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13/05/16(1) 横浜喫煙室:仕事でやってるのに料理の味なぞ楽しめるか

13/05/16 木 09: 35


【予対KT(県本出版部長)工作 第一回マルセツ】

 業務日誌の結果欄に記し、観音に提出する。

 観音は即座に印鑑をついて土橋統括の机に置くと、出口を指さした。

「喫煙室に来い。結果を聞かせろ」


 喫煙室。昨日の顛末を話し終えると、観音は真剣な面持ちで感想を述べた。

「よくやったな」

「ありがとうございます」

 たった一言。でも、一瞬だけ潤んだ青紫の瞳が全てを物語った。

 俺も泣きそうだ。

「CARPにこんな美味しいマルタイがいたとはなあ。私もジムにすればよかったよ」

 白々しい言葉、だけど真意は理解しているので黙る。

 と言うか、顔に出てるよ。そのいかにも嬉しそうに上がった口角は何だよ。見てる俺の方が恥ずかしくなってくる。

「それで、今後の方針について相談したいのですが」

「確かに打ち合わせる必要があるんだが……今晩の予定は空いているな。真の意味での初マルセツ祝いに、私がディナーを御馳走してやろう」

 「真の意味」というのはきっと本音だ。観音にしてみれば焼肉工作でのマルセツなぞマルセツの内に入るわけがない。あの日の言葉も本心だろうけど、その意味合いは未熟な俺へのフォローにすぎない。

