第49話「あなたのことが大好きです。」
…ちりん。
遠くから、鈴の音のようなものが聞こえてきた。
透明で、透き通るほど澄んでいて、どこか儚い音色。
その音に呼ばれるように、ボクはそっと瞼を開いた。
「…ぁあ」
体が痛い。
腕が、脚が、顔が、鈍い痛みに覆われている。
力が入らず、指すら動かすことができない。左目は腫れあがっているのか、うまく開いてくれない。どこかぼやけた視界の中、ボクは辺りを見渡した。
「…おきた?」
その声は、すぐそばから聞こえた。
ボクの頭上から、赤髪の少女が優しく声をかけてくる。硬い石畳に横たわっているのに、頭だけが柔らかく守られているのは、そういう理由があったからか。
ボクはミクの膝枕に心が軽くなるのを感じて、安堵するように息をはく。
「…はぁ。また、負けちゃった」
体を起こそうとするが、やはり言うことを聞いてはくれず、諦めてミクの膝に甘える。
「これじゃ、中学の屋上と変わらないや。偉そうなことを言っておいて、情けないな」
「…情けなくないよ」
そう言って、ミクが顔を近づける。
元から近かった距離が、さらに近づいてくる。
「…ありがとうね。今日のことも、中学の屋上のことも。あたしを助けてくれて。…救ってくれて」
「…ミク?」
「…ずっとね、言いたかったんだ。でも、ユキが優しくて、優しすぎて、つい甘えちゃってた。ユキにあれだけ酷いことをしておいて、一度も謝ってなかったから」
ミクは涙を滲ませながら、そっと頭を垂れる。
「…ごめんなさい」
燃えるような赤い髪が、ボクの額に優しく触れる。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。酷いことをしてごめんなさい。嫌なことを言ってごめんなさい。八つ当たりをしてごめんなさい。嘘をついていてごめんさい」
ミクは小さな肩を震わせながら、ひとつひとつ謝罪していく。
「…大丈夫だよ。そんなに気にしなくって」
「ううん、よくない。ちゃんと謝らせて。じゃないと、ここから先に進めないの」
優しい泪雨が、ボクの頬を伝う。
恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせて。
緊張しているのか、少し口元を強張らせて。
そして、ゆっくりと想いを告げる。
「…好きです」
それはとても小さな声だった。
「…御影優紀さん。あなたのことが大好きです。女の子になっても、この気持ちに変わりはありません。ずっと、ずっと、あなたのことが好きでした」
今にも泣き崩れそうなほどの、感情の奔流。
そんな彼女は、とても可愛かった。
「恋人になりたいなんて、おこがましいことは言いません。…でも、もしよかったら、…もう一度、友達から始めさせてください」
最後のほうは涙声になっていた。
ぺこりと頭を下げて、胸に秘めた想いを紡いでいく。
その気持ちが、すごく嬉しかった。
「…ありがとう、ミク。こんなボクを好きでいてくれて」
手を伸ばして、その髪を掬ってあげたいけど、残念ながら力が入りそうにない。
だから。精一杯の気持ちを、言葉に乗せる。
「…本当はね、すごく怖かったんだ。こんな世界に来ちゃって、女の子になっちゃって。皆からどう思われているのか。迷惑をかけたり、気をつかわせてないか。なるべくいつも通りに振舞おうと思ってたけど、体の変化にはついていかなくって。皆が離れていっちゃうんじゃないか、そう考えると、…すごく怖かったの」
…そう。
…怖かった。
…独りになるのが、たまらなく怖かった。
「…ほんと、自分のことばっかり。嫌になっちゃうよね。…なにが『十人委員会』のギルドマスターよ。ミクのことも、皆のことも、考える余裕がなくて。そんな自分が、…大嫌い」
込み上げてくる感情をぐっと堪える。
自分の気持ちをちゃんと伝えなくちゃ。
泣くのは、その後からでいいよね。
「…こんな、…こんな『私』でよかったら、友達でいてください。…何もできないダメな私を、支えてください!」
感情のうねりが、決壊する。
涙が心の底から溢れ、嗚咽まじりの声で泣きだしてしまう。
…でも。
…今日くらいは、いいよね。
私はミクの膝に抱えられながら、子供のように泣き続ける。
すると、ミクも堪えきれず、大粒の涙を溢れされた。
袖で必死に涙を拭いながら、私のことをまっすぐに見つめる。
「大丈夫だよ、ユキ! あたしが傍にいるから! 何があっても、ずっと一緒にいるから!」
「うん! ミク、ごめんね! 辛い思いをさせて、ごめんねぇ!」
夜が更ける、暗闇のヴィクトリアで。
少女が2人。
涙を流して、互いを想い合う。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
ちりん、ちりん。
俄かにざわめきだす、夜の街。
先ほどまで粛々としていた人々が、ぞくぞくと建物から出てきた。片手に酒瓶を持ち、もう一方にはワイングラスを持ち、満面の笑みを浮かべている。
戒厳令が解除されたのだ。
昼間のクラーケン、及びリヴァイアサンの騒動で、ヴィクトリアの国民には戒厳令が敷かれていた。落ち着くまで外に出るな、というわかりやすい報せ。いつにない緊迫感に、人々は肩を寄せ合ってじっと耐えていた。
だが、それもこの時まで。
脅威が去り、戒厳令が解かれた今となっては、彼らを止めるものなどいない。
それぞれが互いの無事を確認しつつ、大いに笑いあう。
酒瓶を片手に、友や家族や一緒に。
やがてその喧騒は街中を包み込み、国全体が湧き上がる。
それは、まるで祭のようで。
現在、夜の宵の口。
いつ終わるともわからない祭りが始まる。




