第49話「私は決めようとしているんだ。 …彼女の伴侶として、この世界で生きていくことを」
「え~ん、怒られた~」
「…当たり前でしょ」
私はため息をつきながら、頭を抱えて嘆いているアーニャを見る。
場所は、ヴィクトリア宮殿の一室。宮殿内でも最高級の調度品に囲まれたこの私室は、本当なら王族のみが使用できる部屋だったが、当の王女が街中の普通のアパートに入り浸っているので、今回のように有事の際にだけ使われる部屋となっていた。
アーニャは先ほどと同じ衣装、純白のプリンセスドレスを身に纏ったまま不機嫌そうに呟く。
「…別にいいじゃない。私の花嫁を自慢して、何が悪いっていうのよ」
「…きっと全部だと思うよ」
祝勝会のパーティ会場にて。私のドレス姿を見て暴走したアーニャは、挨拶代わりといわんばかりに自分の婚約者を発表した。私のことを抱きしめたまま、この娘が私のお嫁さんになる人、と満面の笑みで公言したのだ。
海洋国家ヴィクトリアの王女が婚約相手に選んだのは、どこから来たのかわからない黒髪の少女。果たして、周辺諸国の王族の目にはどのように映ったのだろう。…考えたくもないけど。
「…で? 休暇中だったハーメルンさんが呼び出されて、さっきまでお説教されていたと?」
「そ~なの! まったく、あの鋼鉄大臣は! ちょっと羽目を外しただけなのに、3時間だよ! 3時間も説教されていたの! 王族の何たるかから始まって、女の子同士では子供はできないとか! そんなこと言われなくてもわかってるよ!」
アーニャは喚き声を上げながら、式典用に整えられた髪形をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
そんな彼女を見て、私は諭すように静かに問いかける。
「でも、ハーメルンさんの言うとおりじゃない? アーニャは王女様なんだし。お世継ぎのためにも、ちゃんとした男性とお付き合いしたほうが―」
「イヤ! 絶対イヤ! 誰が男なんかと付き合うものですか!」
即答だった。
彼女の険しい表情から、まだ男性に対する不信感が拭えていなのか、と思った。
「私はユキと結婚するの! ユキをお嫁さんにして、2人で暖かい家庭を作っていくのが私の夢なんだから!」
子供のように駄々をこねる彼女を見て、私は一案する。
果たして、アーニャはどこまで本気なのか、と。
「ねぇ、アーニャ? 1つだけ訊いてもいい?」
「ん? なに?」
彼女がこちらを振り向くのを待ってから、私は口を開いた。
「アーニャは、…本気で私と結婚するつもりなの?」
「え?」
アーニャが戸惑った表情を浮かべる。
その様子を見て、なぜか私の中で胸騒ぎが生まれた。ざわざわと心の中が落ち着かなくなり、手の平にはじんわりと汗が滲む。まるで、彼女の返答に緊張しているかのように。
「もちろん! だって、私はユキのことが大好きだもん!」
きゅん!
アーニャの答えに、胸の内を切ない何かで締め付けられる。
「ふ、ふ~ん。そ、そうなんだ~」
そっけない返事をしながら、思わず顔をそらしてしまう。
顔が火がでちゃうくらいに熱くなって、勝手に表情が緩んでくる。
…どうしよう。にやにやが止まらないよ。
「あれ? ユキ、どうしたの?」
「な、なんでもないよ!?」
「そう? なんか、さっきから嬉しそうに、にやにやしているけど?」
「っ!」
…見られた!?
私は慌てて、アーニャに背を向ける。
…なんで? どうして?
…アーニャのことが、可愛くて仕方ないんだろう!?
