転がるようにその場から離脱する。尾を引く頭痛を感じながら、何が起こったのか考える。…『クイックドライブ』の効果が弱くなってきた。連続使用の反動が、ここに来て現れ始めた。
「…これは、まずいかな」
思わず苦笑してしまう。あのスキル抜きで、この化け物と戦う方法が思いつかない。
「グォォォォォ!」
そんなことを知ってか知らぬか、ゲンジ先輩の猛攻は止まらない。左右の腕を無茶苦茶に薙ぎ払いながら、私に迫り来る。
「くそっ! 『エアリアルドライブ』っ!」
空気を踏みつけて、ゲンジ先輩の上空へと回避する。
地面に着地しながら、『ヨルムンガンド』の引き金を引く。銃口に魔法陣が展開され、敵を紅蓮の炎で焼き尽くす。
…そのはずだった。
「なっ!」
私が引き金を引いた瞬間、ゲンジ先輩は見計らったように身を屈めたのだ。
…緋色の銃弾が、避けられた!
ヨルムンガンドの射線上にあった建物に火がつき、紅蓮の業火が燃え始める。
「…くそっ!」
私は『ヨルムンガンド』の銃口を下げて、『フェンリル』を構え直す。残りは一発だ。
もう、ミスはできない。
わずかばかりの緊張と重圧が私の肩にかかってくる。そのプレッシャーが、私の判断を一瞬だけ遅らせた。
「グオオッ!」
突き出された右手。
まるで鋼鉄の棍棒を連想されるその腕を見て、私はどうするべきか考える。
「…ク、『クイックドライブ』!」
私は焦る気持ちを抑えつけながら、スキルを発動させた。
全身が刃物で刺されたように痛み出す。意識が遠くながらも、目の前に迫る攻撃を回避しようとする。
だが、次の瞬間。
その永遠が、一瞬にして打ち砕かれた。
「…あ」
私は呆然としてしまう。
スキルが、発動しない。
厳密に言えば、『クイックドライブ』が引き延ばした時間は、一瞬だけだった。その隙を突かれて、狂戦士の豪腕が私を捕らえる。
そして、そのまま広場の隅へと投げ飛ばされた。
「あぁっ!」
悲鳴を上げることすらできない。
わずかな時を挟んで、背中に強烈な衝撃が走る。全身の骨が軋んで、肺が痙攣して息ができなくなる。
「…がっ!」
口のなかに血の味が広がり、両腕が弛緩したようにだらんと垂れ下がる。霞む視界に見えたのは、無言で近づいてくる狂戦士。
…これは、ヤバイな。
苦笑しようにも、笑顔が作れない。
ピンチの時ほど笑うくらいの余裕が必要だ。それが、私の信条だ。…いや、別の誰かの口癖だったかな。
「…あはは、誰の口癖だっけ。思い出せないよ」
そのまま私は、意識を失った。




