第40話「コトリ②」
夜空に、星が輝いていた。
まるで星の海のようだった。
パンッ、と遠くで音がする。
狐人族の聴覚が敏感に反応するが、何の音なのか考える余裕なんてなかった。左肩に凄まじい衝撃を受けて、そのまま後ろに飛ばされていた。
「がぁ!」
ラグナロクの背中に崩れ落ちる。ろくに受け身もとれなかったので、顔中に鱗の擦り傷ができてしまった。だが、そんのことなど気にする時間もなく、わたしは大声で叫んでいた。
「あ、あああああっっっ!!」
痛い!
痛い! 痛い! 痛いっ!?
どくどくと真っ赤な血が、脈を打つたびに溢れ出てきた。
……このままだと死んでしまう。
とっさに、そう思った。
「い、いやだ!」
左肩を押さえながら、わたしは叫ぶ。
「死にたくない! 死にたくないよっ! お願い、ジン! たすけ―」
その声を遮るように、再びパンッという破裂音がした。
そして、次の瞬間には。
右足に弾痕が刻まれていた。
「あうっ!」
がくっ、と姿勢が崩れた。
歯を食い締まりながら、右足の痛みに耐えようとする。冷や汗が噴き出して、心臓が喧しいほど脈を打つ。
「……痛い、痛いよ。……ジン、たすけて―」
今はもういない人に助けを求め続ける。
だけど、それすら許してくれないのか、2発、3発と、立て続けに甲高い銃声が響いた。
「あっ! あうっ!」
銃弾が貫通するたびに、わたしの体は人形のように踊った。
膝をつくこともできず、無様に倒れこむ。
前のめりに崩れた先には、先ほどまで何度も踏みつけていた靴の痕が残っていた。
「……あ、ああ」
もはや、叫ぶ気力すらなかった。
撃たれた場所から、どんどん血が零れていく。
体の温度が下がっていくのがわかる。
「……いやだよ、死にたくないよ」
大声を出し続けてしまったせいか、掠れた声しかでない。
ぜぇぜぇと浅い呼吸を繰り返しながら、こみ上げてくる感情を言葉にする。
「……あいたいよ、ジン。……もう一度でいいから、あなたに会いたい」
声に出してしまって、その想いで心の中がいっぱいになる。
寂寥に、胸を詰まらせる。
彼に会いたい。それだけだったのに。
どうして、こんなことになってしまったのか。
さっきまで暴れまわっていた黒い感情は、嘘のように消えていた。その代わりに、何かが足りないという喪失感に支配されていく。
……寂しい。
……ひとりは、寂しいよぉ。ジン。
「やぁ、後輩ちゃん。気分はどうだい?」
ふいに、頭上から少女の声が聞こえた。
黒髪の少女が、狙撃銃を片手に笑っている。その姿に、彼の親友かと思ったが、まったくの別人であると理解した。
なぜなら、彼の親友だったら、こんなふうに笑いながら銃口を突き付けることなんてないだろう。
「初めましてだね。ウチの名前は、御影優奈。キミも知っている、優紀の姉だよ」
彼の親友の姉といわれても、状況など飲み込めるわけもない。だが、黒髪の少女は。そんなことお構いなしと言葉を続けた。
「さて、さっそくで悪いんだけど、降参してくれないかな」
「……降参?」
「そうだよ。今すぐラグナロクを引っ込めて、大人しくしてくれないかな。それとも、この状況でも戦い続ける?」
カツッ、と狙撃銃がわたしの脳天に突き付けられる。
「……」
わたしは、すぐには答えられなかった。
戦う力なんて残っていないし、自分で立ち上がることもできない。体中に何発もの銃弾で撃ち抜かれて、それでも戦えるほど頑丈ではない。わたしは少し悩んでから、答えた。
「じゃあ、殺して」
「え?」
「殺して、ほしい。ジンのいない世界で生きていても仕方ない。たった一人で生きていく気合も根性もない。だから、殺して」
「……キミは」
黒髪の少女は驚きながら、指先を引鉄から離した。
夜の風が吹いて、雲の隙間から月明かりが零れる。わたしの全てを諦めた笑顔に、美しい月光が照らしている。
「ごめん、キミが何を言っているのか、ウチにはさっぱりわからないよ」
優奈は首を傾げながら、横たわる少女を見下ろす。
