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マグスが子供を攫った

 フランス人は語り終えると、満足げに鼻から息を吐き、酔いしれるようにポーズを取って見せた。ドイツ人は鼻をひくつかせ、酸鼻極まる残り香に顔を顰めている。


「私も血の臭いは嫌いだよ」


「そうそう好きな人はいないだろう。なぁ?」


 頭を乾かし終えてなお、黙って化粧水を塗っていた日本人に対して声をかける。彼は片言の英語で答えた。


「何で私に振るんですかねぇ」


 ハーメルンの悲劇とは無縁の日本人は、席を立ち、彼らの屯する中に座り込んだ。


「私もその町についてはこんな話を聞いたことがあるよ。君達の語っていたのとは少し違う奴だ」


 アメリカ人が手を叩く。一同は顔を見合わせ、互いに片眉を持ち上げて頷いた。


「面白そうだ。少し話してみてくれ」


「あぁ、ちょっと待って。コーヒー牛乳を買ってくるから」


 普段からそうしているらしい日本人が、徐に立ち上がる。彼が全員分のそれを持ってくると、みな不思議そうに瓶詰の中身を眺めた。


「風呂上がりが最高なんだよ。日本人はみんなそうしている」


「では、頂こうかな」


 ドイツ人が蓋を開ける。それに倣って、全員が蓋を開けた。最初の一口を飲んだのが日本人で、次にフランス人、ドイツ人と続き、最後はアメリカ人が飲んだ。

 一息ついた一同は、次の語りを待つ。湯気が良い匂いを運ぶ中、この上等で廉価な飲み物を誰よりも早く飲み干したアメリカ人は、げっぷをした。


「ウップス、失礼。つい飲み干してしまったよ。ジャップは本当に欲張りだな」


「有難う。君には言われたくないね」


 日本人は肩を持ち上げる。空の瓶を肘掛けに置き、ふぅん、とわざとらしい声を零したアメリカ人の男は、見た目とは裏腹の実に軽快な声で語り始めた。



 私が思うに、君達の知るハーメルンには楽しみが無いと見受けられる。ただ私が知るところのハーメルンには楽しみが満ちているし、楽しみが無ければ人間生きづらいものだろう?

 そう言うわけだから、君達の悲劇的な物言いも興味深いのだけれど、私としてはその悲劇を、楽しみの中に見出したのだね。そう、丁度ハロウィンに浮足立つ日本人のニュースを見ているときの気持ちだよ、うん。


 さて、楽しみと言えばどこでだって友人と語ったり、家族との時間を楽しんだりするものだろう?つまりはそうした時間が与えられている時にこそ、用心せよと神様は言うわけだ。


 1284年6月26日、神の恵みに感謝する一等楽しい日を過ごすカルル少年も、その例外ではなかっただろうね。その日は教会の司祭が嘆くほど、市民は楽しみに明け暮れた事だろうから。


 カルル少年は多くの人がそうしているように行進(プロセッション)に従って、喧嘩や飲酒や、教会に押しかけて愚弄する人々の中を練り歩いていた。祭りの浮ついた空気は人の心を自由にさせてくれる。そう、丁度都市の空気みたいにね。だからカルル少年も、水車の旗を掲げて歩く人や、自分と同じように母と手を繋いで歩く子供たちの満面の笑みにつられて、とても感情が昂っていた。


 次々に街路を通り抜け、行進の最中、狭い街路に入ると、丁度晴れ着姿の遍歴楽師が笛を吹き鳴らして人々を楽しませていた。元より行進で色々な物を見て来たカルル少年は、楽しげな雰囲気を嗅ぎつけるのがうまかったので、遍歴楽師の愉快な演奏を聴くために行列から離れた。

 老若男女問わず、彼の奇妙な踊りと演奏に拍手や野次を飛ばす。狭い街路だから、この演奏を聞きつけた青年がやってくる際に肩をぶつけ合った。気が大きくなっていた二人は互いに酷い罵り合いをした後、「どちらが悪いのか」を決着づける為に拳を振るい始めた。

