第66話「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し」
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その更に上の階層では。
ヴィクトリアを模倣されて作られた街の広場に、有栖と涼太の姿があった。
すでに2人は戦える状態ではない。有栖は疲労が限界に達したのか地面に倒れ込んでいて、涼太も折れた魔導杖を片手になんとか立っている。
「……りょうた。だいじょうぶ、ですの?」
「……はぁはぁ、……問題、ない」
そんな彼らと対峙していたハーメルンも、いつくもの深手を負っていた。燕尾服は血で濡れて、自慢のステッキもおかしな方向に曲がっていている。何より、その特徴的な山羊の角が片方折られていた。
「は、ははっ。いやはや、これは驚きました。あなた方はお世辞抜きで、本当にお強い。手放しで称賛をしたいと思います」
涼太と有栖。
そして、ハーメルン。
言葉にできないほどの激戦を繰り広げた両者だったが、あえて勝者をつけるとすれば。それはハーメルンだろう。深手を負っているかもしれないが、戦闘を続けられないほどではない。このまま戦いが続けば、間違いなく彼の勝利となる。
だが、その誰もが予想する未来は。
たった一人の男によって覆される。
「やれやれ。面倒な役回りッスね」
気の抜けた男の声がした。
そして、その次の瞬間。数えきれないほどのナイフが、ハーメルンの頭上から降り注いだのだ。
「ほっ!?」
危険を察知して、ハーメルンはその場から移動する。
だが、今までのダメージもあって、全てのナイフを回避することができなかった。わずかな切り傷を残す形で、その場から離脱してみせる。
やがて、その声の主を見て、ハーメルンはその表情を曇らせた。
「……ほう。あなたが来ましたか」
「えぇ、ここからは自分が相手になるッスよ。ハーメルンさん。……いや、姫野コーポレーションの会長職。姫野葉造さん」
淡々と語る姿に、涼太と有栖から驚きの視線を浴びながら。岩崎快司が、静かにその場に立っていた。
「……姫野、葉造?」
「……誰ですの、それは?」
驚いた表情のまま、涼太と有栖が尋ねる。
快司はその問いに口を開くが、それを遮るようにハーメルンが早口でまくしたてる。その口調からは、焦りと嫌悪感が滲んでいた。
「ほほっ、あなた方には関係のないことですよ」
彼は曲がったステッキを握りしめ、悠然と立つ快司のことを睨みつける。
「この世界にいる間は、私のことなんて気にしないほうがよろしいでしょう。その男が何かを知っていても、我々には関係ないことですよ」
「ははっ、随分な言い方ッスね。ご自身こそが全ての元凶だというのに」
快司はハーメルンに睨まれていることを気にも留めず、話の続きをする。
「姫野葉造。いくつものオンラインゲームを運営する姫野コーポレーションの現会長にして最高責任者。この世界の元になったゲーム《カナル・グランデ》を作ったのも、現実世界のアーニャさんにこのゲームを与えたのも、全部あなたがやったことじゃないッスか」
得意げに語る快司のことを、涼太と有栖が固唾を飲んで見守っている。
「数年前。学校のイジメと、両親の不仲によって引きこもりになったアーニャさんに、《カナル・グランデ》というゲームを教えた。美しい国ヴィクトリア、それで行きかう多くのプレイヤー。少しでも外の世界と繋がりが持てるようにと、あなたが考えたのでしょう。ですが、あなたの期待とは裏腹にアーニャさんが心の殻から出てくることはなかった。成果と言えば、彼女の自傷行為を止めさせた程度。それからもアーニャさんはどんどんゲームの世界に没頭して、あなたから離れていった」
快司は手に持ったナイフをくるくると弄ぶ。
「それでも、あなたは諦めなたくなかった。彼女にゲームマスター権限を渡してでも、自分の手元に置いておきたかった。可愛い孫娘のためとはいえ、それは個人の裁量を大きく逸脱してはいませんか?」
「ま、孫娘ですって?」
「……それでは、この人は」
驚きっぱなしの2人に、快司は簡潔に答える。
「アーニャさんの、……本名、姫野茉莉の祖父にあたる人。彼女が唯一心を許した家族です」
その言葉に、2人は息をのんだ。
アーニャの生い立ちなどはユキから聞いていたが、まさか彼女の家族がこの世界にいたなんて。
「話はそれだけか、若造」
一瞬、誰の声なのかわからなかった。
「ならば直ぐに失せろ。貴様のような若造は見ているだけで吐き気がしてくる」
山羊の獣人ハーメルンが怒りに満ちた表情をしていた。
憤怒。
今までの落ち着いた物腰などなくなっていて、激しい怒りに燃えた彼はステッキを握りつぶしそうなほど強く握りしめる。
「えぇ、姫野会長の性格はよくわかっています。豪胆、即決、そして執着。自分の手元から離れてしまうなら、いっそのこと自分から向かおう。例え、2人が死ぬことになっても」
