13/06/27(2) 料亭:まずは僕の話を聞いていただきたい
約束の一九時。
待ち合わせ場所付近には来ているものの、まだ店には入っていない。
これは情報機関のセオリー。こちらが一旦優位に立ったら、わざと遅刻するのだ。もちろんマナーとの兼ね合いがあるので、せいぜい一〇分程度だが。
──店に入ると、旭が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。流川様お待ちしてました。お連れ様は先にお見えです」
あくまで仲居として振る舞いながら、軽くウィンクを寄越す。まるで「弥生さん、頑張って下さいね~」と聞こえるかの様。
そのおかげだろう、肩が軽くなった。緊張していないつもりだったけど自覚してなかっただけなのか。これも旭を潜入させた「他の理由」なのかもな。
「御希望通り、流川様のお席は他の御客様から離れた座敷となります。一見様も本日はおりませんのでごゆっくりおくつろぎください」
旭が遠回しに「防衛面は大丈夫です」と伝えてくる。恐らくそうだろうと思っていても、石橋は叩くに越したことはない。
部屋に向かう。
先導してくれていた旭が、障子の前で立ち止まる。「開けてもいいですか~」と確認の目線を向けてきた。頷いて応じる。
──障子が開けられる。
座敷の上座にはマルタイが座っていた。
「こんばんは、申し訳ありません。遅れました」
尊大だったり謙ったりの印象を与えない様、さらりと謝る。
マルタイは無言のまま、会釈して応じた。
──席につき、旭にビールを頼もうとする。
しかしマルタイに制された。
「糖尿病の身で何を考えている」
「はい?」
「そこは本当なんだろう。仲居さん、ノンアルコールビールをお願いします」
虚勢を張って余裕めかしている様には見えない。いつもよりも微妙に早口な辺り、焦ってはいるのだろう。
ああ……やはりこの人はいい人だ。こんな追い詰められた状況でも、とっさにそんな他人を気遣う台詞が出るか。だからこそ窓際に追いやられたのだろうけど。
できればあなたを不必要に追い詰めたくはない。俺の立てた筋書に乗って欲しい。
旭が退出すると、マルタイはすぐさま本題を切り出した。
「さて弥生さん、どういう事か話してもらえるかね」
「飲み物と前菜が来るのを待ちましょう。話はそれからでも遅くありません」
こちらは逆に余裕ぶりながら自分のペースへと持っていく。相手に聞かれたからといって、御丁寧にそのタイミングで答える必要はない。
──しばし無言が続く内に、旭が飲み物と前菜を運んできた。旭は俺達に酌をしてから退室する。
さすがに乾杯はしない。
マルタイが前菜に箸をつけた。
ここだ。イラっとするであろうタイミングで話を切り出す。
「まずは僕の身分を明かす必要があるでしょうね」
マルタイに手帳を提示する。マルタイが一瞥したのを確認してから引っ込める。
「金本さん、申し訳ありません。僕は本当に何も知らなかったんです」
俺はいかにも申し訳なさそうに、少しだけ目を伏せる。
「何をとぼけている。そんなわけがないだろうが」
「本当です。僕は彼女に無理矢理CARPに通わされただけです」
本当だし。嘘を吐く時には可能な限り本当の事を話すのが基本だ。
「観音さんも公安庁の人間だろうが」
「そうですよ。そこは認めます」
「だったら──」
「まずは僕の話を聞いていただきたい」
毅然と言い切って、マルタイの言葉を制止する。ここは絶対に主導権を渡せない。
「もちろん現在は金本さんが県本部出版部長という要職にあることを存じ上げてます。でもあの時知っていたら、観音の行動は僕にとって何の得もありません。既に僕は十分に親しくさせていただいてたのですから」
ビールもどきに口を付けて間を作る。
マルタイは黙り込んでいる。続けよう。
「観音は僕の彼女ですが、実は上司でもあります。そして彼氏であり部下の僕をも自分の計画に利用したんです。いわゆる『敵を騙すにはまず味方から』でした」
「具体的に聞かせてもらおうか」