よくよくみれば、本当に可愛らしい女の子だった。小柄な体に、ほっそりとした手足。整った顔立ちに、綺麗な空色の瞳。狐人族の獣耳と尻尾が、彼女をさらに愛くるしいものに見せている。
そんな子が、どうして自分から死を望むのだろう。
優奈には、どうしても理解できなかった。
「事故で死んじゃったウチが言うのもなんだけど、生きることって、とても大切なことだと思うんだよね。生きているから、楽しいこと、嬉しいことがある。そりゃ辛いこともあるだろうけど、そんな事は人生の楽しさに比べたら、ちっぽけなことじゃないかい?」
「……そう。お前にはわからないんだ」
コトリは小さな声で答えた。
「それじゃ、何を言っても理解できない。生きることが素晴らしいことだって? 人生の楽しさに比べたら、辛いことなんてちっぽけなことだって?」
そう言って、皮肉な笑みを作る。
「……ははっ、そんなのクソ食らえだ」
「後輩ちゃん?」
「だって、そうでしょう? お前が言っていることは大人の理屈だ。楽しいことも辛いことも知っているから、そんなことが言えるんだ」
けほけほ、と乾いた咳が混じる。
「じゃあ、辛いことしか知らない人間は、どうやって希望を持てばいいの? 楽しいことも、嬉しいことも。何も持っていない人間はどうすればいい?」
「何も持っていない? そんなことはないでしょ。キミにだって、家族や友達がいるじゃない。それはとても幸せなことだと思うよ」
優奈が真顔で返す。
すると、コトリが温度のない視線を向けてきた。
「それが大人の理屈だと言っている」
その言葉には、強い意志が込められていた。
「お前たちはいつもそうだ。楽しいこともきっとある、とか薄っぺらい言葉を使いやがって。1日1日が死ぬほど辛くて、苦しくて、でも逃げられなくて。息をすることにも自己嫌悪するような人間の、……弱い人間の気持ちがわかるっていうのか?」
「……弱い人間の気持ち」
優奈がポツリと呟いた。
その時に脳裏をよぎったのは、心の中で眠る弟のことだった。『誰もが姉さんのように強い人間じゃない。心のどこかに、拠り所を求めてしまう人間だっているんだよ』
「……優紀。キミが言っていたのは、こういうことだったのか」
優奈は寂しそうに呟きながら、手にした銃を下ろした。
「後輩ちゃん。キミの言いたいことはわかった。確かにウチでは、キミのことを完全に理解してあげるのは難しい。……だけどね」
膝を折って、彼女と同じ目線にする。
まるで温度を感じない空色の瞳。その目を真っ直ぐに見つめながら、力強く言った。
「キミに手を差し出している人がいる。キミのことを助けたいと思っている人もいる。それだけは忘れないでおくれ」
「……そんな人、いない」
「いるよ。さっきも言っただろう。キミには友達がいるじゃないか?」
優奈の問いに、コトリは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……友達なんて、いない」
「嘘だね。本当はキミだって気がついているんだ。ただ、それを認めたくないだけさ。自分のことを知っているのは1人でいい。そんな浅はかな思い込みが、キミを自分から孤立させようとしている」
そういって、優奈はコトリの頭に手をのせる。
優しい手つきだった。
「強くなりなさい。自分の思っていることを、ちゃんと言葉にできる強さを。だって、キミが何を考えているかなんて、キミにしか分からないんだからさ」
彼女の髪を撫でる。
さらさらで、柔らかい髪だった。
コトリはまだ何か言いたそうだったが、結局、それ以上は何も言わなかった。優奈はその場で簡単な止血をすると、彼女のことを背中に背負った。急所を外しているとはいえ、出血は少なくない。しばらく休養が必要だろう。
小柄な少女を背にして、優奈が空を見上げる。
雲の隙間から見える星々に目を細めながら、小さな声で歌を口ずさむ。
「きーらきーら、ひーかーる。よーぞーらの、ほーしーよ」
少しずつ白んでくる東の空に向かって、ゆっくりと歩いていく。
……長い戦いが終わった。




