第50話「戦いが終わって。…あ、碓氷君も怒っていたんだね」
「…なんか、すごいもの見ちゃったよ」
「…あたしも。碓氷が喋ったことも驚いたけど、あいつがあんなにも情熱的だったなんて」
ボクたちは顔を赤くさせながら、2人のやり取りを見ていた。
「でも、なんだか幸せそうじゃない?」
そう言って、アーニャがやんわりと微笑む。
「そだね」
「神無月先輩も辛かったんだよ。きっと、傍に碓氷君がいたから、これまで道からそれることがなかったんだね」
視線の先にいる2人を見て、小さく笑う。
碓氷君が壁を背に座っていて、その膝を枕に神無月先輩が横になっている。頬を赤く染めたまま、人差し指で『のの字』を書きながら、いじけるように唇を尖らせていた。
「…なんで、私が。…こんな辱めを」
ぶつぶつと文句を垂れるが、その姿はどこから見ても幸せそうだった。
「…か、勘違いしないでくださいよ。別に、…りょ、涼太のことが好きとか、そんなんじゃありませんから!」
さりげなく名前で呼ぶ神無月先輩。
彼の反応が少し怖いのか、不安そうにちらちらと見上げる彼女は、可愛らしい後輩のようだった。
「…」
碓氷君は何も言わない。
ただ黙って、彼女の撫子色の髪を梳いている。その光景は、もはや愛し合っている恋人にしか見えない。
「はぁ、羨ましいな」
そんな光景を前に、珍しくミクが溜息をつく。
自分の赤いショートヘアーを撫でながら、小さな声で呟いた。
「…あたしも、髪を伸ばそうかな」
こちらの世界に来た時に比べて、幾分かは伸びた彼女の髪だったが、やはりショートヘアーの域をでない。もう少しすれば、ボブカットくらいにはなるかな?
戦いは終わり、想いも届いた。
激戦の後の緩やかな時間。
張り詰めていた緊張感など、微塵も残っていなかった。
そんな時、3人の人影がこの部屋に入ってきた。
「おっ? こっちも終わってるな」
「…さむかった」
「やれやれ、こちらも酷い有様ですね」
ジン、コトリ、そして誠士郎先輩だった。
それぞれが部屋に入ってきては、思い思いの感想を述べていく。
「碓氷君が慌てていたので、どうしたのかと思いましたが。…そういうことですか」
「納まるところに、納まった感じだな」
「…割れナベに、とじフタ」
部屋の隅で静かな時間を過ごす2人を見て、誠士郎先輩は口を開く。
「何はともあれ、ユキ君が無事でよかったです。僕たちのギルドマスターに何かがあったら大変―」
ふいに、誠士郎先輩の声が途絶える。
どうしたんだろうと振り返ると、彼は目を見開いて固まっていた。
…ボクの格好を見て。
「…え」
改めて、自分の今の服装を見下ろす。
浴衣を羽織っているとはいえ、今のボクの服装はあまりに刺激的だ。ゲンジ先輩がいないことは気になるけど、この人1人でも大騒ぎになりかねない。
「きゃっ!」
慌ててミクの後ろに身を隠した。
すると、くいっと眼鏡を押し上げながら、誠士郎先輩が妖しい笑みを零す。
「ふ、ふふふっ」
…なんか嫌な予感がする。
思わず身構えてしまうが、意外にも誠士郎先輩は朗らかな表情で返してきた。
「いやいや、安心してください。いくら僕でも時と場所くらい選びます。こんなときまで、馬鹿みたいに騒いだりしませんよ」
「そ、そうですか」
…あれ?
…思いのほかの反応。
眼鏡を反射させながら、誠士郎先輩は静かに佇む。
そういえば誠士郎先輩もゲンジ先輩も、大人の対応ができる紳士だ。こんなときにまで、馬鹿騒ぎするような人ではないか。
「ふふっ、…ところで陣ノ内君」
「あ? なんだ?」
誠士郎先輩が隣に立つジンに目配せする。
ギラリッ、と眼鏡が怪しく光った。
「何か録画できるようなものはありませんか! いいえ、この際だから写真でも構いません。スマホかデジカメを持ち歩いていたりしませんか!!」
「…ねぇよ、んなもん」
「ば、馬鹿な!? このユキりんの芸術的な美しさを、後世に残せないというのですか! 見えそうで見えない『チラリズム』! 浴衣の下には何も穿いてないんじゃかと思わせる『はいてない』! この2つの最強の属性を1つにまとめた奇跡的な芸術が―」
カチンッ。
ボクの中で、…『私』のスイッチが入った。
「結局、ゲス野郎じゃない! 今すぐ黙りなさいっ!」
瞬間。
私は風となった。
超高速で地面を駆け抜けて、馬鹿の顔面に蹴りを繰り出す。
…だが。
「ふははっ! 甘い、甘いですよ!」
「っ!」
ピキンッ!と強固な壁に阻まれる。
目の前に展開されている、そのオレンジ色の八角形の盾に、私は唖然とした。
「そ、そんな!」
「はっはっは、僕が本気になればユキりんの攻撃など児戯に等しい! このDLC特典の最強の防御スキル【えーてぃーふぃーるど(こころのかべ)】の前では、全てが無意味。八角形の防御壁は『物理攻撃』、『魔法攻撃』、『あやゆる罵倒』。それら全てを打ち消して無に返す。最強の防御壁なのです!」
高笑いをしながら、悠然と佇む誠士郎先輩。
悪魔のような、ねっとりとした眼差しをこちらに向けてくる。
「ひっ!」
私は自分の体を守るように、背中を丸めて裾を下へと引っ張る。
だが、その仕草でさえこの男を喜ばせてしまう。
「ふははっ、その恥らう格好がたまりませんよ! 先に逝ってしまった源次郎のためにも、何としても心のファインダーにその姿を留めてやります!」
両手でカメラのアングルを決めるようにしてながら、ゲスの笑い声が辺りに響く。
その瞬間。
2人の少女が、誠士郎先輩に突進していった。
「いい加減にしろ、このクズ野郎!」
「私達の嫁に、そんな視線を向けないで!」
ミクとアーニャだった。
2人は私を守るように、八角形の防御壁へと突っ込んでいく。
…だが。
「ふははっ! 無駄なのがわかりませんか! このフィールドに守られている限り、僕の偉業を止めることはできませんよ!」
ピキィン!
