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13/05/15(1) 横浜オフィス:おはよう、いい朝だよね

13/05/15 水 10: 00


 いつもの横浜事務所。

 電話が鳴るので取る、外線だな。

「はい、もしもし」

 仕事柄、外線では相手が名乗るまで「横浜事務所です」と名乗らない。

「弥生か、おはよう。実は……ゴホ……頭痛がして……ゴホゴホ……喉も痛いんだ」

 わざとらしい咳き込みだなあ。この先を聞かなくても用件がわかるじゃないか。

「わかりました。休暇願出しておきます。午前中だけでいいですね」

「すまない……ゴホ……午後からは出るから……ゴホゴホ……よろしく頼む」

 どうせ歌いすぎで疲れて寝過ごしたってとこだろ。いわゆるポカ休。観音でもやるのか、とは思ってしまうが。

 総務で観音の年休表をもらい、理由欄に「体調不良」と記入する。喉の痛みとやらも体調不良には変わりない。ぐりっと印鑑を押し、千田首席に提出する。

 まったく……。

 でも仕事はすごいんだよなあ。ここはもっと丁寧に観音の行動を真似てみよう。

 観音は何に目を通していたっけ。キャビネットの引き出しを片っ端から開ける。報告書に各種人物ファイル。この辺りは俺も既に見たけど、めぼしい情報は見受けられなかった。

 ──あ、これはまだ見てない。見る意味ないと思っていたし。

 どうせ全部ゴミとは思う。でも一応見てみよう。抱えられるだけ抱えて机に運ぶ。

 ぱらぱら……やっぱゴミだな。

 恐らく家で二度寝しているであろう観音の机にぽい。

 次……ぱらぱら……これもゴミ。

 夢の中でもマイクを握ってそうな観音の机にぽい。

 次だ次……ぱらぱら……ぱらぱら……ぱらぱら……ん? んん?

 こいつって!


