73 迷うニコラス
朝食の席でアレクサンドルが「そうだ」と言って顔を上げた。
「ニコラス、父さん宛に医療学院関係の書類がたくさん届いたよ。私が全部まとめて受け取っておいた」
「ありがとうございます。食べ終えたらお父様のお部屋まで取りに参ります」
アレクサンドルがうなずき、マリアンヌはニコニコして二人のやり取りを聞いていた。ステラはマリアンヌの膝の上でミルク粥を食べている。ステラはとても丈夫な子供で、なんでも喜んでよく食べる。それを眺めているアレクサンドルが愛情にあふれた顔でつぶやいた。
「うちの子供達は全員丈夫でよく食べる。おおらかで丈夫で食欲旺盛なところはマリーに似たんだろうね」
「それは……褒めてくれているのよね?」
「もちろんだよマリー」
「ありがとう、アレックス」
「どういたしまして」
相変わらず仲がいい両親を見て、ハロルドとフローラが(始まりましたね)と顔を見合わせつつ料理を食べている。ニコラスは無表情だ。
「ニコラス、その他にお前宛のものが王家経由で届いている。縁談の釣り書きだ。それも目を通しておきなさい。今、お付き合いしている人はいないようだから、父さんはニコラスが決めてくれればいいと思っているよ。」
「わかりました。お任せいただいてありがとうございます」
ニコラスの返事を聞いて、全員が「えっ?」という顔になった。家族の視線に気づいたニコラスがスープを飲む手を止めて家族を見返す。
「なんでそんな顔で僕を見るのかな。縁談の釣り書きに当人が目を通すのは当たり前のことでしょ?」
「だってニコ兄さま……今まで嫌そうな顔をしていたし、釣り書きなんて目を通さなかったじゃない?」
「ロマーン公爵家の次期当主としては、そろそろ本腰を入れて結婚相手を探す時期だと思っただけさ。結婚すべき年齢になってから慌てて探すのはいい方法じゃないでしょ?」
それまで黙っていたハロルドが少し考えてから口を開いた。
「なんていうか、ニコラスは一年間の旅で大人になったね」
「私もそう思うわ、ニコ兄さま」
「本当ね。とても頼もしくなったわ」
「父さんもそう思うよ」
「勘弁してください。みんなで僕を子ども扱いしないでほしい」
ニコラスが不貞腐れた顔になり、家族全員が笑みを浮かべたまま口を閉じて話はそこで終わった。
食事を終えて父の書斎に入ると、アレクサンドルが真顔で「それでだな」と切り出した。
「アンネガルド・ド・ランバルド侯爵令嬢を始めに、たくさんの釣り書きが届いている」
「アンネガルド嬢ですか? へえ」
「おや、彼女を覚えていたか」
「もちろん覚えています。彼女には旅の帰りに再会しました。以前の強烈な印象から、ずいぶん変わっていました」
「ほう。どんなふうにだい?」
(どんなふうにって……全身から漂う優しさとか知的な雰囲気? さっぱりした態度? いや、そんなことを言ったらまたからかわれるな)
「自分を飾らなくなっていました。身分を誇ることもなければ自分を大袈裟に見せようとすることもなく、庶民の子供たちに読み書きを教えていました」
「ほう。ニコラスと共通点があるんだね。お前も奨学生制度を作って教育の普及に努めていただろう? さて、こっちが医療学園に関する書類だ。たくさんあるな。ハロルドは次期国王として政務が忙しい。実務のほうはニコラスが動くつもりだろうが、自分一人ですべてをこなそうと思わないことだ。人に任せることを学ぶのも次期当主の役目だよ」
「わかりました。仕事は他の人にも分担させます」
自分の部屋に入って書類を机に置き、「ううううん」と唸り声をあげた。
医療学院関係の書類はまだいい。抱えるほどの書類を渡されたが、粛々と処理すれば書類仕事はいずれ終わる。問題は釣り書きの山だ。
全部の釣り書きを机の上に並べた。国内外から送られてきた釣り書きに添えられた絵姿は脇にどけて、釣り書きの内容を読み始める。ニコラスは外見で生涯の伴侶を選ぶのは愚かなことだと思っていた。
