69 雪のホランド王国
ロマーン・ホランド街道は雪で立ち往生する季節にはまだ早く、旅は順調に進んだ。
フローラとニコラスを乗せた馬車が、ホランドの王城が見える場所まで来た。
ホランドの王城はロマーン王国のお城とはだいぶ印象が違う。ロマーンの王城は敵を防ぐという最重要課題をこなしつつも美しい見た目にこだわって建てられているが、ホランドの王城はそれに加えて寒さへの備えが重要視されている。
ニコラスが「要塞って感じだよね」とつぶやくと、フローラは「窓が小さい。こういうお城だったのね」と応じた。
分厚い石壁に設けられている窓は、ロマーン城よりはっきりと小さく少ない。
「室内の熱を逃がさないために、ああいう窓なんだ」
そう言ってニコラスは少し憂鬱になる。太陽の光を浴びて育ったフローラが、この無骨な城でこれからの一生を過ごすのかと思ったからだ。
(フローラがホランドへ嫁ぐことは、おそらくほぼ決まっている。うちの両親が婚約を急がないから自由にしていられるだけで、陛下や重鎮の中ではフローラの婚約は決定しているんだろう。エドワード王子は悪いやつじゃないけど、甘えん坊のフローラはここで一人でやっていけるのかな。今はエドワードに憧れてわくわくしているけど、いざ嫁げば寂しくて泣いたりするんじゃないかな)
妹が可愛くて仕方ないニコラスは胸の中でため息をつく。
しかし当のフローラは「北の国の暖炉は大きいんでしょう? 人が入れるくらい大きいって本で読みました」などと言って顔を輝かせている。
「大きいよ。ロマーンの暖炉とは比べ物にならない。ホランドが石炭の産出国でよかったよね」
「ニコ兄さま、機嫌が悪いの? それとも疲れているの?」
「……まあ、多少は疲れているさ」
(僕の心配なんて、フローラは一生気づかないだろう。でもそのほうがフローラは気楽か)
ニコラスは身を乗り出してフローラの頭をポンポンと叩いた。フローラが慌てて身をのけぞらせる。
「やめてよ、ニコ兄さま。せっかくきれいに整えてもらったんだから。もう、ニコ兄さまはいつまでも私を子供扱いするんだから!」
「お前はまだ子供だろ?」
「そうですけど。でも最近十二歳になりましたから!」
「十二歳はまだまだ子供だ」
そんなやり取りをしているうちに、四台の馬車とたくさんの護衛たちは王城の前に到着した。
待っていたホランド側の衛兵たちが整列して馬車を迎え入れ、フローラたちは頑丈そうな門を通って敷地へと進む。
丘の上の城から一行を眺めていたエドワード・ルーデンス・ホランドとフィリップ・ルーデンス・ホランドがエントランスに立って笑顔で迎えてくれた。
いつもは馬車を降りると走ってしまうフローラが、しずしずと歩いて兄弟の前に立った。
「フローラ嬢、ニコラス、ようこそホランドへ。長旅で疲れたでしょう。来てくれて嬉しいよ」
「お久しぶりです、殿下」
フローラが心の中で(エドワード殿下はいつ見ても美しい!)と感動していると、エドワードの隣に立っていたフィリップが話しかけてきた。
「フローラ、僕のことを覚えてる? よちよち歩きだった君がこんなに可愛く成長していて、驚いたよ」
「ありがとうございます、フィリップ殿下。もちろん覚えて……と言いたいのですが、小さかった時のことは覚えていないんです。申し訳ございません」
「ここは寒い。フローラ、立ち話は終わりにして、暖かい部屋へ行こう」
エドワード王子がスッと手を差し出して、フローラは一瞬だけためらってから手を重ねた。
その二人を眺めながら、ニコラスとフィリップが後ろを並んで歩く。
「フィリップはずいぶん背が伸びたね」
「ニコラスこそ。でも、僕の方が少し高いかな」
「そうだね。うちはお父様は背が高いけど、お母様は中背だからね」
ホランド王国は男女共に大柄な人が多い。同じ年齢のニコラスよりも、フィリップのほうが握りこぶしひとつ分ほど身長が高かった。