バキィン!
独特な反射音を響かせながら、ミクとアーニャの拳を弾いていく。
「くそっ! なんて硬い防御壁なんだ! まるで誠士郎の心を映し出したかのような盾だ!」
「こんなものを使えるなんて、きっと副会長さんはとんでもなく孤独で寂しい人間なのね!」
「30歳を過ぎても彼女もいなくて。友達の人数よりも、部屋に飾ってある美少女フィギュアのほうが多いに違いない!」
「仕事はできるくせに、プライベートでは人と関わることが嫌で。そのくせ同期の人間に彼女ができたら、死ぬほど嫉妬して!」
「職場と自宅を行き来する毎日に、どんどん不安になっていって!」
「もう結婚できないかもしれないという事実に絶望して!」
「数少ない友達と飲むことが唯一の楽しみになる!」
「そんな哀しい人間になってしまうんだわ!」
拳とともに放たれる、言葉の棘。
それはまさしく、神話に語られる神の槍のよう。
物理的な攻撃は全て弾いても、言葉の槍だけが次々と刺さっていく。
ザクッ!
ザクッ!
そんな小粋な音を立てて、神ノ槍は誠士郎先輩の心を貫いていく。精神攻撃は基本であった。
「…」
言葉も出ない。
唇を噛んで、真っ赤な涙を流している。
…魂の血涙だった。
「…君たちに、…君たちみたいなリア充に!」
カッ、と目が開く。
「僕の気持ちがわかってたまるかーッ!」
八角形防御壁、全開ッ!
孤独でボッチな魂が、心の壁を厚くする。
あまりの迫力に、ミクとアーニャが弾き飛ばされてしまった。
「くっ! なんという独身力だ!」
「あまりの哀れさに、近づくこともできない!」
2人が見つめるなか、誠士郎先輩は高らかに吠える。
「こうなったら独りでも生きてやります! 40歳になっても、50歳になっても、独身貴族を貫いてやりますよ! 君たちが子育てに苦労している間に、僕は自分の人生を謳歌して―」
その時だった。
冷え冷えとした声が、部屋に響いた。
「…いい加減に、してくれません?」
私は慌てて、声をするほうを見た。
そこには、部屋の片隅で立ち上がる1人の女性がいた。撫子色の髪を逆立たせて、苛立たしそうにこちらを睨みつける。
「…人の幸せの時間を邪魔するなんて。…許せません」
瞬間。
私たちの足元に黒い魔法陣が展開された。
「ちょっ! 神無月先輩!?」
驚いて声をかけるが、まるで聞こえていない。
ミクやアーニャたちも、自分達の世界に入り込んでいて全然気づいていない。
…これはマズイ!
「ジン! 神無月先輩を止めて!」
最後の手段。
私は親友に助けを求めた、…のだが。
「え! いない!?」
既に、ジンの姿はそこになかった。コトリをつれて、さっさと退散してしまったのか!
黒い魔法陣から生える、茨の蔦。
それらは私達の足元に絡まって、身動きを封じていく。
「うおっ!」
「なにこれ!」
事態をようやく察したのか、ミクとアーニャが短い悲鳴を上げる。
悲惨なのは誠士郎先輩で、既に茨の餌食となっている。体中を縛り上げられて、眼鏡がパリンと割れた。
「ぎゃーーーーーっ!」
自慢の盾は、程なく消失。
誠士郎先輩の悲鳴が響く中、私は最後の助けを求めた。
「う、碓氷君。お願いだから、神無月先輩を止めてぇ!」
碓氷涼太君。
聡明な彼なら、暴走した先輩を止めてくれるはずだ。
心からの期待を込めて、彼に視線を送る。
すると、碓氷君はゆるりと立ち上がった。
「…よかった。これで、たすか―」
そして、大型の魔導杖をこちらに向けて。
最大攻撃魔法を放ったのだった。
「…」
碓氷涼太は何も言わない。
無言のまま、突きつけられた氷のような眼差しに、私はようやく彼の胸中を知る。
…あ、碓氷君も怒っていたんだね。
広がる白塵。
襲い掛かってくる雪崩。
身動きを封じられた私達は、逃げることもできない。
【氷結の楽園】
雪の霧が晴れた場所には、とても綺麗な氷像ができあがっていたという―




