35 アイゼンの贈り物
アイゼンは八ヶ月の滞在ののち、療養所で静かに息を引き取った。
枕元には従者の他にカール、マリアンヌ、アレクサンドル、ハロルド、ニコラス、フローラが付き添った。
痛み止めを使うまでは意識がしっかりしていたアイゼンは、カールに「おかげで幸せな時間を過ごせた」と言い、マリアンヌには「あなたの作った物には愛がある」と言い、フローラには「私の天使ともお別れだ。楽しかった」と言葉をかけた。
アイゼンが息を引き取ると従者は一通の手紙を取り出してアレクサンドルに手渡した。
そこには自分がエンデン王国の元侯爵であること。財産分与は終わっていること。自分が使うつもりでいた財産はこちらに寄付するので療養所の増築に使って欲しいということが書いてある。
最後にエンデン国にいる息子には『自分はこの療養所にいられて幸せな最期だった』と手紙を書いた。それを息子に渡して欲しいと書いてあった。
従者が財産の残りだと差し出したものを見れば、誰もが息をのむような大粒の宝石がザラザラと袋に入っていた。
「旦那様は贅沢をなさらない人でしたが、移動の際に持ち運びしやすいようにと土地の一部を売り、代金をこの宝石に替えてこちらに持ち込んでいらっしゃいました。私からもお礼を申し上げます。この療養所を使わせていただき、本当にありがとうございました」
本来ならご遺体はそのまま土葬にされるのが通例だが、本人の希望により焼かれて箱に詰められた。故国の墓地に埋葬するという。
アイゼンが息子さんや奥様に最後まで連絡しなかったのには理由があるのだろうと、マリアンヌは詮索しなかった。最期のお別れの言葉を聞いた時、療養所を作って本当に良かったと思った。
アイゼンの遺志はマリアンヌによって実現され、新たに二十棟の療養所が建てられることになった。今度は足腰に負担がかからない平地に、円柱状の建物が追加で建てられた。そこは「アイゼン棟の一号室、二号室」と名付けられることに決まる。
マリアンヌは自分の病気をきっかけに心を癒せる庭園を作り、療養所を建てた。それは意図せずそういう流れになったのだが、これはもしや天が自分に与えた課題ではないかと思う。
今までの働きすぎもあったとは言え、自分の作ったものが大量殺人の道具になるのではないかという不安から心を病んだことを忘れていない。
四年の月日をかけて回復したが、世の中には回復できずに苦しんでいる人もいる。アイゼンのように使いにくい車椅子を使ってる人、それさえ無しで寝ているだけの人もいるだろう。
自分がやるべきこと、やりたいことが山のように世の中にあり、自分が必要とされる場があるのだと思った。
以前ならすぐに突っ走っただろうが、今回はアレクサンドルに相談した。
アレクサンドルはマリアンヌの話を聞いてうなずいている。
「手始めに病気の人たちの環境改善に取り組みたいのだね」
「ええ。まずは車椅子の改善と普及、卒中などの後遺症の改善に着手したいの。療養所に入った方々の中には庭園の散歩をするようになってから調子が良くなった人が何人もいるのよ。今まで卒中などで手足が麻痺した人は回復しないと思われていたけれど、回復する可能性があるんじゃないかと思ったわ。お医者さんと相談しながら調べたい。希望者を募って療養所の利用者で確かめたいの」
アレクサンドルが賛成する。
「いいと思うよ。寝たきりの人が減れば看病していた人も自分の仕事に戻れるだろうし、世話をする側もされる側も、自分のやりたいことができるようになる」
アレクサンドルはマリアンヌを心配する気持ちがないわけではなかったが、感情の見えない顔でぼんやりしていた頃の彼女を思えば、これは良いことだと判断した。
自分は彼女が挑戦したいことがあれば支えるつもりで生きているのだ。
「心の病に関してはわからないことがありすぎるの。こちらは自然豊かな環境と自宅から離れて環境を変えることで、状態が改善することを期待しようと思う。気長に取り組むわ」
その後、マリアンヌと医師たちが取り組んだ運動訓練は、驚きの結果を出した。
治らないと思われていた卒中の後遺症は、安静にしているよりも運動していたほうが状態が改善するのだ。マリアンヌは(領地の隅から隅までこの知識を広めなければ)と思った。
車椅子の改善は好評を博し、注文が相次いだ。走行機の開発と制作で培った知識と技術が役立った。
マリアンヌが訪れず精彩を欠いていた作業場は再び活気を取り戻した。
そんなある日、ニコラスが朝食の席で話しかけてきた。
「お母様、ちょっとおもしろい話を聞いたんだけど」
「あら。なにかしらニコラス」
「ひいおじいさまの牧場ではね、馬が故障すると最近は水の中を歩かせたり温泉に浸からせたりするんだって」
「水……なるほど! 水の中では体が浮くから運動しやすいのね! それとも水の抵抗が負荷をかけるところがいいのかしら。問題は冬場はお湯にしないとならないことか。水の清潔さも保たないとならないわね」
いかにして経費を抑えつつ清潔なお湯を作るか。マリアンヌがウンウン考えているところにアレクサンドルが話に参加した。
「なにを悩んでいるの?」
「人間もお湯の中で体の機能回復のための運動をするのがいいと思ったんだけどね。お湯を沸かすための石炭とかガスとかの経費が安くならないかなって」
アレクサンドルが黙っているのでマリアンヌがアレクサンドルの顔を見上げると、実に微妙な表情だ。
「え?私、変なことをいったかしら」
「いや。変というか、君は時々とても抜けてることがあるね」
「へ?」
「その程度の燃料費、ドレスや宝石に比べたらどうってことない金額だよね。君は何度も同じドレスを平気で着るし、宝石も欲しがらないじゃないか。いいよ、燃料費なんて気にしなくて。好きなようにお湯を沸かしたまえよ」
「……」
マリアンヌは貧乏男爵の娘である母に育てられたせいか、高位貴族の妻が高額のドレスを一度しか着ないことが理解できない。それに社交界には出ないので宝石を買って着飾ったり財力を見せつける必要もない。そもそも宝石に興味がない。
アレクサンドルには「僕がケチくさい男だと思われるでしょ」と注意されるが、自分からドレスや宝石をねだったことは一度もなかった。
「そう。じゃ、燃料費は気にしなくていいのね。すごい贅沢ね」
そうつぶやく妻を苦笑して見ているアレクサンドルである。