 民衆は遍歴楽師の向こうで起こる喧嘩騒ぎに気を取られる。すかさず遍歴楽師は曲をやめ、今度は追いかけっこをするような、喧嘩にはちょうど良い音楽を奏で始めた。道を埋める人々は押し合い野次を飛ばし合い、どちらが勝つかで賭けが始まる。生憎カルル少年はそういう銀ピカのものを持っていなかったから、騒ぎの様子をみてどちらにも「それ行け、それ行け!」と囃し立てる事で空気にのめり込んだ。


 喧嘩が済むと、今度は勝った青年が、負けた青年に手を貸して立たせてやる。そして勝った青年が拳を突き上げ、人々はそれに対して喝采を送った。遍歴楽師に投げられたのと同じどす黒い銅貨が、青年たちにも浴びせられる。カルル少年もその空気に飲まれ、自分の持ち物を漁った。


「強いぞー!凄いぞー!」


 何もなかった少年は、取りあえずそんな事を言って、場の楽し気な空気に紛れ込んだ。遍歴楽師も双方を讃えるファンファーレを奏でたが、黙っていられないのが町の秩序を愛する司祭だった。彼はかなり大きな声で、狭い街路にも聞こえるように、東門のすぐそばで説教を始めた。堕落した人間の行きつく先についての説教で、その説教をかき消す為にと、町民は遍歴楽師に銭貨を投げた。これに応じて遍歴楽師が笛に口を付けようとしたのだが、カルル少年は妙案を思いついた。


「ねぇ!この楽しい雰囲気は神様の賜物に違いないのだから、皆で夏至の火を灯しに行こう!」


 子供たちはカルルの妙案に皆賛同した。それはとても素晴らしいアイデアだったし、何より笛吹きの演奏を子供が独占できるかもしれないからだ。それに、丁度司祭が言うような説教が、まるで役に立たないという事も証明できるだろう。どうやら祭りの楽しい雰囲気が、カルル少年の気を大きくさせたようだ。



 夏至の炎を灯すなら、その場所はおのずと彼らにとって畏敬の場所となる事だろう。神がおわす場所はその通りだし、君臨した場所もそうだろう。他には、その地に住む人々にとって、恐怖に感じる場所などもあるだろうか?いずれにせよ、彼らはそう言った場所へと向かっていた。


 カルル少年も、夏至の炎を灯す行進に出席したのは初めてではない。この時期には昔からそうした習わしがあるから、他の人々も特別に声をかける言葉はなかった。

 また、遍歴楽師も同行しており、司祭の機嫌を直すのにも丁度良かった。


 説教を擦る司祭に対して、一言断った彼らは、大層褒められ、司祭は歓喜の余り慈愛に関する説教まで始めた始末だ。子供達はそんな説教に興味はないのだから、先を急ぐふりをしてその場を後にした。


 市壁を出て、彼らが毎年そうするように、ポッペンブルクの崖へと向かう。子供たちは遍歴楽師の愉快な演奏を聞きながら、ずんずんと道を進んでいく。背が低く良く動く軍団は、如何にも楽し気な町の賑わいを保ったまま、彼らはハーメルンの地から、コッペンブリュッゲへと至る。


 遍歴楽師は仄暗い茂みの、そこの見えない窪地に足を取られて演奏を中断した。子供達は突然止んだ演奏に一斉に視線を楽師に向ける。非難の眼差しを受け、楽師は戸惑いながら演奏を再開した。

 しかし、直ぐに泥濘に足を取られる。楽師は旅には慣れていたが、足場の悪いこの道は少々都合が悪いと感じた。夏至の炎の祭礼を見る事は楽しみであったが、同時に嫌な予感が足元の冷たい感覚と共にぞわぞわと鳥肌に変わった。


「坊やたち、ここは気を付けていった方がいい。ほれ、そこに随分と深い沼があるよ」


 遍歴楽師は演奏を一旦止めて忠告した。子供たちはその見馴れた光景に特段関心を示すことは無い。毎年のように通るこの道に、何かがあるはずも無いのだ。


 遍歴楽師はじめじめとした空気に衣服の裾を緩め、慎重に足場を選びながら進む。途切れ途切れの奏楽に皆が違和感を覚え始めると、楽師は子供達と距離を置き、呆然と彼らを眺めていた。