釣り書き自体はいいことしか書いていないから手早く読み、そこに添えられている本人の手紙をじっくり読むことにした。
手紙さえも代筆させている可能性があるけれど、それでも決まりきった釣り書きの内容よりは情報が詰まっている。次々と手紙を読み進めていくうちに、「へえ、これは……」と思ったのはアンネガルド・ド・ランバルド侯爵令嬢の手紙だった。
他の令嬢の手紙はどれも、自分は刺繍が得意だとか、花が好きだとか、古典作品を読むのが好きという表面的な自己紹介に留まっていた。だがアンネガルドの手紙は冒頭に、「領地の子供たちの未来を明るくしたい」と書いてあった。
子供たちと一緒に文字を書いたり読んだりする楽しさ、文字を読み書きできるようになった子供たちと本の感想を語り合う楽しさなどが書いてあった。
ニコラスが一番心打たれたのは次の一節だ。
「私はたまたま侯爵家に生まれ、安全を保障され、飢えることも寒さに震えることもなく生きてきました。飢えと寒さに苦しまない生活を領地の全ての子供たちに約束したい。もっと私にできることはないか、子供たちが安心して生きられる領地経営とは? と考える日々です」
それはニコラスも考えてきたことだ。旅の間、他国の働く人々の暮らしぶりをじっくり見てきた。
領民が働いて税を納めてくれるおかげで貴族の生活が成り立っている。それを忘れてはならないと肝に銘じて帰国した。
「もう一度、アンネガルド嬢に会ってみよう」
だが釣り書きを貰った上で自分から声をかけて会えば、そこに意味が生まれる。「会って話をしてみたかった」は通らない話だし、相手に期待させておいて婚約はしないのは人として許されないと思う。
どうしたものかと考え込んでいると、フローラが入ってきた。
「こら、ノックくらいしろよ」
「しましたぁ。三回もしましたぁ」
顎を突き出し目を見開いて言い返すフローラに、ニコラスは思わず笑ってしまった。
「その顔はやめろ。エドワードに見られたら愛想をつかされるぞ」
「大丈夫、エドワード様の前ではやらないもの。それよりどうしたの? ニコ兄さまにしては珍しく辛気臭い顔をしてる」
「辛気臭い顔じゃない。真面目な顔だ。釣り書きがたくさん届けられていてさ、今、全員の手紙を読んだところだよ」
「いい人いたの? その顔じゃいなかったのかな」
「一人、気が合いそうな人がいたんだけどさ……」
フローラが目を輝かせて続きを待ったが、ニコラスは続きを言わない。フローラは我慢できなくなって、「早く言ってよニコ兄さま!」と催促した。
「その手紙を書いた人は、アンネガルド嬢なんだよ」
「あら。意外。どんなお手紙だったのかしら」
「一度感じ悪く断った僕が、もう一度会ってみたいっていうのは非常識だなと思っているところだよ」
「ニコ兄さまは常識の外で生きているんだから、いまさらでしょ? 会えばいいのに」
「フローラははっきり言うなあ」
フローラは「うふふ」と笑って、椅子に座っているニコラスの後ろからニコラスを抱きしめた。
「もしアンネガルド嬢が運命の人だったらどうするの? ここで動かなかったら、運命の人を逃がしちゃうかもよ」
「運命の人なんて根拠のない話は信じないよ。でも、そうだな。うちじゃなくて中間地点で会うのならいいかもな」
「たとえばどこ?」
「ロマーン王国北部の温泉地帯とか」
「温泉! 素敵! 温泉に一度入ってみたかったの」
「お前は連れて行かないよ。ホランド王国の次の王妃を連れて行って、何かあったら大変じゃないか」
「婚約はまだ本決まりじゃないでしょ?」
「決まったも同然だよ」
そこで二人は母マリアンヌにフローラとエドワードの婚約の話がどこまで進んでいるのかを聞くことにした。フローラとニコラスはマリアンヌの部屋入り、単刀直入に聞いた。
「お母さま、私の婚約って、本当に決まりそうですか? 決まるとしたらいつごろですか?」
ステラと一緒にソファでくつろいでいたマリアンヌが「ああ、そのことだったら」と笑顔になった。





