第42話『喧嘩のやり方って、知っているか?』
「…空を駆けろ。【エアリアルドライブ】」
黒髪の少女が宙を駆ける。
空気を踏みつけて、力の限り疾走する。
そして、赤髪の少女に向かって斬首刀のような回し蹴りを放った。
「ぐっ!」
ミシィと、嫌な音が響く。
骨が軋み、歪み、破断した音だった。
「ぐあぁぁぁっ!」
ミクが蹴りを喰らった脇腹を押さえて、苦痛に顔を歪める。
息をするたびに痛みが走るのか、額にびっしりと脂汗を浮かべている。
「まずは、肋骨を1本。あと2本はあるから覚悟しなさい」
「…て、テメェ」
ミクが折れた肋骨を庇いながら、鋭い目つきで黒髪の少女を睨みつける。
「…いい加減にしろよ。こちとら本気で喧嘩する気なんてねぇんだよ」
「ふーん。まだ、そんなこと言うんだ?」
私が黒髪を揺らしながら、おかしそうに微笑む。
「残念だなぁ。折角、あなたと本音で話せると思ってたのに」
ゆっくりとミクへと歩み寄り、自分より背の高い彼女のことを見上げる。
「でも、ミクが頑なに拒むんじゃ、しょうがないか。これで終わりにしてあげる」
すっ、と私が体を屈める。
それを見ていたミクが、脇腹を押さえながら拳を構えた。
「…遅いよ」
だが、そんなミクを置き去りにして、彼女の背後を取った。
「…時を駆けろ。【クイックドライブ】」
その呟きと共に、時間の流れが軋む。
一瞬を永遠に引き伸ばす。
ミクは防御することを許されず、ユキの渾身の一撃をもろに喰らった。
ゆっくりと倒れていく旧友に対し、黒髪の少女は追撃の回し蹴りを繰り出す。
そして、そのまま大運河に向けて弾き飛ばした。
「ぐあっ!」
クイックドライブの効果が切れて、時が再び歩みだす。
その次の瞬間には、ミクの体は大運河の水面に叩きつけられていた。
ザッパーン、と激しい水柱が立つ。
だが、ユキの追撃は終わらない。
「まだだよ。…水面を駆けろ。【アクアドライブ】」
私は石畳を蹴り、大運河へと飛び出した。
そして、運河の水面を駆け抜ける。踏みつけられた水面はわずかに揺れて、小さな波紋が立っている。
「ぶはっ! ぶはぁ!」
大運河に叩きつけられ、もがくように水面へと顔を出すミク。
だが、その彼女の顔面にめがけて、私の蹴りが再び炸裂する。
「ぶっ!」
顎の骨を歪め、鼻柱をヘシ折る。
止まりかかっていた鼻血が、再び周囲を赤く散らす。
「ぐあっ!」
今の一撃で水面から引きづり出され、先ほどまでいた場所とは対岸に打ち上げられる。
真っ赤な髪は濡れてボサボサになり、羽織っていた振袖も血と砂の汚れで染みになっている。鼻と口からは、止め処ないほどの流血が続き、折れた肋骨が熱を持って、地獄の苦しみをもたらす。全身が打撲と裂傷に覆われており、一見すると生きている人間には見えなかった。
「…はぁはぁ」
それでもミクに意識があることのほうが、異常であった。
常人であったら、とうに死んでいるだろう。
それほどの猛攻を受けてなお、赤髪の少女は立ち上がった。
運河の水を吐き出して、Tシャツの袖で口を拭う。体はボロボロで、膝も震えが止まらない。それでも、瞳に宿した険しさは消えていない。
「…はぁはぁ、…くそっ」
「あら、まだ立ち上がるの? 本当にタフな人だね」
私は悠然と髪をかき分ける。
小綺麗な服のまま、満身創痍の旧友を見やる。
「でも、もういいや。なんか飽きちゃったし」
「…あ? 何言って―」
「だってそうでしょ。これじゃ、喧嘩じゃなくて、ただの弱いものイジメじゃない。こんなことしたって、全然楽しくないよ」
