エピローグ「また、会いましょう」
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
目を開いても、何が見えているのかわからなかった。
焦点が合わず、視界がぼやけている。
随分と長い時間、目を閉じていたせいで、視覚というものが衰えてしまったようだ目に映る白い光景に、必死になって眼球を動かす。
「……ぁ」
ダメだ。
声も出ない。
喉はカラカラで、口のなかもパサパサだ。とてもじゃないが、誰かを呼ぶこともできない。体は鉛のように重く、関節が固まっているんじゃないかと思えるほど、節々が痛い。ボクは人を呼ぶことを諦めて、自分の置かれた状況を頭で考えることにする。
……ここは、どこだろうか?
……皆は無事なのかな?
……彼女は、ボクたちと一緒に帰ってこれたのか?
様々な疑問が浮かんでくるが、明確な答えは得られない。さて、どうしようかと考えていた、その時。ガラッと扉が開くような音がした。
……誰か来たのかな?
そう思って視線を動かすが、結局は何も見えない。
何か人影のようなものが、こちらを見下ろしているのだけは、辛うじて認識できた。
ボクはちょっとだけ警戒しながら、その人物のことを見つめる。すると、こちらの緊張に気がついたのか、その人物はさも楽しそうに笑うのだった。
「よう、ユキ。ようやく目覚めたのかよ」
聞き覚えのある声だった。
それもそのはず、この声の主はボクの親友。
ジンのもので間違いない。
「……ぁ、……ぁぁ」
「おいおい、無理に喋ろうとするなよ。まだ目もよく見えてないだろう。俺だって、目覚めたときはそうだったさ」
ジンはそう言って、近くに腰を下ろす。
どうやら、ボクはベッドで横になっているらしい。
「とりあえず、お前が疑問に思っていそることを教えてやるよ。ここは病院だ。地方の総合病院の一室。4人部屋の窓側さ。他の3つのベッドには、ゲンジ先輩、誠士郎先輩、碓氷が使っている」
ジンは頼んでもいないのに、ボクの置かれた状況をぺらぺらと話していく。
「ちなみに向かい側が女子部屋だ。ミクやコトリはまだ眠っているが、天羽会長は3日前に目が覚めた。それからはリハビリ室にこもって、ずっと体を動かしているってさ」
……3日前?
……それじゃ、今日は何月何日なんだ?
……あの戦いから何日経った?
「あー、お前の言いたいことはわかる。今日は12月25日。あの戦いから、1週間くらいは経っているかな」
……1週間?
「そうだな。メンバー内でも目が覚めるのに個人差があるみたいだな。一番最初に目を覚ましたのが、ゲンジ先輩と誠士郎先輩だったらしい。何だかんだいって、あの2人は頑丈だな」
ははっ、と笑いながら、ジンは別の方向を見る。
そこにはきっと、空になっているゲンジ先輩と誠士郎先輩のベッドがあるのだろう。
「今のところ目を覚ましていないのは、ミクとコトリだけだ。でも、この調子ならすぐに目覚めるさ」
……そっか。
……それはよかった。
ボクは一握りの不安を抱えたまま、ホッと胸を撫でおろす。皆、現実に帰ってこれたんだ。それだけでも一安心だ。
「おい、ユキ。お前が本当に聞きたいことは、もっと別にあるだろう?」
何も答えられないボクに、ジンが呆れたような声で言った。
「本当は、仲間のことなんてあまり心配してないだろう? 俺も含めて、あいつらは強い。こっちで目を覚まさないなんてありえない。……問題は、あの姫さんだ」
……その通りだった。
正直なところ。今がいつで、ここがどこかなんて、どうだっていい。
ボクの気がかりは、ただ1つ。
彼女が目を覚ましたのか、ということだけだ。ボクは視線だけで話すように促すが、ジンは申し訳なさそうに言う。
「悪いな。姫さんのことは何も聞いていない。快司の奴が何か知ってそうなんだが、めっきり顔を見せねぇんだ」
……そんな。