「それにね、ユキ! 女の子同士でも、お世継ぎのことは心配いらないの!」
背中越しに、アーニャが声をかけてくる。
「私がこの国の女王になったら、すぐさま法務大臣のハゲに圧力をかけて法律を変えてやるの。女の子同士でも結婚できるようにして、女王でも妻を娶れるようにする。うん、完璧な作戦じゃない!」
「…でも、お世継ぎは?」
まだ、アーニャの顔は見れない。
「それも問題なし! なんとヴィクトリア王家に代々伝わる魔法書に、『名状しがたき古の秘薬』の作り方が書いてあってね。それによれば、なんと! 女の子同士でも子供ができちゃうわけっ!」
「…え!?」
驚いて、思わず振り向く。
そして目の間に迫っていたアーニャを見て、再び顔の熱が上がる。
「すごいでしょ! 私とユキの愛で子供ができるんだよ! これで2人で仲良くいちゃいちゃできるし、私たちの赤ちゃんも産まれてくるし。万事解決だよ!」
「ちょ、ちょっと待って! その話は本当なの!?」
「本当よ。ハーメルンにも確認とったし、宮中の歴史学者にも訊いてまわったもん。過去に何度か、その『秘薬』を使ってお世継ぎを産んだとか―」
「で、でも! そんな怪しい薬を使ってまで、アーニャがお世継ぎを産まなくても」
私は焦るように捲くし立てる。
だが、それを聞いたアーニャは怪訝な表情を浮かべた。
「え? 何をいっているの? 子供を産むのはユキに決まってるじゃない?」
「は、はぁ!?」
理解が追いつかない。
「だって、どう考えたってユキのほうが適任じゃない。安産体形だし。私だと、おっぱいが小さすぎて、…いろいろと足りないかもしれないし」
ぺたぺたと、アーニャが自分の慎ましい胸に手を当てる。
「だ、だからと言って、なんで私が!?」
「それはね、ユキ」
私の問いに答えるように、アーニャが静かに言葉を紡ぐ。
「あなたが、とっても可愛い女の子だからだよ」
「…え」
言葉にならない。
「私はね、もっとユキに女の子の幸せを知ってもらいたいの。大好きな人と一緒にいて、その人の子供を身篭って。そして、暖かい家庭を築いていく。そんな幸せを、一緒に分かち合いたい」
そっと、アーニャが微笑む。
幸せそうで。
でも、どこか心配そうな顔で。
「…ユキ。私と結婚してください。大好きな貴女に、この想いを」
「っ!」
彼女の真摯な気持ちに、胸が詰まる。
まっすく見つめてくる瞳が、わずかに不安に揺れている。届かないかもしれない、という気持ちを押し付けて。
アーニャが想いを言葉にのせる。
それは本当に。…本当に、綺麗な笑顔だった。
「…返事は、私が成人して女王になる日。来年の最初の日でいいから。それまでに考えてくれると嬉しいかな」
「…アーニャ」
なんでか、泣きたくなった。
こんなにも自分が想われていたなんて。
こんなにも自分を必要をしてくれていたなんて。
彼女の蜂蜜色の瞳を見つめて、ようやく理解した。
…私は、恋をしていたんだ。
初めて会った瞬間から。
この女の子に、心を奪われていたんだ。
「…んぅ」
そっと、両手でお腹に手を当てる。
ここに彼女との子供を授かるのかな?