「観音は金本さんと吉島さんの交際をかなり以前から把握していました──」
わずかに間を開けて強調する。ここは後の布石になるから。
「──その上で僕をCARPに通わせれば、お二人と交流を持つ様になると考えたと。一方で観音も吉島さんに取り入り、僕と吉島さんを巻き込みながら金本さんに接触しようと目論んだ。これが観音の計画です」
今回の計画をさも観音の独走であるかの様に話す。全部観音になすりつける。
「わざわざそんな手の込んだ事をしなくても、観音さんが単独で接触してくればいいじゃないか。僕と知り合う機会を作るため翠に取り入るのはありうるとしても、弥生さんまで巻き込む必要はない」
ごもっとも。もちろん答は予め用意してある。
「僕の聞いた理由は二つあります。一つには一種のブラフ。金本さんから見たら僕も吉島さんも当事者、一体何が起こったのかと思うでしょう。篭絡するためには相手の動揺を誘うのが基本。これは金本さんも御存知のはずです」
過去にはマルタイも活動家のはしくれだったのだから。
「もう一つは?」
「公安庁では、女性調査官が単独で男性の対象者に接触する事が禁じられているからです」
「そこはわからない。なぜだ?」
「ハニートラップをさせないためです。私達もあくまで公務員ですから」
マルタイは「ふむ」と相槌を打ち、険しかった顔を僅かに緩めた。
──よし、写真の使い所だ。
「観音はお二人の密会写真も入手していました。折を見て、その写真を盾に金本さんを脅迫するつもりだった様です。『マリーナ』というホテルで撮影したと言ってました」
ホテル名を強調して告げる。マリーナは二人が常に使う行きつけだった事が、後日の調査でわかったから。
「えっ……」
マルタイが絶句する。俺もここで一旦口をつぐむ。
行きつけのラブホまで判明しているとなれば、他にも色々と調べていそうなもの。しかも「かなり以前から」把握しているときた。これは「調査の時間はたっぷりあった」と言われたも同然。疑心暗鬼に陥るきっかけになるだろう。
俺が考えたのは『使う』でも『使わない』でもある。
直接脅すのではない。この場面でマルタイを揺さぶるための道具として、写真を用いる事を決めたのだ。疑問の解答を得て安心しかけたタイミングで、更にその解答を前提とする新たな不安材料を提示されればたまったものじゃあるまい。
それにここまで状況を固めた以上、言葉だけでも十分な効果を得られる。直接突きつけるよりはショックを与えずに済む。
現在マルタイの頭の中は思考が錯綜しているだろう。もし俺がこのまま黙っていれば、妄想が妄想を呼んで勝手に自爆するはずだ。
なぜならここにいるのは俺であり、観音ではない。自分の置かれた状況が変わらないまま無関係を主張する俺にキレたところで、当の観音は何をしでかすかわからない。結論としてマルタイは俺に頭を下げるしかない。
マルタイはグラスを口につけたまま、ゆっくりと飲む。
不安を誤魔化そうとしているのだろう。
きっとそれを口から離した時が決断した時だ。
──マルタイがグラスを口から離す。
「で──」
マルタイが眉をひそめながら口を開き、言葉を発しかけた。しかし俺は言葉を重ねて遮り、助け船を出す。
「でも僕はそんなやり方は嫌いです。なので僕のキャリアとしての権限で計画を中止させ、写真も処分させました。金本さんに今後御迷惑がかかる事はありません」
警察庁ならいざしらず、公安庁の若手キャリアにそんな権限はない。しかし外部の人間からすると、言い切られれば「さもありなん」と思うだろう。
「僕は今後も金本さんと以前通りの関係を続けたいと思ってます。いかがでしょうか」
よし。淀みなくここまで言えた。少しでも淀んではだめ。自信満々に言えないとだめ。千田首席をマルタイに見立てて練習を繰り返した甲斐があった。
俺の持つ全ての材料は、この言葉を最大限に活かすために使った。
俺の目的はマルタイをやりこめることではなく、心を掴むこと。
