あとがき ハーメルンの笛吹き男と、差別の多様性
年末には魔物が住むと人はいう。世紀末はどうだろうか?13世紀も後半に差し掛かった1284年、ドイツ、ハーメルンで、子供達が集団失踪した。
その記録を辿ると、最古の資料は、ハーメルンはマルクト教会のガラス絵である。しかし、この貴重な資料は1660年に取り換えられてしまい、今はサミュエル・エーリッヒが残した原画と碑文の映しが残っているに過ぎない。
続いて、14世紀末頃の作とされるミサ書『パッシオナーレ』の、タイトルページに脚韻詩として残されている。
その後、ミンデンの修道士ハインリッヒ・フォン・ヘルフォルトによって著された『カテナ・アウレア』の1430年~1450年頃の筆者本に記されている。
そして、アタナシウス・キルヒャー著『ムスルギア・ウニヴェルサーリス』において、現在の伝承とほぼ同様の伝説が記されている。
こうして長い年月をかけて、一つの事象は様々に脚色され、最古の資料でさえ時代的隔たりが大きいハーメルンの笛吹き伝説は、その実態を解き明かす事を困難にしている。
そのため、学説は実に自由にハーメルンの事件を解析し、多くの観点から、諸説を生み出した。
例えば、東ドイツへの移民、例えば、少年十字軍、例えば、ゼデミューンデの戦い、例えば、単なる転落事故……。時代が進むにつれて増えていく諸説は、ますます真実を霞ませるが、一つ言えることがあるとすれば、この諸々の学説が、誰かに話したくなるような奇妙な魅力を持つ事だった。
今回、私がハーメルンの笛吹き男について書こうとしたその経緯は、(故)阿部謹也氏著『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(1988、筑摩書房)を書棚から取り出したことに始まる。
小説を書くうえでどうしても避けられない資料集めに夢中になっていると、つい、メインの作品から箸休めをしたくなる時が来る。丁度そんな折に出会ったこの本は、私に発想の種を幾つか与えてくれた。
阿部謹也氏といえば、中世ヨーロッパ、特にドイツの庶民にスポットライトを当てた社会学の権威だが、この本は彼の代表作の一つに数えられる。そして、実際に当時の差別観、庶民の暮らしを照らし出しながら、ハーメルンの笛吹き男伝説の源流と、発展へと向かう道筋を辿る楽しみを与えてくれる。
そして、私はここで得た楽しみをどうにかして組み立てられないかと考え、この作品を書く事を思いついた。「難しい話として書く」事が私の妙な自尊心となっているが、そこを、なんとか曖昧に出来ないかと考えた時、こういう気の抜けた場所での会話と言うのはあり得るだろうかと言う発想に行きついたわけである。
そして、ハーメルンの笛吹き伝説に見られる暗い雰囲気を、ハーメルンから距離を置いた何処かに寄せる事で、現代社会に蔓延る明瞭な暗部について、少し仄めかしておこうと思った。この一節は他の一節と比べて些か雰囲気を異にするが、私の所見をここに込めたつもりなので、是非ともご一読いただければ幸いである。
それでは、あとがきはここまでとしよう。何せ、ハーメルンのお話は、子供がうまく言葉で伝えられなかったのだから。真実を知る術のない私が、どうしてうまく伝える事が出来るだろう?