そう思うと、どうしようもない幸福感に包まれる自分がいる。
…きっと。
…私は決めようとしているんだ。
…彼女の伴侶として、この世界で生きていくことを。
「…で、どこにいるんだよ。ユキのやつ」
ヴィクトリア宮殿の廊下で、ジンが銀色の鬣を揺らしながら呟く。
中庭のほうを見てみると、周辺各国から来た王族貴族が会話に華を咲かせていた。ここから見る限り、ユキの姿は見当たらない。先ほど、屈強な男たちと腕相撲を繰り広げていたミクによれば、アリーシア王女ことアーニャの様子を見に行ったとか。
ジンはその言葉を頼りに、宮殿内を散策していた。
その途中で、3階への階段の前を通ったが、何事もなかったように通り過ぎる。
「…じゃあね、ユキ。私はパーティに戻らないといけないから」
「…うん」
とある部屋の前を通った時、聞き覚えのある声がして足を止める。…この声は、ユキとアーニャか。
「…さっきの話。私、本気だから」
アーニャのほうは、いつもより深刻そうな声だった。どうやら大切な話をしているようだ。
「…私も頑張るから。ユキたちと一緒に幸せになれるように、頑張るから」
それだけ言うと、部屋の扉が開いた。
そして、目の前にいるジンを見て、アーニャが驚いたように目を丸くさせた。
「あっ」
「よう、アーニャ。顔を合わせるのは久しぶりだな」
ジンが軽く挨拶をするが、アーニャはどこか居心地が悪そうに視線をそらしてしまう。
「…あー、ユキに用事があるんだが。借りていってもいいか?」
「…どうぞ」
ぼそりと呟くと、アーニャは道を譲るように部屋から出た。そんな彼女に、ジンは問いかける。
「なぁ。今、何の話をしていたんだ?」
「…別に」
アーニャは振り向くこともせず答える。その様子に、違和感を覚えずにはいられない。普段の彼女はもっと明るく、気さくな性格ではなかったか。
「…あなたには、関係ないよ」
「そうか。まぁ、俺もどうでもいいがな」
ジンも興味が失せたように、アーニャから視線を外す。
その時だ。
アーニャが静かに問いかけた。
ぞっとするほど、冷たい声だった。
「…私の日記、…あなたが持っているの?」
「っ!」
ジンの心が凍りつく。
その問いの真意を確かめたくなるのをなんとか堪えて、平静を装いながら口を開く。
「…あ? 日記帳がどうしたって?」
「…」
アーニャは何も答えない。
蜂蜜色の髪の隙間から、鋭い視線が向けられている。
疑念や敵意。あるいは殺意のようなものを感じずにはいられない。
「おいおい、日記帳を失くしたのか? 誰かに読まれたら大変じゃねぇか。笑いの種にされるぞ?」
…ここでやるか?
ジンは静かに臨戦態勢を整える。
飄々と笑いながらも、腰を落として感覚を研ぎ澄ませる。なんで彼女の態度が急に変わったのか。思い当たる事はあるが、結論はまだ出ていない。
「…」
「…」
ジンとアーニャの視線が静かに交差する。
そんな時、部屋の中から声がした。
「あれ? ジン、どうしたの?」
黒髪の少女が朗らかな笑みを浮かべていた。
彼女は何も知らない子供のように、アーニャとジンのことを見ている。
…いや、きっと何も知らないのだろう。ユキが何かに気がついていたら、こんなに自然に振る舞えるわけがない。そういう奴だ。
「…あー、ちょっとな」
ジンは言葉を濁しながら、アーニャから視線を外す。
この姫さまに何を考えているのかわからないが、ユキの前で騒ぎになるようなことはしないだろう。…それに。
「姫さんの晴れ舞台を見ようと思ってな。この世界に来てから一緒に過ごした『仲間』だしな」
「…え?」
驚きの声をあげたのは、アーニャだった。
信じられないように目を見開いて、口元を手で覆っている。
「そっか。綺麗だもんね。アーニャのドレス姿」
そう言って、ユキがにっこりと絵にを浮かべる。
すると、アーニャも困ったような顔で笑みを返す。
「…え、えーと。ありがとうね」
彼女は落ち着かないように、ぽりぽりと頬をかく。
「あー、私は行くね」
「うん。ご公務、頑張ってね」
ユキが可愛らしく手を振ると、アーニャも手を振って返す。
その姿を見て、ジンは小さく呟く。
「(…ふん、ちょろいな)」
今まで一緒に行動してわかったのだが、アーニャという人物は子供だ。こちらがちょっとでも仲間意識を持たせれば、すぐに敵意の向ける先を迷わせてしまう。あの様子なら、しばらくは行動を制限ができそうだ。
「…まぁ。本当に敵なのか、わからないんだがな」
「え、何か言った?」
ジンが呟くと、ユキが聞き返す。
「いんや、何も言ってねぇよ」
そう言って、自分の親友へと歩み寄る。
…あの日記。世界の支配者の部屋にあった日記は、誰が持っているのか。そんなことを考えながら。