「まぁ、知らせがないのは良い便りともいうしな。今は体を大事にしろ。そのうち会えるさ」
ジンはそれっきり黙りこんでしまった。
ボクのほうも、急に眠気が襲ってきた。まだまだ体は完全に起きているわけではないようだ。
「……」
そっと、目を閉じる。
白浜の波のように押し寄せる眠気に身を委ねる。
意識はゆっくりと夢のなかへと引き込まれていく……
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「やっほー、ユキ。暇だから遊びにきたよ」
「……入院生活はヒマ」
とある昼下がり。
ミクとコトリが遊びに来た。ボクたちが目を覚まして1カ月ほど経っている。年が明けてても、相変わらずの入院生活だ。メンバーたちのリハビリも順調で、日常生活には問題ないくらいに回復している。……ただ1人、ミクを除いては。
「ねぇ、コトリ。もうちょっと車イスを前に出して」
「……うん」
コトリは言われた通り、ミクの乗っている車イスを前へと押していく。元々、怪我で背骨を痛めていた彼女は、皆よりも回復に時間がかかるとのことだった。あの世界では自由に走り回っていたのに、とミクが懐かしそうに言っていた。
「それにしても、ユキは髪が伸びたね」
「……まるで女の子みたい」
ベッドの傍で、2人がじっとボクのことを見てくる。
眠っていた1年近く。今では背中にかかるくらいまで髪が伸びていた。知らない人が見たら、間違いなく女の子に勘違いされるだろう。
「そうだね。でも、もう切ろうかなと思っているんだけどね」
ボクが鬱陶しそうにしていると、2人はすぐさま反論してくる。
「えー、もったいないよ」
「……可愛いのに」
「そうだよ。元々、女顔なんだからさ。そのままでいればいいじゃない」
「……いっそのこと、男の娘になる?」
「あっ、それいいね! あたしの制服を貸してあげるよ」
「……ふふふ。一緒におトイレにいこうね、ユキちゃん」
……ダメだ、こりゃ。
ミクもコトリも真顔なのが怖い。
「何を言っているんだよ。ボクは『男』なんだから。そんなことをするわけがないじゃないか」
「ちぇ、な~んだ」
「……つまらない」
本当に残念そうに見えるのは、ボクの気のせいだと。そう思うことにした。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「よお、ユキ。コトリもここにいたのか?」
「あ、ジン」
親友の来訪に、ボクは手を上げて答える。
彼の首には、銀色の指輪が下げられていた。そして、それと同じものをコトリもつけている。
ジンには買い物に行ってもらっていたのだ。いろいろと不自由な病院生活でも、ジンが色々と買ってきてくれるので、本当に助かっていた。
「頼んでおいたもの、買ってきてくれた?」
「おうよ。まずはカチューシャだろ。あとはシュシュにヘアピン。化粧品やリップなんかも―」
「そんなもの頼んでないよ!」
ミクとコトリがにやにやと笑うなか、ボクはわりと真面目に怒った。
「え? 違うのか?」
「なんでジンも、そこで真顔なんだよ」
「いやー、てっきり男の娘に目覚めるのかと思ってな。親友としてできる限りの応援をしてやろうと―」
「そんな応援いらないから!」
ムスッとむくれていると、ジンが笑いながらビニール袋に手を入れる。
「悪い悪い、からかい過ぎたな。……ほらよ、ヘアゴムだ。言われた通り無地の奴だぜ」
「……ありがと」
素直にお礼を言うのが納得いかず、口をへの字に曲げたまま受け取る。そのまま髪をひとつに束ねていく。向こうの経験もあって、スムーズに髪を結べた。
「でも、本当に女の子みたいだな。セーラー服とか絶対に似合うぜ。なぁ?」
「……うん。わたしもそう思う」
「ねー、絶対に似合うのにー」
「いいから、その話は!」
あー、もう!
退院したら、絶対に髪を切ってやる!
