第25話「神無月有栖とは(後編)」
「…心の、『歪み』?」
「うむ」
赤褐色の肌を軋ませながら、オーガ族は唸るように答える。
「神無月有栖は入学したときから有名人でな。同級生はもちろん、上級生たちにも甚く可愛がられていた。年上の恋人を、何人も囲っていたそうだ」
「は、はぁ…」
「それが二年生に進級して、奴にも後輩ができた。すると今度は、上級生からも下級生からも人気が出てな。年上からは可愛いと言われ、年下からは頼りになる先輩と慕われた」
「それが、どういう?」
「まぁ、最後まで聞け。神無月が三年生となり、奴の地位は確立された。美人で、優しくて、頼りになる先輩。どこから見ても一点の曇りもない、完璧な上級生だ」
ふぅ、とゲンジは一息つく。
「だがな。そんな完璧な人間など、この世には存在せんのだ」
「え?」
「神無月はな、演じ続けてきたのだ。周囲が求める理想の人間を。親が、友人が、学校が、社会が。それからが求める理想の人間像を、ただ演じていただけなのだ」
「…演じていた?」
「うむ。神無月有栖という人間は、『環境適応力』が著しく高いのだ。奴の生まれ育った環境がそうさせたのか、まるで呼吸をするように、周囲の人間の好意を嗅ぎわける。悪意もまた然り、だ」
そこまで言ったところで、今度は誠士郎が口を開く。
「彼女の性質は、社会で生きていくには必要な能力です。他人との摩擦を生まず、周囲の羨望を集め続ける。理想的な世渡り上手ですよ。…ですが、神無月さんには、人として決定的に欠けていることがありました」
「…なによ?」
「自分の意思決定です」
誠士郎は淡々と言い放つ。
「きっと彼女は、幼い頃から親の言うことを聞く、たいへん良い子だったのでしょう。ましてや、素行や態度に厳しい家庭だったのなら。日夜、他人の顔色を窺って、周囲の求める人間像を演じてきた」
「自己の意思決定が希薄になっても、仕方あるまい」
誠士郎の言葉にゲンジが続ける。
「生徒会長殿の言葉を借りるのであれば、『他人に依存する哀れな道化師』だったか。その環境に適応し、善意を集めて悪意から遠ざける。それが奴の処世術であり、生きる指針なのだ」
しんっ、と会議室が静かになる。
ゲンジと誠士郎の発言で、空気が一気に重くなっていた。
「…でもさ。それが今回の事と、どう関係してるの?」
最初に口を開いたのはミクだった。
「神無月先輩が周りの目を気にして生きてきたことはわかったよ。それで、どうしてユキを誘拐するようなことになるわけ?」
「…ミク。お前、バカだろ?」
「んだコラァ! ケンカ売ってんのか?」
ジンの軽口に、ミクが額に青筋を浮き立たせる。
「いいか? 神無月有栖はこの世界に来て、『生きる指針』を失ったんだ。自分が何をしたらいいのか、右も左もわからない。完全に暴走状態だよ」
「うむ。神無月がこの世界で最初にすることは、自分を好きでいてくれる者を探すことだろうな」
「…見つからなかったら?」
「無理やりでも、自分を好きにさせるだろうな。例え、どんな手段を使っても」
「…ちっ。そういう事かよ」
2人の言葉に、ミクは舌打ちをしながら腰を下ろす。
「ただ、…碓氷君が傍にいたのが、不幸中の幸いでしたね」
「その通りだな」
誠士郎とゲンジの意味深な発言に、ミクは口を挟もうとして、…やめた。
それは、あまりにも野暮すぎた。
幸せの青い鳥、という物語を最初から説くほどに野暮すぎた。
代わりに、ジンが円卓から立ち上がり。まっすぐ出口へと向かっていた。
「おい、陣ノ内。どこへ行くのだ?」
銀色の狼男は、視線だけ向けると、忌々しそうに答えた。
「決まってるだろう。ユキを助けに行く」
「1人で行く気か? 現実主義者のお前らしくない」
ゲンジが答えると、ジンは悔しそうに唇を噛む。
「…これは、俺のミスだ。もっと早く皆に知らせていれば、こんな後手に回ることもなかった」
「だから、1人で行くと?」
「悪いか?」
ギロリと、鋭い目つきで他のメンバーを睨む。
誰もついてくるな、と言っているようだった。
「自分のミスくらい、自分で何とかする。テメェらの手を借りるまでもねぇ」
「相手は、『神官』の神無月と、『氷の魔導砲台』と呼ばれた碓氷だぞ。1人で行くことが得策でないことくらい、わかりそうなものだがな」
「…うるせぇよ。黙ってろ」
どんどん、ジンの言葉が刺々しくなる。
会議室の空気もピリピリとした緊張感に満ちていく。
「悪いが。貴様と同じように『下らぬ事情』を抱えているのは、我も同じでな」
そんな中、ゲンジの地に響くような声が、ジンの行く手を遮った。
「ユキには借りがある。我とて、この状況を見てみぬふりなどできぬわ」
ゲンジは他のメンバーを見ると、次々に指示を出す。
「御櫛笥。お前の『人形魔法』で、神無月のいそうな場所を探してくれ」
「まぁ、1日もあれば十分だ」
「小鳥遊。召喚獣で上空からの捜索を頼む」
「…ん」
「アーニャ殿。警備隊の人員を捜索に使ってもよいか?」
「もちろん!」
「誠士郎。貴様は我と共に会議室にて待機。状況に応じて指示を出す。それでいいな?」
「ええ。問題ありません」
会議室の空気が華やいでいく。
メンバーが全員、意気揚々と気持ちを高めている。
それはまた、ジンも同じだった。
「…ちっ、余計なことを」
「悪いな、陣ノ内。自分のミスを許せない気持ちはわかるが、今は冷静になれ。我らとて、仲間を心配する気持ちに変わりはないのだ」
ゲンジの諭すような言葉に、ジンは銀色の鬣をボリボリとかく。
「…自分のケツは、自分で拭かせてくれよな」
「ふん。貴様こそ、もっと我らを信用したらどうだ? 誰かがミスをしたら、他の誰からがカバーする。それが仲間というものだ。我はそのことを、貴様から教わったのだがな」
ゲンジがあまりにいい笑顔を浮かべるので、ジンは呆れたように肩を落とした。
そして、軽い足取りで円卓へと戻っていった。




