第47話「二度目の敗北…」
ミクが叫ぶと同時に、二振りの日本刀がゲンジ先輩を斬りつけた。
「ぐっ!」
ゲンジ先輩は驚いたように目を見開く。
赤い大太刀を携えた和装の侍。狂気を孕んだようにも見える目が、怪しく光っている。
その人形は、ボクにも見覚えがあった。
『村雨・零式』
S級という最上位の式紙『零式』を使わないと呼び出せない、伝説級の殺戮人形。高難易度クエストをクリアした彼女だからこそ使用できる、ミクの愛用の式神であった。大型のボス戦や、仲間のピンチには必ず使っていた、ミクの最高戦力でもある。
S級の『式紙』は店で購入することはできず、難しいクエストでも入手困難な貴重なもの。普通はもったいなくて、使用することを躊躇してしまうが、…ミクが迷うことはない。
「ははっ、さすがにS級の式神だったら、アンタの耐久力も形無しだね」
手ごたえを感じたミクが豪快に笑う。
「…この程度か」
ぽつり、と呟かれた声。
その声を聞いて、ミクは怪訝そうに眉を寄せる。
「この程度なのか。これでは、我を殺すことはできんぞ」
ゲンジ先輩は誰に言うでなく呟くと、その巨体を立ち上がらせた。
自分に刃を突き立てている侍を見て、目を細める。
まるで呆れるように。
「目障りだ。消えろ」
ゲンジ先輩が大剣を握り締めて、頭上へと振りかぶった。
その行動を見たミクは、侍の式神へ急いで指示を出す。
「まずい。防御をっ!」
「遅い!」
ゲンジ先輩の大剣が振り下ろす。
その一瞬早く、防御の姿勢をとった侍は、赤く光る大太刀を頭上へと掲げる。
だが、ゲンジ先輩の剣は。
刀など最初からなかったかのように、いともたやすく侍を叩き潰してしまった。…彼女の保有する最高戦力を、だ。
地面に大剣が突き刺さり、侍の骸は塵となって消えていった。
「…ははっ、化け物が」
ミクが乾いた笑みを浮かべる。
彼女の最大の攻撃さえ、ゲンジ先輩には通じなかった。刃がつきたてられた場所からは、わずかに血が垂れているだけ。かすり傷のようなもの。もはや、打てる手が残されていなかった。
「…それでもさ」
ミクは独り言のように呟きながら、ちらりとボクとアーニャのほうを窺う。
「ここで逃げるわけにはいかないんだよ!」
腰を落とし、『縮地法』の構えをとる。
そして瞬時に、ゲンジ先輩の背後を取った。
「おらっ!」
ミクの上段蹴りが、彼の後頭部に直撃する。
わずかに身じろぎしたゲンジ先輩だったが、すぐに自分の後ろにいるミクを睨みつける。
「…だから軽いといっている」
ブンッ!
巨大な銀色の剣が豪快に薙ぎ払われる。
「ちっ!」
ミクは体勢を崩しながらも、襲ってくる大剣に手を添えると、その勢いを利用して上空へと回避する。
そして、そのまま次の攻撃に移ろうと拳を構えた。
だが―
「詰めが甘いぞ!」
「なっ!」
空中で姿勢を整えるミク向かって、ゲンジ先輩の拳が放たれていた。大剣を薙いだ後、ミクの動きを見たゲンジ先輩は即座に剣を手放して、そのまま拳を突きだしたのだ。
「ふんっ!」
ゲンジ先輩の、オーガ族の巨大な拳がミクを捉えた。防御する両手など関係ないかのように、ミクの体が宙を舞う。
「ぐぁぁ!」
ミクの嗚咽のような声が響く。
意識を失っているのか、ミクの体は力なく落下していく。
そんなミクの頭を空中で乱暴に掴む。そして、そのまま顔面を地面に叩きつけた。
ズドンッッッッッ!
その衝撃で地面の石畳がめくれ、叩きつけられた場所が大きく陥没した。石畳の下にある、地面の基盤となっている丸太が表面に出てきている。
その陥没した中心に、ミクは仰向けで倒れていた。
「ふん」
ゲンジ先輩はそれだけ言うと、ミクから手を離す。そして、大剣を握り直すと。…今度はボクのほうへと視線を向けた。
「ひっ!」
思わず、小さな悲鳴を上げてしまう。
「…ど、どうしてですか?」
ボクの口から溢れるように言葉が漏れる。
「どうして、ゲンジ先輩がこんな酷いことをしているですか!? どうして、こんなことを平然とできるんですか!?」
「…ゲンジなんて男、我は知らぬ」
「なんで、嘘をつくんですか! なんで!」
感情がこみ上げてくる。
涙を堪えながら、懸命にゲンジ先輩に問う。
「言いたいことはそれだけか?」
「え?」
ボクは顔を上げる。
目の前にゲンジ先輩がいた。
そして、次の瞬間―
「がはっ!」
お腹に鈍痛が響き渡る。
ゲンジ先輩がボクの腹部に拳を突き立てていた。
衝撃と痛みに耐え切れず、地面に倒れた。
ボクには体を支える筋肉も頑丈な骨格もない。華奢な少女は、何もできずに崩れ落ちた。
一瞬、意識が遠のいた。
ボクは薄れゆく意識の中でアーニャのことを気にかける。
「…アーニャ、…逃げて」
起き上がろうにも、指先すら動かせない。
視界もぼやけて、目の前に誰がいるのかよくわからなかった。
「…キミは、…生きなくちゃいけない」
虚空に向けて手を伸ばす。
できることなら、彼女を守りたかった。
今まで酷い目に遭ってきた彼女には、幸せになる権利があるはずだ。だから―
「…だから、逃げて。…アーニャ」
何かを求めるようにボクは手をかざす。
すると、そんなボクの手を誰かが掴んだ。
「…ごめんね。ユキ」
優しい声がボクの耳を打つ。
「…アーニャ?」
「…ごめん。これでお別れだね」
何を言っているのか、ボクには理解できなかった。
「…あなたたちを助けるには、こうするしかないの」
彼女はそれだけ言ってボクの手を離す。
「…じゃあね、ユキ。大好きだったよ」
「…待ってよ」
視界が少しだけ明るくなる。
ボクの目に映ったのは、ゲンジ先輩につれていかれるアーニャの姿だった。
怖くて震える背中が目に焼きつく。
そしてボクは。
…何もできず、意識を失った。




