第22話「コトリと肉じゃが②」
「……コトリ。あなた、何を作ったんだい!?」
ギュルギュルと悲鳴を上げるお腹を、ボクは冷や汗をかきながら押さえていた。
目の前のトイレットペーパーが、目に見える速度で減っていく。
『何って? 肉じゃが、だけど?』
「肉じゃが!? たったひと口食べただけで、嘔吐下痢を引き起こすものを、肉じゃがだっていうのかい!?」
『そうよ。肉じゃがとは、不思議な力を持っているの。人妻が作れば不倫が始まり、女の子が作れば恋が生まれる。つまり、肉じゃがとは、破壊と創造を司っている究極の料理なの』
「黙りなさい! こんな毒薬兵器を食べさせておいて、何が究極の料理だよ! 目の前が真っ白になって、危うく元の世界に行きそうだったじゃないか!」
トイレの扉越しに、コトリの声が聞こえてくる。
その声はどこまでも、真面目なものだった。
『ふふふ、やっぱり究極の料理への道は険しいのね。……分かったわ。これから家に帰って、新しい料理を作って―』
「ミク。コトリを殴って」
『おう』
『えっ!? ちょ、待って―』
コトリの言葉が途切れると同時に、ゴンッと鈍い音が扉の向こうから聞こえてきた。
『い、いたい。……ぐすん』
『まったく。これに懲りたら、もう料理をしないと誓いなさいよね』
『嫌よ。わたしはジンのお嫁さんに―』
『あんたを嫁に出すくらいなら、ユキを嫁にくれてやるわ! この飯マズ女が!』
『ひ、ひどい!』
扉の向こうでは、コトリとミクが言い合いになっているようだ。
だけど、そんなことは気にならない。
お腹がギュルルと唸り、全身から冷や汗が噴き出した。
結局。トイレから出てこられたのは、それから1時間後のことだった。
「はぁー。酷い目にあった」
ボクは温かいお茶を啜りながら溜息をつく。
「コトリ。ボクからもお願いするよ。君はもう二度とキッチンに立たないでね」
「えぇ、分かったわ。……それじゃ、何か口直しになるものを作るわ」
「……あ、そう。もう一回、殴られたいわけだ」
立ち上がる彼女を、ボクとミクが容赦なく掴んだ。
その悪鬼に迫る表情を見て、ようやくコトリはその深刻さに気がついたらしい。ふうるふると首を振りながら、黙ってイスに座る。
「ユキ、お腹は大丈夫?」
斜め向かいに座っていたミクが心配そうに聞いてくる。
「うん。とりあえず落ち着いた」
「食欲は?」
「ちょっとだけ」
「そ」
そう言って、ミクが立ち上がると台所にあるボクのエプロンを手に取った。
「あたしたちも晩御飯がまだだからさ。何か軽く作るよ。食材を適当に使ってもいい?」
「うん、いいよ」
ミクは棚からフライパンを取り出しながら、冷蔵庫の中を確認していく。さすが、ここで一緒に暮らしてきただけはある。勝手知ったる我が家という感じだった。
「えーと、にんじんに豚肉。あと、ジャガイモがあるね」
「肉じゃがにしよう」
「「却下!」」
コトリの提案を、ボクたちが全力で拒否する。
その時だ。
コンコン、と玄関をノックする音が聞こえた。
「あれ? またお客さんかな?」
「あたしが出るよ」
ミクはフライパンを片手にぱたぱたと玄関へ向かう。
そして扉を開けると、そこには意外な人たちが立っていた。
「む? 御櫛笥ではないか?」
「あなたとユキ君にところに来ていたのですね」
ゲンジ先輩と、誠士郎先輩だ。
この2人がボクの家に来るとは、珍しいこともあるものだ。
「おや? 男子が2人して来るなんて。どうしたの?」
ミクが訊くと、ゲンジ先輩は肩をすくめながら答える。
「なぁに。世界がこれでは、あまりに辛気臭いと思ってな。誠士郎と一緒に晩御飯を食べに来たのだ」
「ちゃんとお土産もありますよ」
誠士郎先輩は両手に抱えている紙袋を見せつける。
「ピザですよ。店員がいなくなった軽食屋から貰ってきました」
「おいおい。そんなことをしていいのか?」
「構わんだろう。どうせ腐ってしまうのなら、我らが食べたほうが何倍も有意義だ」
そう言って、ゲンジ先輩と誠士郎先輩がずかずかと家の中に入ってくる。
なんだか急に賑やかになってきたなぁ。気のせいか、さっきよりも部屋が狭く感じる。
「まぁ、ピザがあるんだったら、あたしはスープでも作るかな」
「うむ、そうしてくれると助かる、……のわっ!」
「ひぃ!」
突然、ゲンジ先輩と誠士郎先輩が悲鳴を上げた。
何に驚いているのかわからないが、彼らの視線の先にはコトリと、……彼女の作った肉じゃががある。
「た、た、小鳥遊っ!?」
「あ、あなたも来ていたのですね!?」
2人は顔を真っ青にさせながら、コトリへと声をかける。
すると、コトリは首をちょこんと傾げながら口を開く。
「……肉じゃが、食べる?」
「「食べないっ!」」
ゲンジ先輩はお腹に手を当てながら、誠士郎先輩は口に手を当てながら、コトリの料理から離れた床に座る。……この2人も被害者なのか、と心の中で悟った。
「ゲンジ先輩。温かいお茶でも飲みますか?」
「う、うむ。貰おう」
「あっ、僕もください」
先輩たちは両手でマグカップを持つと、ずずずとお茶を啜った。
来客は続く。
ミクが大鍋でスープを作っていると、再び玄関がノックされる―