「それで、まだ姫さんから連絡はないのか?」
「……う、うん」
ボクは自分の毛先をいじりながら答える。
「まぁ、でも―」
ジンはいつものように軽快に言った。
「そのうち会えるだろう。あの姫さんに限って、何も言わずに姿を消すなんてないさ」
「……そうかな?」
「おうよ。俺を信じろ。どうせ今頃、ユキと再会したら何を話そうか考えているに決まっているさ」
にやり、と笑いながら親指を立てる。
……そうかもしれない。
……でも、やっぱり。
……彼女がいないのが寂しい。
「ん? ユキ、どこか行くのか?」
「うん。ちょっと散歩にね」
ボクは病院用のスリッパに履き替えると、ゆっくりとした足取りで病室を出ていく。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「ふむ、まだアーニャ殿から連絡がないのか。……おっしゃ! SSRが来たっ!」
「それは心配ですね。……行けっ、10連ガチャ! 僕の本気を見せてやる!」
病院の談話室で、ボクはゲンジ先輩と誠士郎先輩と会っていた。……まぁ、先輩たちはずっとスマホ画面に釘付けだったけど。
「先輩たち。ちゃんとボクの話を聞いてます?」
「聞いているさ。彼女が無事なのか心配なのだろう。それは我も同じだ。このSSRの少女が、どのようなアイドルに育つのか。それと同じくらい気がかりなんだぞ!」
「そうですよ。いいですか? この10連ガチャで全てが決まるのです。……さぁ、優紀君も祈ってください! 僕の元にもSSRが、……願わくば『SSRしまむー』が降臨せんことを!」
談話室で、誠士郎先輩が正座しながらスマホを掲げる。
そのわずが数秒後には「爆死したっ!」という悲鳴が上がった。膝から崩れ落ちる誠士郎先輩を、ゲンジ先輩が上から見下ろしている。優越感に浸って。
「……ぐぬぬ。こ、こうなったらリアルマネーを投入するしか―」
「ま、待て! 早まるな! それは開けてはならぬ禁断の扉だぞ!」
「は、な、せっ! こうなったら自棄です! 重課金と呼ばれようが、廃課金と呼ばれようが、このソシャゲーに全てをかけてやります!」
「やめろ! 貴様、人間を辞めるつもりか!?」
ぐおぉ、と意味不明な叫び声を上げて、先輩たちが取っ組み合いを始める。
何というか、いつもの光景だった。下らないことで本気になって、馬鹿をやって。そうやって笑い合って。
……でも、何かが足りない。
……彼女が、いないから。
「はぁー。ボクは行きますよ」
ゲンジ先輩のヘッドロックが決まったのを見てから、ボクはその場から離れる。
その時だ。先輩たちが声をかけてきた。
「ユキ、あまり気を揉むな! 時期がくれば、また会えるさ!」
「ぐおぉ。……そうです。僕らは彼女の仲間でしょう、……ギブ、ギブッ!」
誠士郎先輩は悲鳴は、看護師さんが飛んでくるまで続いた。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「はぁ、アーニャさんから連絡がないのですか?」
「……」
病院の売店で、神無月先輩と碓氷君を見つけた。
店内にある小さな書籍コーナーで、碓氷君が真剣に本棚を見ている。
「はい。まぁ、それがどうっていうわけではないんですけど」
碓氷君がトム・ソーヤの冒険を手に取るのを見ながら、ボクは呟く。
すると神無月先輩は、くすりと笑いだした。
「ふふっ、優紀君。それは恋ですわね」
「は?」
「恋い焦がれ、会えない時間が2人の愛を育てる。美しいことではありませんか」
「べ、別にそんなわけじゃ!」
ボクはわかりやすく動揺してしまう。
……彼女に会いたい。
……押し込めていた感情が込み上げてくる。
「いいではありませんか。お互いが好き合っているということは自明の理。ならば、腰を据えて待っていれば良いのです。……彼女が会いたいと言うまで」
そう言って、神無月先輩は碓氷君のほうを見る。
今度はロビンソン・クルーソーを手に取っている。彼は、それからしばらく考え込んだ後に、なぜか旅行雑誌へと手を伸ばした。
「……どこか旅行に行くの?」
「はい。退院できたら、涼太と2人で温泉旅行でもと考えていますの。何か参考になるものはないかと、売店まで足を伸ばしているのです」
碓氷君に代わって、先輩が答える。
……というか、真っ先にトム・ソーヤの冒険やロビンソン・クルーソーを手に取って、彼はどこの温泉に連れていくつもりだったのだろう。……カリブ海かな?