 ともあれ、ついに俺は真なるマルコウの第一歩を踏み出したわけだ。

「お祝いは素直に受け取りますけど、ここでは話さないんですか?」

「こみいった話になるからさ。もっとリラックスして煙草を味わえる場所で話したい」

 ここは喫煙室だというのに……でも、納得する。

 俺も観音も、禁煙大国アメリカへは絶対に行けない。


                 ※※※


 横浜某所高級料亭「安芸」。

 掘りごたつの下に足を伸ばし、室内を見渡す。

 二人でくつろぐには程よい広さの座敷個室。木目を基調とする和風の佇まいが畳の香りと相まり、心を静かに落ち着かせる。

 外の庭に鬱蒼と生い茂る木々が、目を自然と和ませる。乱雑な印象を受けない辺り、丁寧に手入れされているのが窺われる。

「いかにも高そうな店ですよねえ、本当にいいんですか」

「実際高いけど気にするな。今回のマルセツでウェアと靴の代金が経費として認められたから、そのお金で奢ってるだけ。ある意味、君の稼いだ金だからさ」

「あれって観音さんのプレゼントじゃなかったんですか」

「プレゼントのつもりだったよ、君が痩せるなら私はそれでよかったから」

 観音は事も無げに言う。そこは言葉通りというわけか。

 ──障子がすっと開く。

「失礼します」

 入ってきた仲居が来店の挨拶をする。はきはきとしつつも落ち着いた口調に好感が持てる。こういう店だからか化粧は厚いけど……綺麗な人だ。

 控えめな物腰と折り目正しい動作に目が惹き付けられる。背は低いが、それがまた謙虚さを印象づける。胸をぎっちり締め付けて貧乳に見せかけた和装がまた魅力的。

 ああ、こんな彼女がいたら。

 観音から飲み物の注文を受けて、仲居が退出する。

「弥生、綺麗な仲居さんだったな。そう思わないか」

 観音がニヤニヤと何かを見透かした様に問うてくる。

 返事はこんなところかな。

「観音さんの方が綺麗ですよ」

「それは当然だけどさ」

 顔色一つ変えやしない。

 本当にこの人面倒くさいなあ、どこまでも疲れる。

 ──前菜、椀と運ばれてくる。

 鮑だの雲丹だの鯛だのが惜しげもなく使われた料理が続く。その全てがうっとりする程に美味しい。

 観音が箸を使って前菜を口に運ぶ。続けて椀を手に取り、持ち上げる。

 至極当たり前の動作が流麗に映り、気品が感じられる。堂に入ってると言うべきか。こういう店で食べ慣れているのが一目でわかる。

 観音が椀を置き、ちらりと視線を寄越した。

「何を変な事考えてるか知らないけど、特定の男性とこういう店に来た事はないぞ」

「別にそこまでは考えてませんでしたから」

 というか、どうして考えてたのがわかるんだよ。

「仕事だよ。マルセツも連絡も本質は接待だから、場合によっては相応の店を使う事になる。特に安芸は、お忍び用のウン十万する部屋もあるくらい要人御用達の店だし」

「そんな話を聞くと、この部屋ですらウェアと靴代じゃ足りないと思えるんですが」

「その部屋は芸者代込みだよ。さっきの仲居が芸者として接待を手伝うらしい」

 そうかあ。さっきの女性にお酌してもらえるならお酒も進むだろうなあ。

「弥生、その妄想全開の遠い目はやめろ。仕事でそんな部屋使うわけないだろ」

 ああ、いけない。我に返って観音を見やるとその目は冷ややか。話題を逸らそう。

「しかし国民が聞いたら激怒しそうですよね。『血税で飲み食いしやがって』とか」

「仕事でやってるのに料理の味なぞ楽しめるか。最初はその味すらしなかったよ」

 観音は不機嫌そう。本人にとっては何気なく吐き捨てただけだろう。

 しかし今の台詞は、俺に観音への親しみを強めさせた。途中から全く肉の味がしなくなった焼肉工作。観音もかつてはあの砂を噛む思いをしたということだから。

 逆に言うと、観音にとってあれが仕事ではないのは食べっぷりからもわかる。とことんまで幸せそうに焼肉味わってたからなあ。

 ああ、でも一つ例外があるぞ。

「リエゾンを担当している二‐二は例外じゃないですか。あそこはいわゆる裏外交ですから必然的に超のつく高級店ばかり行きますし、危険も全くありませんし」

 二‐二はCIA、モサド、MI6等、各国情報機関の機関員達と会って情報を交換しあうのが仕事。ある意味では一番スパイらしさを実感できる部署である。

「二‐二の人がそんな台詞聞いたら激怒するぞ。あの人達なりに苦労あるんだから」

「そういうものですか」

 観音は軽く頷くも、何か思い出した様に口を開く。

「あー、でもキャリア、特に大使館出向待機組に限れば話は別だな。例えば外務省研修とか、色々な理由で仕事させられないから置いてるだけだし。それこそ形だけの担当をあてがわれて、美味しい所だけ持って行ける」

「羨ましいですね。私だってキャリアのはずなのに」

「全力で同意してやろう。こっちは現場で汗水たらしてるのに、向こうは超高級店で飲み食い。しかも書類すら作らなくていい。いっそ呪い殺してやりたい」

「呪い殺すって、そんな物騒な」

 観音が拳を握りしめて語気を強めた。

「この際だからはっきり言っておく。私はキャリアが大嫌いだ」

「いや、あなたもキャリアだから」

「一緒にされたくないわ。ろくな仕事もできない癖に『公安庁とは』、『マルコウとは』と能書だけは垂れたがる。ただの口だけ番長じゃないか」

「口だけ番長……」

 薄々は観音のキャリアに対する感情も察していたが。

「だから私はキャリア同士の飲み会だって行かない。そんなの聞いてるだけで酒がまずくなる。美人だからとデートの誘いはうざいし」

 耳が痛い。別にキャリアの全員が全員そうだというわけではない。しかし少なくとも俺は間違いなく、その「口だけ番長」の一人だから。

 もっとも後半は……知らんがな。自分で美人とか言うなよ。その苦虫噛み潰した様な顔を見れば、本気で迷惑がっているのはわかるけどさ。

 観音は再び椀を取る。しかし一旦動作を止めると、思い出した様に付け加えた。

「ああ、言っておくが……今日はちゃんと美味しく味わってるぞ」


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