       ※※※


 昼休憩の終わった一三時過ぎ、ようやく観音が出勤してきた。

「おはよう、いい朝だよね」

 突っ込んで欲しいのが丸わかりの挨拶に、部屋の全員が無視を決め込む。

 観音は顔をきょろきょろさせて狼狽えると、しょんぼりしながら席に着いた。

「観音さん、予対の基調に行きたいのですが構いませんか」

「おはよう、いい朝だよね」

 観音は机の上にぐでーと上半身を預ける。面倒くさいなあ。

「はいはい、おはようございます。アンニョン、ツァオシャンハオ、ドーブラエウートラ、アッサラームアレイクム」

「達者な語学力だな」

「うちの職員なら誰でも知ってますわ!」

「そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないか。沸点低いなあ」

 この女、人をイライラさせることにかけては何て天才的なんだ。

「大きなお世話です」

「何なんだよ。勝手に行けよ。歌いすぎで喉が痛いんだから喋らせるなよ」

 自爆してどうする……まあいい、やっとタイミングが掴めた。

 本日の予定を記した業務日誌を黙って差し出す。

 ──観音が姿勢を正した。ビンゴか。

「〝住確〟か、わかった。それなら旭も連れて行ってやってくれないか」

「なぜ、旭?」

「教育。『マルセ班で機会があれば』って白島統括から頼まれててさ。今日は聞き込みまできっちりやるんだろ?」

 外事班は相変わらず旭に教える時間ないのね……無理もないけど。

「そういう話なら私は構いませんよ。旭、これから時間は大丈夫か」

「はい~大丈夫です~。弥生さん、今日はよろしくお願いします~」

 旭がペコリと頭を下げる。ハラールショップを一緒に回っていた頃と同じく殊勝な態度。いつもこうならかわいげもあるのに。

「よし、んじゃ行くぞ」

「はい~」


                   ※※※


 マルタイの居住地の最寄り駅に到着。

 いつもならこのまま直接向かうのだが、今日は旭を連れている。手近な喫茶店に入って住確の説明をしよう。

 ここでいいかな……外から店内を観察する。

 客は少なく店内はがらんとしている。いわゆるセルフサービスカフェで店員はカウンター内。これなら多少は込み入った話もできそうだ。

 旭がスーツの背をちょいちょいと引っ張ってくる。

「できれば見目麗しい店員さんのいる店がいいんですけど~」

「知るかボケ」

 仕事で来ているのに抱きつき騒動を起こされてたまるか。幸いと言うべきか、この店には旭のお眼鏡に適いそうな店員がいない。安心して店に入る。

 店内全体が見渡せそうな席は……あそこだな。席確保。

 ──ドリンクを買いに行かせた旭が戻ってきたので、説明を開始する。

「じゃ説明するぞ。住確はマルタイの住所に行って、実際に住んでるかを確認する事」

「それって表札を見たら終わりじゃないんですか~」

「そうだよ。だから聞き込みをして生活ぶりを確認するのが本来なんだけど、実際は『聞き込みに行ったけど留守だった』とか『断られた』とかにしてしまうことが多い」

「ちゃんと仕事しましょうよ~」

 旭が悲しそうな顔をしている。

 無理もない、理由を知らないとさぼりにしか聞こえないからな。

「聞き込みは最低限度に止めるのが、うちとマルタイ双方のためなんだよ」

「双方のため~?」

「聞き込み先がマルタイにばらしちゃうと役所に抗議してくる可能性があるし。一方で近所に話を広められちゃうとマルタイ一家が白い目で見られかねないし」

 人の口に戸は立てられないとはよく言ったもの。

 もちろんこんなの役所では教えない。しかし仕事をしている内に空気を読む。できうる限り人権問題を避けるための、いわゆる暗黙の了解。

 だから観音は、あえて口に出して確認したのだ。

「なるほど~、でも『しなかった』とは言えないから誤魔化しちゃうわけですね~」

「そういう事。だけど今日は聞き込みもきっちりやる。マルコウに手を着けるからには情報を集める必要があるし、少々のリスクは負わないと」

「うわ~。何だか今日の弥生さんって格好いいです~」

 こんな程度で格好いいと言われても……当たり前の仕事をするだけなんだし。

「注意点を言うぞ」

「はい~」

「絶対にきょろきょろするな。慣れない内は、歩いている道の先を遠目にぼんやり見つめる感じで歩け。道中は目印になりそうなものをチェックする事。マルタイの家を通過する際も振り向かない事」

「はい~、わかりました~。言われた通りにやります~」

 旭が首をぶんぶん縦に振る。初々しいなあ。


                   ※※※


 店を出てマルタイの家に向かう。

 道順はあらかじめ暗記済。ついでに風景も。ぐーぐるさんのストリートビューって何て便利なんだろう。俺達のために作ってくれたとしか思えない。

 旭を見る。言った通りにしているものの、顔が強ばっている。

 そこまで他人は見ないからいいけど、脅かしすぎたかなあ。

 ──マルタイの家が近づいてきた。

 徐々に視界に入ってくるマルタイの家を、画像から言語情報に置き換えていく。家の前を通り過ぎる。表札チェックOK。

 しばらく歩き、公園に入る。周囲を確認してからスマホを取り出す。ボイスメモ。

【白 ダルマ妻 鉄二で引き戸 門は通名 ドア横は本名家族】

 これでよし。後は役所の資料や不動産登記で補足しながら書けばいい。

 旭を手招く。

「ポイントを言うぞ。正確に記入しないといけないのは表札の表示。車がある場合はその車種とナンバー。要はマルコウの手がかりになるものをチェックする」

「ふむふむ~、なるほど~」

「後は見たままを書く。今回だと『築の古い鉄筋二階建の白い家で、鉄門を隔てた約二m奥に引き戸の玄関。門の表札は通名での名字表記。ドア横の表札には()で本名が併記され、家族の名前が列挙。道路に面した二階のベランダでは、妻○○○と思料される女性が洗濯物を干していた。同人は背が低くかなりの太めで、全体に丸く見える体型』って感じ」