「え?」
「……どういうことだ?」
涼太と有栖の疑問に、快司は答える。
「この人はですね。アーニャさんが現実に戻らないと確信していたんですよ。……もっといえば、現実に戻っても意味のない命だと、そう決めつけた」
すっ、と快司の目が細くなる。
そこには、はっきりと敵意が現れていた。
「……アーニャさんは、もう戻ってこない。だから彼自身もこの世界に来た。一緒に死ぬために、サポート終了という自爆装置をつけて」
快司は手に持っていたナイフをそっと握りなおした。
姫野葉造にとって、孫娘が全てであった。
何でもしてやりたかった。
何でも買い与えてやりたかった。
彼女の望むことは全て叶えてやりかったし、そのためにはどんな手段でも使うつもりだった。しかし、その孫娘が自分の届かない場所へといこうとしている。
それが耐えられなかった。
自分の傍から離れていく孤独に、我慢できなかったのだ。
「もう、十分だろう」
唐突に、ハーメルンが口を開いた。
そして手に持ったステッキを構える。
「私は、私がしたことを間違っているとは思わない。孫娘が幸せなら、それでいい。例え現実ではない虚構の世界でも。あの子が笑っていれば、それでいいんだ」
「……サポート終了という爆弾を仕掛けておいて、よく言えますね」
「それこそ私の優しさだ。夢とはいつか醒めるもの。ならば、夢のまま終わりにしなければならない。そのためのサポート終了期間であり、そのための私だ」
快司の言葉に、ハーメルンは表情を変えずに答える。
「アーニャさんが現実に帰るとは、考えなかったんですか?」
「それはない。私はあの子の全てを知っている。……あの子は、まだ子供だ。現実なんて辛いだけの世界より、楽しいことだからの世界を選ぶに決まっている」
「……いつか帰ってくると、信じられなかったのですか?」
「信じているさ。現実なんかに帰らないとな」
ハーメルンが言い放って、快司が溜息をつく。
「はぁ、やれやれ。ユキ先輩と関わって、いろいろと成長しているですけどね。彼女だって、いつまでも子供じゃない」
「話は終わりだ。さぁ、今すぐご退場を願おうか」
ハーメルンが緩やかな動きで快司に迫る。
ステッキをサーベルのように持って、いつでも命を狙える位置につく。だが、それでも快司は動かない。
「話は、……まだ終わってないですよ」
快司はハーメルンのこと睨みながら、ポケットに手を入れた。
そこある封筒を手に取って、彼の前で開けてみせる。そして、その紙面をハーメルンへと見せつけたのだ。
「……先日の取締役会にて、姫野葉造氏の会長退任が既決しました。これで姫野コーポの全権限は、社長である息子の姫野誠氏へと譲渡させる。つまり、この世界は―」
無表情だった快司に、嫌味な笑みが浮かぶ。
「あなたのものではなくなった。サポート終了は延期されて、この世界は存続し続ける」
「な、なんだと―」
それまで、どんなことがあっても驚かなかったハーメルンが、驚愕に言葉を失う。
「ば、ばかな! あのバカ息子が、そんなことを決断できるはずがない! 孫娘を追いこむような奴に、こんな真似ができるわけが―」
「時が止まっていたのは、あなただけだったんですよ。元・会長」
静かに、快司が言い放つ。
「皆、苦しみながらも答えを出してきた。このままではいけない、と自分を変える努力をしてきたんだ。それは、姫野社長も同じこと。自分の娘を目の前で失って、何も感じない親がいるものか」
「っ―」
快司の言葉が、ハーメルンの心に深く突き刺さる。
アーニャを追い込んでいたはずの父親が、今度はアーニャを救うために力を貸してくれていた。自分の犯した罪にようやく気がついて、悩み苦しみながら、新たな答えを導き出した。
ユキたちに全てを賭ける、という選択を。
「……さて。サラリーマンというのは窮屈でね。どんな時だって目上の人を立てなくちゃいけない。相手が会長なら尚更だ」
快司の手に持ったナイフが、きらりと紫色に輝く。
「だけど、これで俺も本気が出せる!」
絶大な力を持った企業の会長から、ただの人へと変わったのだ。
臆することは、なにもない。
「……『終わりなき投擲刃』! 無限の刃よ、その老害を八つ裂きにしろ!」
瞬時に、快司の周囲に現れたナイフの群れ。
数えきれない、無限とも呼べる刃を全てを。手負いのハーメルンに向かって、全て放った。
ぐああああぁあぁぁぁっぁぁあぁっっ!
かすり、刻み、貫く。
逃げることも、身を守ることもできない。
やがて長い断末魔の果てに、山羊の獣人はその場に崩れ落ちた。
「……最後まで、俺たちを信じようとはしなかった。それがお前の罪だ」
かすかに息をしているハーメルンに、快司は冷たい視線を向けた。
そして、その更に上層では。
黒い影と戦い続ける、ゲンジと誠士郎の姿があった。彼らもまた、抗いがたい死闘を繰り広げていたー




