第53話「嘘つき」
「ひ、姫さんが、俺っちのことを刺したっていうッスか!?」
「えぇ、そうよ」
アーニャが静かに歩み寄る。
よく見ると、彼女の後ろには赤い礼服を着た宮殿騎士がいた。先ほどと同じで、その顔には表情がない。目も死人のように光を失っている。
「さぁ、かいじ君。私の『日記』を返してくれる?」
「…わからないッス。なんで姫さんがそんなことを知っているッスか? この世界は、…このヴィクトリアは数百年前に移民たちが作った国で―」
「ふふっ、まだそんなことを言っているの? 数百年前の移民たち? いいえ、違うわ。この国はね、私が作ったの」
「…姫さんが、作った?」
快司は信じられないというような顔をする。
「ええ。この国だけじゃない。この世界すら、私が作ったの」
「じゃ、じゃあ! 姫さんの正体は!?」
「…そうね。あなたたちが呼ぶ世界の支配者よ」
アーニャが薄く笑う。
それは今までの彼女とは違う。優越感に満ちて、他人を蔑むような笑みだった。
「…う、嘘ッスよね? そんなこと信じられない―」
「信じなくてもいいよ。さぁ、『日記』をよこして」
「ま、待ってほしいッス。もう1つだけ教えてほしいッス!」
迫りくるアーニャに、快司が焦ったような表情で懇願する。
「こ、この世界は作られたものと言ったッスね? じゃあ、どこかに出口があるんじゃないッスか?」
快司の問いに、アーニャが渋い顔をする。
「…ないよ」
「そんなことはないはずッス! どこかに出口が―」
「ないったら、ないのよ!」
突然、アーニャが大声を上げた。
まるで何かを恐れているのか、その表情に余裕はない。
「出口なんかないのよ! だから、皆はここで楽しく生きていくしかないのよ! それなのに、あなたは!」
「…つまり、出口があったら。…俺たち『十人委員会』は姫さんを置いてどこかに行ってしまうと?」
「っ!」
アーニャが狼狽する。
「だ、黙って! それ以上は言わないで! 楽しければそれでいいじゃない! 幸せならそれでいいじゃない! この世界で生きていければ!」
そう言って、彼女の顔色が変わる。
それまで戸惑っていた表情が、どんどん敵意に満ちたものになっていく。
「…もういいわ。あなたが『日記』を渡さないなら仕方ない。無理やりにでも奪うしかない。…たとえ、あなたの命を奪うことになっても」
「ひっ!」
快司が短い悲鳴を上げる。
地面を這いながら、必死に逃げる。
そんな快司の首に、アーニャの細い指が絡みつく。
「…残念ね。本当は、あなたとも仲良くしてきたかったのに」
「嫌だ! 死にたくない! 死にたくないッス!」
…こんなので終わりっすか!?
…俺っちの人生は、こんなところで終わるっていうッスか!? …そんなのって、あまりにも理不尽じゃないッスか。…死にたくない。死にたくないッスよ! …うわあぁぁぁぁっ!
「…なんて言うとでも思ったのか?」
ぱしっ、とアーニャの手を弾く。
それと同時に、その場で両足を旋回させて華麗に立ち上がってみせる。背中にはアーニャのナイフが刺さったままだった。
「っ!?」
アーニャの顔には、何があったかわかならいと書いてあった。
そんな彼女に向かって、快司は得意げな笑みで決めポーズをとってみせた。
「ほっ、10点満点! どうッスか、俺のヒップポップなブレイクダンスは! トリックスターなんか辞めて、旅芸人にでも転職しようッスかね」
快司は余裕の表情で、親指を突き立ててみせる。
「…な、なんで」
戸惑いの声を上げたのは、アーニャだ。
「なんで、動けるのよ! あなたの背中にはナイフが刺さっててー」
「あー、これッスか?」
快司は背中に手を回して、自分に刺さったナイフを引き抜く。
その刃先には、血が一滴もついていなかった。
「いやー、偶然ッスね。失くしたと思っていた爺ちゃんの形見の懐中時計が、まさか俺っちの背中に隠れてたなんて」
「…え」
アーニャは茫然としながら、快司の持つ壊れた懐中時計を見つめる。
その得意げな姿に、アーニャの表情が少しずつ険しいものになっていく。
「…つまり、私が襲ってくることがわかっていたってこと?」
「いんや。そんなことはないッスよ。ただ、誰かさんが俺っちを襲撃してくるなら、真正面ということはありえない。死角の後ろから、それも確実に仕留められる刃物を使うくらいは予想できるッスね」
にやり、と快司が笑う。
「それに俺っちには、常時発動のサポートスキル。『絶頂を続ける幸運の星』がある。どんな攻撃だって、その幸運が俺っちの身を守る。万に一つも、だまし討ちなんてものは通用しない、…ッス」
快司は手に持ったナイフをくるくると弄ぶと、近くの水路に放り投げた。
「…さて、ここからは俺っちが質問する時間ッスよ」
快司がにこやかにアーニャと、その後ろに立つ宮殿騎士を見る。
その目は、どこか背筋の凍るような冷たさがあった。
「…ふ、ふふっ。さっきだって質問していたのは、かいじ君だったじゃない。あの怯えた顔も演技だったわけ?」
「もちろんッス。自分が優位だと思っている人間ほど、ぺらぺらと喋る奴はいないッスからね」
「…嘘つき」
「あれ、今頃になって気づいたッスか? 本当に気をつけなければいけない人間とは、いつもにこやかな笑みを浮かべている奴なんッスよ。勉強になったッスね」