 まさか公文書に「ダルマ」とは書けないから、表現にも工夫がいる。

「たったあれだけでよく見てるものですね~」

「慣れだ。次は聞き込み行くぞ」

「はい~。どんなとこ行くんですか~?」

「いつもなら町内会長の家を訪ねていって、近隣に住む身元の確かな人を紹介してもらう。他だと、マルタイが貧乏なら民生委員が通り相場だな」

「ふむふむ~」

「時間としては一四時から一六時が理想」

「どうしてですか~?」

「昼時は食事してるし、それより遅い時間だと子供が帰ってくるだろ。特に昼ドラの時間に訪ねてしまうと、露骨に嫌な顔されることもあるぞ」

「ひえ~、そんなことまで考えないといけないんですか~」

 俺が過去にやらかした失敗だからな。部屋から昼ドラの声が聞こえてきて、奥さんがそわそわしながら質問に答えるのを見るのは非常に気まずかった。

 一方で一五時頃だと、全く関係のない世間話に付き合わされる。でも、それはそれで口が軽くなるから都合がいいのだ。

「ただ今回については安全な聞き込み先が予め分かっているから、そこへ行く。マルタイの奥さんが洗濯物干し終わるの待ちたいから、コンビニで立ち読みでもして時間を潰そう」

 聞き込み先はマルタイ宅の隣家、訪ねるところをダルマ妻に見られるとまずい。

「はい~」


                   ※※※


 三〇分ほどして再びマルタイ宅。ダルマ妻の姿は消えていたので、安心して目的の家を訪ねる。

 玄関のインターホンを押すと、落ち着いた女性の声が返ってきた。

「どちら様でしょう」

「法務省です」

 玄関扉が僅かに開き、中年女性が片目を覗かせる。

 スーツ胸ポケットの手帳をほんの僅かだけ引き上げて示すと、女性は俺達の通れる幅分だけ扉を開けた。俺達が入り終えると、即座に扉を閉めて鍵を掛ける。ここまで空気を読んでくれる人だと実にありがたい。

 改めて手帳をきちんと差し出す。

 旭にちらり目線をやると、慌てた様子でバッグの中を探っていた。初めての聞き込みだし、仕方ないか。手順を予め教えておくべきだったな。

 ──旭も手帳を差し出したのを確認してから話を切り出す。

「忙しい所失礼します。以前にもうちの者がお邪魔してますが、その後お隣に変わった事はありましたでしょうか。よろしければ話を伺わせて下さい」

「私でよろしければ」

 女性がにこやかに応じてくれたので、マルコウの手掛かりについて確認していく。

「夫婦仲は……奥さんは……子供さんは……生活ぶりはどうでしょう……帰宅時間は相変わらずですかね……昨日も帰りが遅いのを見た、なるほど……」

 ま、こんなところかな。十分すぎる程の収獲だ。

「御協力ありがとうございました。また寄らせていただくと思いますが、その時にはよろしくお願いいたします」 

 締めは直角御辞儀。腰の位置からぐいっと頭を下げる。

 俺達はマルケイと違って強制権を持っていない。調査官手帳なぞ身分証明以外には何の意味も持たない。断られればそれで終いなのだ。

 使える武器は誠意のみ。だから協力してくれる人には心から頭を下げる。

「はい。またいつでもいらっしゃってください」

 女性の快諾を確認してから玄関を出る。

 これで終わり、駅へ戻ろう。


                   ※※※


 駅に到着。終業時間まではまだ時間がある。

 旭はここで帰してやろう。頼まれた件については教え終わったし。

 早上がりこそ現場の特権、ありがたく思うがいい。

「俺は法務局へ登記取りに行くけど、お前はあがっていいぞ」

「弥生さんがあがらないのに私だけが家に帰れません~」

 何を変な気を遣っている……ああ、俺も旭からすれば先輩だしな。ハラールショップ回りの時はいつも二人一緒にあがっていたから気づかなかった。

「うちの役所は仕事あがるのに目上や目下はないから遠慮するな」

 上司や先輩が帰るまで仕事をあがれない。そんな霞ヶ関中にはびこるバカな風習がないのは、公安庁の本気で誇れるところだ。

 しかし旭は俯いて不満げな顔。

 訳わからん。そう思いかけたところで、旭が顔を上げた。

「ついでなので登記の取り方も教えて下さい~、今日は弥生さんに心ゆくまで上から目線させてあげます~、こんな日は二度とないですよ~」

 ああ、そういうことか。

 旭はいつもの生意気顔に生意気な態度。でも今回だけはこいつなりの照れなのだ。

 まあいい。今日は俺もお前に、心ゆくまで好きに言わせてやろう。

「仕方ねーなあ。面倒くさいけど、教えてやるからついてこい」

「はい~。私も面倒くさいけど、ついていきます~」


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