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最終話「世界が閉じていく。…ウチも楽しかったよ」

――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


「ひっく、えぐっ」


 アーニャが目を覚まして、およそ10分が経っていた。

 その間、彼女は泣き続けていた。

 周りにいるメンバーたちのことを気にする余裕もなく、仰向けのまま大粒の涙をボロボロと零していく。両腕で顔を隠してはいるが、流れる涙までは隠しきれない。


 悔しいのか、悲しいのか。

 それは誰にも推し量ることはできない。彼女の心は、彼女のみぞ知るのだから。


「えぐっ、ひっく」

「……アーニャ」


 ボクはその光景を少し離れたところから見ていた。

 さすがに立っていることができず、地面に腰を下ろして膝を立てている。


「……」

「……」


 他のメンバーたちも、誰も喋らない。事の成り行きを静かに見守っている。

 その中で、最初に口を開いたのは、意外にも快司君だった。


「アーニャさん。……いえ、姫野茉莉さん」


 快司君は、彼女の本当の名前に言いなおしてから言葉を続けた。


「あなたに伝えなくてはいけないことがあります。このゲームの世界カナル・グランデのサービス延長が決定しました。ですので、あなたの意思に関係なく、この世界は存続することになりました」


 その事務的な報告に、アーニャは、……姫野茉莉は更に感情を荒立てた。


「ひっく! ……だったら、私のことなんか、……放っておけばよかったのに!」


「それはできません」


「なんで!?」


 茉莉が涙を浮かべながら睨みつける先で、快司君は哀しそうな表情を浮かべる。


「……あなたが戻ってくるのを、待っている人がいるから」


「……え?」


 その答えに、茉莉は激しく困惑した。


「う、嘘よ! 向こうに戻っても、誰も待っているわけがない! だって、私は両親にも捨てられた子なのよ!」


 彼女の嘆きがこの部屋に響き渡る。

 一番遠くにいたはずのハーメルンさんが、わずかに表情を曇らせた。


「現実に戻っても、いいことなんてないのに! なんで!? どうして!? どうして戻らなくちゃいけないの!?」


 茉莉の問いに答えるものはいない。

 誰もが俯いて、口を閉ざす。

 皆は知っているから。

 ……現実ってやつは、優しくないことを。


「そうだね。どうして戻らないといけないんだろうね?」


 気がつくと、ボクは喋りだしていた。

 彼女の傍に近寄りながら、頭に浮かんだ言葉を声にしていく。


「現実なんて辛いことばかりさ。頑張っても、頑張っても、誰も褒めてはくれない。成功するのは才能がある人だけだし、失敗しないのは立ち回りが上手な人ばかり。……ほんと、嫌になっちゃうよね」


 ボクは仲間の顔を順番に見ていく。

 自分でも、何を話そうとしているのか分からなかった。


「皆が同じことを思っているさ。……頑張るだけ無駄、努力するだけ無駄。それだったら目の前の楽しいことに飛びついたほうがいい。辛くないほうへ、苦しくないほうへ。楽なことばっかりして流されていけばいい。社会に出ることもせず、大学を受験せず、自分の大切なものだけを囲って生きていく。それはきっと、……とても幸せな生き方」


 ふぅ、とため息をつく。


「現実なんてクソ食らえさ。この世界か現実かを選べなんて言われたら、ボクだってこの世界を選びたくなる。だって、こっちのほうが楽しいからね」


「……ひっく、……ユキ」


 茉莉が目を覚まして初めて、こちらを見た。


「……じゃ、じゃあ、……なんで現実に戻れなんていうの?」


 哀願するような目だった。

 お願いだから、そんなことを言わないで、……と言われている気がした。だが、ボクは彼女の願いを断ち切るように言った。


「さっきも言われたでしょ? 君には、君の帰りを待っている人がいる。だから、君は帰らなくちゃいけない」


「嘘よ! 私のことを待っている人なんて、いるわけがない!」


「それが、いるんだ。毎日毎日、君が目を覚ますことを信じて、病院のベッドに寄り添っている人が。その人は、今この瞬間も君の手を握り続けている」


「っ!?」


 彼女の顔が驚愕に包まれる。


「そ、そんな人が、いるわけが―」


「姫野茉莉さん」


 ボクは初めて、彼女のことを本当の名前で呼んだ。


「あなたの母親から伝言です。……ごめんなさい。許してほしいなんて言わないから。もう一度だけ、あなたに会いたい」


「……え」


 再び、茉莉の目が見開かれる。

 乾くことのない涙が、その瞳を揺らす。


「……なに、それ?」


「君の母親からの伝言だそうだよ。これもジンから聞いた話だけど、君が現実世界で意識を失ったとき、一番心配をしていたのは君の母親だったそうだよ。一向に目を覚まさない娘に、毎日看病をして、時間があるときは一日中だって寄り添っていたとか」