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
結局、胸にもやもやを抱えたまま自分の病室へと戻ることにした。
やっぱり、彼女からの連絡を待つしかないのだろうか。それとも病院から抜け出して、ひとりでも会いに行くべきか。
そんなこと無理だと分かっている。そもそも彼女の居場所すら知らないんだ。ボクが勝手に行動したところで、できることは限られている。
「……なにかできないのかな」
これが、あの世界だったなら、こんなことで悩まなくて済んだのに。自分の持っているスキルで空でも海でも駆けていくことができる。……まぁ、そんな妄想をしても仕方ない。オンラインRPG 《カナルグ・ランデ》はもうない。サービス延長が決まっていたはずだが、ボクたちが目覚めたときにはゲームそのものがなくなっていた。
きっと、もう必要ないのだろう。
彼女の居場所はこちらにあるのだから。
「おっ、ここにいたッスね」
ふいに、声をかけられた。
そちらへ向くと、岩崎快司君がこちらへ歩いてきた。
「いやー、探したッスよ。病室に行ってもジン先輩たちしかいないし。病院中をぐるぐると回ってしまいました」
「あ、ごめんね」
ボクは素直に謝りながら、彼の来訪に何か予感めいたものを感じた。
ジンは言った。快司くんなら、彼女についても何か知っていると。それに、あの最後の戦い。彼の協力なしでは勝つことができなかっただろう。快司君がいたからこそ、ジンたちと合流できて、彼女ともう一度向き合うことができた。……いったい、この人は何者なんだろう。
「快司君。ボクに何か用かな?」
「そうッスね。まぁ立ち話もあれなんで、病院の屋上にでも行かないッスか? 今日は晴れてて気持ちいいッスよ」
「うん、そうだね」
そして、彼と一緒に屋上へと向かい、その扉を開けた。
……風が冷たい。
……空気が澄んでいる。
……空には薄い雲がどこまでも続いている。
……冬の晴れ空だった。
「さて、ユキ先輩。自分に訊きたいことがあるんじゃないですか?」
朗らかな笑みを浮かべてフェンスに寄りかかる快司君に、ボクは訊いた。
「……彼女は、アーニャは今どうしているの?」
「あ、そっちですか? てっきり自分のことを訊かれるものと思っていたッスよ」
そう言って、彼は冬の空を見上げる。
冷たい木枯らしが、どうしてか心地よい。
「姫さんは元気ッスよ。ユキ先輩と同じころに目が覚めて、それからずっと穏やかに過ごされています」
快司君の言葉に、ボクは耳を傾ける。
「目が覚めたときは、まぁそれは大騒ぎで。姫さんのご両親も飛んできたそうですよ。この辺は人づてに聞いたことですが、両親とも泣いて喜んでいたそうです。泣きながら謝って、彼女はそれを笑って許したとか」
ははっ、と彼が笑う。
「まぁ、それからは大変なもので。ユキ先輩に会わせろと毎日のように騒いでいましてね。さすがに2年も昏睡状態だった人に、面会の許可なんか下りるわけもなく。ぶつくさ言いながらリハビリに励んでいますよ」
「そ、そうなんだ」
彼の話の内容に、心臓が跳ね上がりそうだ。
「じゃあ、快司君は彼女と会ったの?」
「あー、それが。……自分は姫さんに嫌われているみたいで、会ってくれないんですよ。まぁ、心当たりがたくさんあるので文句は言えませんが」
快司君にしては珍しく、バツの悪そうな笑みを浮かべる。
……でも、とにかく。
……彼女が元気そうで良かった。
ボクも快司君をならって空を見上げる。なぜか少し寂しそうに見えた。
「そっか。元気なら、それでいいかな」
ぽつり、と呟かれたその声に、快司君が優しい口調で答える。
「……会いに行きますか?」
「え」
ボクは慌てて、彼のほうを見る。
「会いにいきますか、彼女のところへ」
……声が、出なかった。
……喉が擦れて、うまく言葉にできなかった。
「……い、いいの?」
「えぇ。自分はそのためにユキ先輩を探していたのですから。まだ、ぞろぞろと皆で押し寄せるのは無理ですが、ユキ先輩ひとりくらいなら問題ありません」
快司君はそっと微笑む。
「表に車を待たせてあります。さぁ、行きましょう。……彼女も待っています」
「っ!」
息が詰まりそうだ。
たくさんの感情が押し寄せてきて、気持ちが抑えられない。
視線を青空へと移す。
涙でぼやけそうになるのを、ぐっと堪える。
……あー、そうか。
……ようやく、やっと―
「ユキ先輩?」
「あー、ごめん。ちょっと感傷的になっちゃって」
ボクは快司君に促されて、屋上の出口へと向かう。
その時、ふと気になって彼に問いかけた。
「……快司君? 君はいったい何者だったんだい?」
彼は笑いながら答えた。
「あはは。実は姫野コーポレーションの契約社員なんですよ。《カナル・グランデ》のユーザーを監視・観察するように言われていました。……まぁ、ぶっちゃけ企業スパイです」
「は?」
「別に珍しいことじゃないッスよ。大きなゲームの有力ギルドには、企業の息のかかったスパイが1人はいるものです。そうやってリークされた情報を元に、今後の展開を考えていくわけです」
「はぁ、それは―」
……なんとも、夢のない話だ。
ボクの思っていることがわかったのか、快司君はあっけらかんと言う。
「ははっ、現実なんてそんなものですよ。ゲームのような心躍る夢物語なんてありません。辛いこと、苦しいことを乗り越えても、また別の苦難が待っている。すんなりとは楽をさせてもらえません」
そして、こう続ける。
「でも、だからこそ人生は面白い」
彼の断言するような口調に、すっと心が軽くなる。
もう一度だけ、冬空を見上げた。
……空には薄い雲がどこまでも続いている。