 カルルは違和感を抱いて楽師の元へ戻る。楽師は安堵したようにカルルを静かに撫で、続けて子供達に叫んだ。


「坊やたち、そこは底なし沼ではないかね!?危ないから戻ってきなさい!」


 子供達は聞く耳を持たない。それどころか、徐々に深くなる沼の中へ、半ば恍惚としながら火を掲げて進むのだ。

 やがて、先頭の子が大きな水しぶきを上げて深い水の中へと入った。悲痛な叫び声に倣って、子供達は甲高い叫び声で次々と深い沼の中へと落ちていく。やがて彼らが手だけを残して全身をゆっくりと沼と茂みの奥へと沈んでいくと、カルルは我に返り、悲痛な叫び声を上げた。


「いけない!助けなくては!」


 楽師は藪を掻き分けて手を掴もうと近づく。しかし、混迷するカルルと楽師には気づくはずもないが、藪を掻き分けた先にもう一つの沼があった。


 子供達の悲鳴の後に続く、もがき苦しむ水の破裂音、水泡は激しく水面に弾け、カルルは掻き分けた藪越しに、笛と共に沈んでいく楽師の姿を見た。


「ぎゃあああああああああ!ぎゃぁああああああああああああああ!!」


 カルルは体勢を崩し、藪や泥濘を蹴飛ばすようにしながら、必死に道を戻る。その一方で、沼に浸かり切ったもう一人の子供が、何か暖かく柔らかく、藻の生えた地面のようなものを踏み付けながら、何とか沼を脱出した。彼は自分が何によって助かったのか、神の助力の招待に感謝するべく沼の底を覗き込んだ。


 そこには、目を見開き、その子を恨めしそうに見つめた、顔の膨らんだ子供の死骸があった。自分の靴跡のような赤い跡がその顔に着き、その子は必死に首を振りながら、抜けた腰で泥を掻き分けた。

 彼は即座に、自分が足場にした幸運なものが、他者の生命を断つことに存分に役立ったことに気付いたのである。そして、彼は本能的に、自分に「これが神の裁きだ」と言い聞かせた。即ち、神は敬虔な彼を赦し、逆に彼らを許さなかったのである。彼はそう思い込む事によって冷静さを取り戻し、パニック状態で逃げていった子供‐つまりはカルル少年‐の背中を追いかけた。かれの足跡を辿れば泥濘に足を取られずに済むからだ。



 気が付けば、カルルは泣きながらハーメルンの市壁のもとへと戻っていた。体中が泥まみれになり、足は傷だらけで、顔面は蒼白になっている。


「どうした!何があった!?」


 その異様な出で立ちに、町の守衛も流石に異常な事態と気付き、彼に駆け寄って問い詰める。


「コッペンで……楽師が……皆……」


「何だ!?もう一度!」


 守衛が顔を真っ赤にして急かす。カルルは嗚咽を零してその場にふさぎ込んでしまった。守衛は彼の胸ぐらをつかんで再度催促する。しかし、カルルは脳裏によぎる光景を説明する事が出来なかった。


 ……そして、そもそも脳裏の光景を見る事さえも拒み続けた。


 守衛はこの子からは何も伝えられないとわかると、直ぐに司祭を呼んで彼を保護させた。やがて両親が放心した彼を教会で抱き、泣きあう頃には、少しは意識のはっきりとしている風だったもう一人の子の証言を基に、司祭、守衛が簡単な報告を市に口頭で残したのである。



 まず、カルルの、コッペン、楽師が、皆と言う証言、次いでもう一方、魔王(マグス)が、子供を、攫って行った、自分は引き返して助かった、との証言から、彼らは市参事会にこのように報告した。


 ‐1284年6月26日、ハーメルンに派手で奇妙な服の笛吹き男、即ち魔王が現れて、130人の子供達が、コッペンで消え失せた‐。


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