第25話「お風呂と、ぶくぶく」
「おー、おー。随分とくつろいだ様子だな、ユキ」
「きゃっ!」
唸るような声がして、ボクは驚いて飛び上がる。
そこには、腕を組んでバスルームの壁に寄りかかっている、銀色の狼男。親友がいた。
「おいおいおいおい。なんだ、その反応。まるで本当に女の子みたいじゃねぇか」
「ちょっ、ジン! なに言ってるんだよ!」
なんとなく恥ずかしくなり、さりげなく腕で胸を隠しながら、湯船に首までつかる。
「…何しにきたの? てか、いたんだったら声くらいかけて」
「そんな言い方はないだろう。お前のことを心配して、ここまで来てやったんじゃないか」
大変だったんだぞ。
あの後、警備隊を巻いて、ここを突き止めるのは。…と、ジンが呆れるように肩をすくめる。
「それで? 女の子になったボクを笑うために、わざわざ風呂に忍び込んだってわけ?」
「ははっ、結果的にはそうなったな」
ジンは鼻息を荒くさせながら、わざとらしく舌なめずりをする。その仕草が、本当の狼男のようだった。
なんだか更に恥ずかしくなって、顔半分を湯船に沈めてぶくぶくと泡を立てる。
「…からかうのも、いい加減にしてよ」
「ははっ、悪いな。お前と再会できて嬉しいんだよ。思ったより元気そうだしな」
ジンはそう言うと、ボクに背を向けて腰を下ろした。女の子になってしまったボクに気をつかったのだろう。
固有職種である『銀狼族』のステータスは、狩人と剣闘士を足したようなものになっている。
前線を支えるタフさと、隠密行動をとれる俊敏性。その二つを兼ね合わせている。バスルームに忍び込むくらい、ジンにとっては簡単なことなのかもしれない。
「…なんというか、大変なことになっちゃったね」
ボクはジンの背中に向けて声をかける。
「だな。気がついたらこんな異世界にいて、おまけに自分の体がこんなのになっていたんだから。パニックにもなったし、気も狂いそうになった」
そう言いながら、ボリボリと銀色のたてがみを掻きむしる。
ジンの場合、気がついたら人間ではなく、全身を毛で覆われた狼男になっていたのだ。その衝撃はボクとは比べ物にならないはずだ。
「でも、元気そうだね」
「まぁな。右も左もわからなかったが、やるべきことだけはあったからな」
「やるべきこと?」
「あぁ」
ジンは短く答えると、バスルームの天井を見上げた。
「お前らを、…『十人委員会』のメンバーを捜すことさ。俺がこの世界にいるってことは、他の連中もこっちに来てるかもしれない。そう思わないと、心が折れそうだったからな」
ボクは黙って耳を傾ける。
「…俺は現実主義者だからさ。無駄なことはしたくないんだ。どうしたら自分にメリットがあるのか、そればっかり考えてしまう。仲間を捜すのだって、それが俺にとって最も都合がいいからなんだ」
そう言って、ジンは珍しくため息をこぼす。
「ははっ。ジンらしいね」
ボクはちょっとだけ笑いながら、肩の力を抜いていく。湯船の縁に寄りかかって、両手をだらんと垂らした。
「…それで? 他の人は見つかったの?」
「いや。ユキとゲンジ先輩以外は、誰も見ていない」
「…ゲンジ先輩」
先ほど会った、屈強なオーガ族を思い出す。
巨大な剣を振り回す狂戦士の姿を。
「やっぱり、あの人はゲンジ先輩なの?」
「そりゃ、そうだろう。あんな怪物じみた奴を他に見たことないし、何より直感でわかる。お前だって、俺やゲンジ先輩のことは見ただけでわかっただろう」
「…うん。そうだね」
両手をぶらぶらさせながら、ゲンジ先輩が言っていたことを思い出す。
「でも、先輩はボクたちのことを知らないって言っていた」
「そうなんだよなぁ。それがよくわかんねぇ」
ジンは爪を立てて、頭をボリボリとかく。
「まぁ、ゲンジ先輩のことは、とりあえず放っておこうぜ。これからどうなるかわからないけど、お互い元気でなによりだ」
そう答えると、ジンは立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ行くぜ。迎えにいかなくちゃいけない奴もいるし」
「えっ? 他の仲間がどこにいるか知っているの?」
「いや、全然わからん。…でも、コトリだけは。なんとなくわかる気がするんだ」
召喚師のコトリ。
彼女との付き合いは、ボクよりもジンのほうが長い。そして、コトリにとって、ジンは特別な存在だ。きっとジンなら、彼女を見つけられるだろう。
「じゃあな。すぐに会えると思うが、それまではお別れだ」
ジンはボクの側まで来ると、その大きな手を突き出した。
「うん。ジンも気をつけて」
ボクも拳を突き出して、ジンの手にあわせる。
見た目が変わっていても、ボクたちには変わらないものがある。
ボクが微笑むと、ジンも笑った。
友情を分かち合えた瞬間だ。
その時だった。
ガララッ!
突然、バスルームの扉が開いた。
「やっほー、ユキ! 私が背中を流してあげるよー!」
バスタオルを身体に巻きつけたアーニャが、バスルームに乱入してきたのだった。
白い肌に、蜂蜜色の髪が躍る。
その何の前触れもない乱入者に、ボクたちは静かに思考を停止させた。
「え?」
「おっと?」
ボクとジンの視線が、彼女に注がれる。
その瞬間。
アーニャの表情が凍りついていた…