「……」


 茉莉から何の反応もない。

 それはそうだろう。自分に酷い仕打ちをしてきた母親が、今は献身的に寄り添っているなんて、想像もできないことかもしれない。


「う、うそよ」


 開口一番、彼女はそう言った。


「嘘に決まっている。そんなことあるわけがない。だって、お母さんは私のことが嫌いで―」


「嫌いだったわけじゃない。ただ母親として、どう接したらいいのか分からなかったんだ。自分に余裕がなくて、君に辛く当たることしかできなかった」


 まぁ、それだけでも親失格ではあると思う。


「だけど、君がいなくなって、初めて自分の愚かさを自覚したらしい。こちらの都合ばかり押しつけて、なんて酷い母親だったのかと。そのことを何日も嘆いて、今も自分のことを攻め続けている」


「あ、ありえない! あの人がそんなことを気にするわけが―」


 信じられない、と茉莉は声を荒らげる。

 そんな彼女を見て、それまで黙っていたジンが口を挟む。


「本当のことだぜ、姫さん。俺は実際にあの人に会った。身なりも質素な普通のおばさんさ。そんな人が毎日毎日、姫さんの看病をするために病院に通っているんだぜ。関節が固まらないように体を動かして、いつ目が覚めていいように服や学校の制服を用意したりしてな」


 そうなのだ。

 ジンが現実世界に戻った時、現実の茉莉と会っているのだ。

 そして、そこで快司君に話を聞いて、実際に彼女の母親と会っている。その時に、言伝を頼まれた。……もう一度、会いたい、と。


「そんな、そんなこと―」


 えぐっ、と込み上げてきた涙を拭いながら、再び両腕で顔を隠す。


「信じられるわけが、……ない―」

「本当のことだよ、茉莉」


 突然、彼女の言葉を遮るように初老の男の声がした。

 メンバーが一斉にそちらを見ると、山羊の獣人ハーメルンが悲しい目で見ていた。


「お前は知らないかもしれないが、お前の母さんの慌てぶりは尋常ではなかった。食事も喉が通らず、最初の一カ月は病院に泊まり込みで看病していたのだ。お前が目を覚ますことを信じて」


「……ハーメルン? なんで、あなたが―」


 彼の声を聞いて、初めてハーメルンさんがいることに気がついたらしい。

 涙を溢れさせながら、彼のほうを見る。


「あなたは、私に作られたNPCのはず。それなのに、なんで現実のことを知っているの?」


「私はNPCなどではない。……茉莉。私はお前の祖父である、姫野葉造だよ」


「……え」


 彼女はあまりの事実に言葉を失う。

 ボクは前もって聞いていたからいいけど、知らなかったメンバーたちも目が点になっていた。


「……おじい、ちゃん?」


「あぁ、そうだ。今まで黙っていて悪かったな。だが、私も息子夫婦と同罪なのだ。肝心なところでお前を守ってやれなかった。本当にすまないと思っている」


 そう言って、ハーメルンさんは深く頭を下げた。

 結局のところ、茉莉は独りではなかった。

 現実世界では、母親が看病していて。

 ゲームの世界では、祖父が見守っていて。

 そして、何より。楽しく笑い合っていられる仲間たちがいた。


 彼女の居場所など、最初からあったのだ。

 こんな薄暗い地下迷宮の奥なんかじゃなく、もっと明るい光の当たる場所に。


「……ひっく、えぐっ……そんな、そんなことって―」


 彼女の涙を見つめながら、これまでのことを振り返える。

 いろんなことがあった。

 辛いことも、苦しいことも、たくさんあったけど。

 やっぱり楽しいことのほうが多かった。

 そう思いたい。


「……アーニャ・・・・


 ボクは敢えて、ゲームマスターとしての彼女の名前で呼ぶ。そして彼女の頬に手を触れて、優しく撫でていく。


「……確かに現実なんて辛く苦しいことばかりだけどさ、それでも楽しいこともある。その楽しいことを大切にしながら毎日を生きていく」


「……えぐっ、……ユキ?」


「もし、どうしても辛いときは、独りで抱えずに声を出して。だって君には、仲間がいるんだから。間違った道を選ぼうものなら、拳で止めてくれる友達がいるんだ。何も怖いものなんてないさ」


 ボクは顔を上げて、仲間たちの方を見た。

 すると、全員が力強く頷いてくる。頼もしく心強い友達がいて、そしてボクもいる。誰よりも君の近くで守っていく。


「さぁ、帰ろう。……皆と」

「……うん」


 茉莉は小さく頷くと、片手を天井へと向けた。

 それと同時に、わずかな振動が部屋全体を包み、光の中に溶けていく。

 ボクはそっと彼女のことを抱きしめながら、最後の時を迎えたー


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


 ……世界が、閉じていく。

 海洋国家ヴィクトリア。その美しい景観を作っていた建造物が、次々と光に消えていく。サンマルコ広場。時計塔。リアルト橋。そしてヴィクトリア宮殿。少年たちが笑い合い、泣いて、苦悩して、戦って。そうやって築かれた物語が幕を下ろしていく。


 人生は、楽しいことのほうが多い。

 そう思える時があった。

 彼らがここを去り、この街も消えていく。

 あとは思い出となって、少年少女たちの心に刻まれる。

 そう切に願う。

 ……。

 ……さようなら、ユキ。

 ……ウチも楽しかったよ

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[一言] 姫様救出成功やったね
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