助けた恩を着せつつも、あくまで俺が頭を下げて選択権を譲る体裁を取る。マルタイ自身に「わかった」と答える事を決断させるため。そうするための言い訳をマルタイ自身に与えさせるため。何よりマルタイの顔を立てるために。
お願いだから、これで「うん」と言ってくれ。
マルタイは腕を組み思案する。
黙って彼が口を開くのを待つ……ようやく開いた。
「言い分はわかった。その上で聞きたい。弥生さんは私に何を求めているのかね」
「『糖尿病の先輩』として色々教えていただければそれで」
「そんなわけないだろう」
「いいえ、僕の本音です。僕は金本さんと話すのが楽しいからこそ、観音の計画を潰してまでもここにいる。それに少々口憚られますが僕はキャリア。こうした仕事で実績を上げる必要はない身ですので──」
すっと軽く息を吸い込み、少しだけゆっくり、そしてはっきりと語気を強める。
「──あえて言えば、金本さんが職場で抱える不満とかもあるはずです。僕がその愚痴を聞く事で金本さんの気持ちが少しでも安らげばと思っています」
これこそが本題。その愚痴こそが俺の求めるものである。愚痴は、組織幹部の人物像や組織の内情・動向を示す情報に他ならないから。
マルタイもそれはわかっているだろう。俺の狙いにも気づいただろう。
でも窓際は辛い。それは俺が身をもって知っている。
誰が喫煙室警備なんかしたかったものか。
世を拗ねたくなる。他人を恨みたくなる。負の感情を吐き出したくなる。
もし相方のねぎと出会えなかったらどうだったか。
全てを許せる皆実がいなかったらどうだったか。
優しく応援し続けてくれたシノがいなかったらどうだったか。
じゃれあい相手の旭がいなかったらどうだったか。
土橋統括に西条課長だってそうだ。
何より観音が横浜に来て陰に日向に支えてくれなかったらどうだったか。
そんなの考えたくもない。
──マルタイが口を開いた。
「わかった、そういう事でいいなら受けよう」
やったあああああああああああ! でもはしゃぐな俺。
「ありがとうございます、これからもよろしくお願いします」
※※※
「ただいま~」
「兄ぃ、お帰り。遅かったねぇ。って、ちょっと、重い」
「あ、すまん」
玄関に上がった勢いで、そのまま皆実に倒れ込んでしまった。
自宅に戻って気が抜けたっぽい。
「まあ重いと言ってもそれ程じゃないよ。すっかり痩せて、見た目も元に戻ったしさ」
皆実が軽口を叩く。俺の疲れを察してくれているからだろう。
「ありがと。ちと悪いが部屋には絶対に入らないでくれ。まだ仕事がある」
「それじゃ部屋まで肩貸して上げるよ。さ、捕まって」
部屋に入り椅子に座る。スマホを取り出して観音に電話する。
一コールで出た。
「弥生か。どうだった」
「ん、何か声にエコーかかってませんか」
「ああ、風呂の最中だ。いつでも電話を取れる様に持って入ってた」
その一言で要らぬ事を妄想する──やばい、と思ったら観音が続けた。
「今、足を広げて大事な所を洗ってた最中だ」
「女がそんな言葉を口にしないで下さい」
「そっちこそ変な黙り方するな。本当は動画楽しみながら半身浴してたよ」
「ごめんなさい、では報告します」
「ふん。成功だろ。その余裕の口ぶり聞いてればわかるよ」
「ありがとうございます」
もっとも、旭からもある程度の報告は受けていたのだろう。
「お疲れ様。この時間まで掛かったという事は、話もそれなりに取れたんだろ?」
「はい」
「明日出勤したら早速報告書を上げてくれ。その後で首席に本対申請してもらう」
「これで後は観音さんが吉島さんを切るだけですね。そっちは大丈夫ですか」
「心配するな。私は八月から相模大野の外務省研修所だ。嫌でも関係は切れるさ」
「はい?」
今何て言った?
外務省研修所?
「私は来年からワシントンに出向する事が決まっている。来週月曜に内示だ」
口は開くが言葉が出てこない。その間に観音が続ける。
「私が何かできるのは今度こそ本当にここまでさ。一区切りつけられてよかったよ」