来賓室に案内されると、国王と王妃が待っていた。国王は堂々たる体躯の持ち主で、薄い茶色の髪に茶色の瞳。王妃もほっそりしているが身長は高い。王妃は銀の髪に青い瞳で、王子二人は母親似だ。
まずは国王から長旅をねぎらわれ、「会えてうれしい」と笑顔を向けられた。王妃からは「自分の家と思ってゆっくりくつろいでほしい」との言葉を賜り、挨拶はすぐに終わった。
「ニコ兄さま、見て! 暖炉がこんなに大きいわ」
「ドレスを焦がすからあんまり近寄るな」
「わ・か・って・い・ま・す! 私を何歳だと思ってるんですか」
「十二歳だと思ってるよ。今夜は晩餐会になるから、ちゃんとしてくれよ?」
「ふっ。完璧な淑女の振る舞いを、ニコ兄さまに見せつけて差し上げます」
「僕にじゃなくて、国王夫妻にだよ」
二人は隣同士の部屋だが、ニコラスがフローラの部屋にいる。
「あのさ、婚約と結婚に関しては……」
「わかってます! お返事はしません。お父様とお母様に相談しますって答えるんでしょ? 何回約束させるんですか! イーだ!」
「わかっているならいいさ。不細工な顔をするなよ」
しかしこの会話からわずか二時間後。
エドワードが「雪の原を散歩しませんか」とフローラに声をかけ、二人で歩いている時にこの約束は破られる。
フローラは内側に毛皮を貼ったブーツにズボン、厚手のモコモコした外套、手袋姿。ロマーンから連れてきた侍女に厚着をさせられて歩きにくそうだ。
「まだ十一月なのに、ずいぶん着込んでいるね」
「侍女たちは私が風邪を引いて寝込むのを怖がっているんです。おかげでもう暑いです……」
「ふふっ。着ぶくれしているフローラ嬢も可愛いよ」
フローラの顔がみるみる赤くなった。
みんなに心配されてここへ来たが、フローラは家族が思っているよりもこの訪問について深く考えていた。
「エドワード様に、まずお伝えしたいことがございます」
「なにかな?」
「私の母は、子供のころから天才と言われてきました。本当に素晴らしい自慢の母です。ハロルド兄さまは人格者と言われています。ニコ兄さまはお母様譲りの天才と言われています。お父様も人格者です。でも、私は普通なんです。なので、麦の穂の一族ではありますけど、私は……普通の十二歳です。もし麦の穂の一族として私に期待なさっているなら、申し訳ありませんが、殿下のご期待には沿えません」
フローラはこれを言うために今回の誘いを受けた。
家族の誰にも言ったことはないが、自分は凡庸な人間だと思っている。それでも家族に愛されて育った。その家族のように自分を愛してくれる人と家庭を持ちたいと思っている。
「君は普通でも平凡でもないよ。真に普通の人間なら、優秀な家族の中で勘違いをするか、自分を卑下したと思う。でも、君はいつも花のように笑っていて明るい。僕に自分を普通だと、期待されても困ると言い切れるところが、優秀な証拠だ」
「いえ、ですから……」
「実はね」
エドワードはフローラの抗議を遮って話を始めた。
「公爵家からなかなか婚約の打診に返事が来ないから、重鎮たちからは他の令嬢を選べと急かされている。でも、断っているんだ。僕はフローラがいい。麦の穂の一族であることは君の武器だよ。だから重鎮たちにはそれを理由にしている。本音は違うけどね」
「本音ってなんでしょう?」
「僕は自分が好きになった子と結婚したいんだ。それと、僕が王子だからではなく、僕のことを気に入ってくれたフローラと結婚したい。初めて出会った小さな頃から、君はいつも花のように笑っている。僕はそこが好きだ」
頬の赤みがやっと引いたところでまた、フローラは再び真っ赤になった。
「君にもたくさんの縁談が来ていることだろう。でも、それは断ってほしい。そして十五歳になったら、僕と婚約してほしい」
そう言い終わってフローラを見つめるエドワードは、笑っていなかった。フローラは口を開けたり閉めたりしていたが、「わかりました」と答えた。