はぁ、とため息をつく。
そして、呆れるような目でミクをことを見下した。
「本当は、ミクと仲直りができるんじゃないかって、期待してたんだけどなぁ。そんな頑なに心を閉ざされたら、もうどうしようもないよ。…ミクの抱えている悩みを、少しでも手助けしたかったのに」
私の言葉に、ミクが目を丸くさせる。
そんなふうに考えていたなんて、予想だにしていなかった。
…でも。
…だからこそ。
…ミクの感情の、逆鱗に触れることになっていた。
「はっ、ははっ。喧嘩すれば仲直りできると思ってたのか? 本当に、おめでたいやつだな」
赤髪の少女は、目の前に立つ旧友を見て、…嘲笑う。
「だいたい、その悩みを手助けしたいって考えが、腹立つんだよ。あんた、あたしの何を知っているの?」
「…知らないよ。知るわけないじゃない。…だって、ミクは何も言ってくれないんだから」
ミクの問いに、ユキが視線を険しくさせながら答えた。
すると、ミクが誰にも聞こえないような声で呟いた。
「…言えるわけないだろ」
キッ、とユキを睨みつけて、怒り狂うように叫ぶ。
「言えるわけがないだろ! 何があって絶対、テメェにだけは言わなねぇ!」
…この気持ちだけは。
…誰にも気づかれるわけにはいかない。
…絶対に。
…絶対に。
…大好きだった奴に、知られるわけにはいかない!
「これ以上、あたしの心に近づくな! 知ろうとするな! 土足で踏みにじるな! もう、こちらの我慢も限界なんだよ!」
唾を吐き、手の甲で鼻血を拭う。
敵意を剥き出しにした目つきで黒髪の少女を睨む。
だが、そんなミクを前にしても、ユキは堂々と立ち向かう。
「…いいよ。じゃ、喧嘩の続きをしよっか」
ユキが軽く腰を落として戦闘態勢に入る。【エアリアルドライブ】、【アクアドライブ】、そして【クイックドライブ】。サポート系のスキルが充実しているユキは、素手での闘いにおいて上手く立ち回ることができる。
だが、そんなことはミクにとってどうでもよかった。
「…喧嘩。…喧嘩ねぇ?」
にやりと口の端を上げて、先ほどのユキの発言に笑みを滲ませる。
「なぁ、ユキ。喧嘩のやり方って、知っているのか?」
「…は?」
「ただ、殴ったり蹴ったりすれば、喧嘩になるわけじゃないんだよ。それ以前に、もっと大事なことがあんだよ」
すっ、とミクが目を細める。
笑みを消して、意識を目の前の人間にだけ集中させる。
それだけで、刃物のような緊張感が走った。
「それはな、…相手を殺す気ィでやることなんだよ」
カッ!
ミクの拳が、空間を切り裂く。
そして、次の瞬間。
傍にあった街灯が、跡形もなく吹き飛んでいた。
石畳に根元だけ残した鋼鉄の支柱。膝より上はなく、何かに捻り切られたかのように、禍々しい姿を晒している。
それを見て、背筋が凍った。
圧倒的な暴力を前に、足がすくみ、心が脅える。
生き物としての本能が告げている。
逃げろ、と。
目の前の脅威から身を守れ、と。
「もう、逃げられると思うな。本気の喧嘩ってやつを見せてやるよ」
囁かれた悪魔の声。
殺意を全身から放ち、暴力を体現したかのような存在。
…殺される。
はっきりとそう感じた。
逃げろ。
逃げろ。
逃げないと、殺される。
心では踏みとどまろうとするが、体が言うことを聞かない。気を抜くと、今にも背を向けて逃げてしまいそうだった。
「っ! …クイックドライ―」
迷いは一瞬であった。
だが、その一瞬で。
ユキの体は吹き飛ばされ、引き裂かれるような衝撃に襲っていた。




