13/04/25 横浜オフィス:子供じゃないんだから自分で考えろよ
13/04/25 木 15: 00
部屋には俺と観音と千田首席。
千田首席が、報告書作成中の観音を呼んだ。
「天満川さん、忙しいところごめんなさい。少しいいですか」
話を終えた観音がこちらへ向かってきた。背に回るや左肩に手を置き、力を込めてくる。
「弥生、今晩空いてるか? 空いてるよな? だ・い・じ・ょ・う・ぶだよな?」
どうして普通に聞いてこない。こういう態度をとられると捻くれたくなる。
「CARPでトレしないといけないので空いてません」
「首席に酒席を誘われたから来い」
「それで笑いがとれると──行きます、ごめんなさい、髪引っ張るのはやめて」
※※※
定時になり、千田首席の案内で行きつけの居酒屋へ。
俺達二人だけが誘われたということは……ついに正念場が来たか。
店内では千田首席が向かいの席、俺の左隣に観音が座る。
普段あれだけいじられていても観音が魅力的な女性であるには違いない。軽く漂う青林檎の香りが緊張を加速する。
「ビールでいいですよね。生三つ。適当につまみ頼んで下さい。今日は奢ります」
ビールが届いて乾杯。
千田首席が相変わらずの底抜けな笑顔で話を切り出してきた。
「昨日は土橋さんと比治山さん、先週は外事班の面々とこの店に来ましてね」
なんだ順繰りに誘ってるだけか、拍子抜けしかける。しかしすぐさま観音から「そんなわけないだろう」と言いたげな流し目をよこされた。
いけない、気を引き締めなければ。
しばらく庁内事情、主に人事話を肴にしながら酒を酌み交わす。と言っても、話をしているのは千田首席と観音ばかり。話題についていけない俺は蚊帳の外だ。
千田首席が顔を俯き加減にし、上目遣いで観音を見やる。
「でね、僕の人事見れば分かると思いますけど、主流からは外れてるんですよね」
──きた! 観音とちらり目を見合わせ、心の中で叫ぶ。
観音は「行くぞ」とばかりに目を切ると、優し気な口調で返答した。
「そんなことはないでしょう。前任の福山首席は現在東北局の首席ですし。横浜の首席からは関東と近畿の二大局を除いた地方局の首席になるのが通例ですから」
それくらいには、とのフォロー。春先に福山首席が浮かれていた通り、ノンキャリアとしては勝ち組と言えるから。
しかし千田首席はビールを煽る。
「その程度で見るならね。僕は関東局の首席が欲しいんですよ」
ノンキャリアにとって関東局の首席は垂涎のポストである。
これは関東局が「関東局にあらずんば人にあらず」とされるほど別格だから、という理由だけではない。もしなれれば本庁課長級はおろか指定職の道まで開ける。つまりキャリア並の役人人生を全うできるからだ。
「僭越ながら……それは……余程飛び抜けた実績を挙げないことには厳しいかと……」
観音が言葉に詰まる。見返りが大きい以上はそういうポストでもあるから。
「その通り。もし地方局の首席を受ければ、もう二度と主流になる目はない。この横浜が僕にとって最後のチャンス、その余程の実績をあげるしかないんですよ」
千田首席は観音しか見ていない、つまり俺は全く無視されている。やることもなく所在なさげにしていると、観音が「私に任せておけ」と受け取れる頼もしげなウィンクを寄越してきた。
観音は黙って首席の話に耳を傾ける。
「本庁から送付された今月分の優良報告でも、天満川さんだけが数字を上げてました。それも横浜では久々となるB評価まで」
B評価は全国二二局事務所の全報告書中一ヶ月で五本以下しか出ない。このB評価を一本獲る事が、登録するための最低条件となる。
客の割当の時の話では観音に大した客はいなかったはず。だから新規予対を見つけてきたのだろう。この女の能力はどれだけだ。
「恐れ入ります」
観音はさらり答える。
「しかも芳しくない数字だった既存の客までC+を……さすがテコ入れとして寄越されただけはあります」
「お客さんを掴んでくれた以前の担当者の方のおかげです」
あれだけぶーぶー言ってたくせによく言うよ。
客からどれだけ情報が取れるかは担当官の腕による。担当官が変わったことで、全く情報が取れず打ち切り寸前だった客が、役所全体でみても欠かせない最重要協力者に生まれ変わることすらある。
つまりこれも観音の腕ということだ。
「いえいえ。僕はもう、横浜のマルセについては天満川さんに全て任せたいと思っています」
最大級の賛辞じゃないか。しかし観音は意にも介さない風に尋ね返した。
「それは御言葉通りに受け止めてよろしいのでしょうか」
観音が真意を確認する。役所言葉だと「僕は知らないからね」とも受け取れるから。
「もちろん。有り体に言えば天満川さんを僕の御輿として担がせてほしい。天満川さんはキャリアですし、実績もありますし、本庁とのパイプも太い。僕も全力でサポートにあたりますので、是非その力を貸していただきたい」
千田首席の必死さが俺にも伝わる。観音は俺と二年しか変わらない若輩の身。それなのに五〇過ぎた千田首席にここまで言わせるとは。シノじゃないけど「俺ってなぁに?」くらいは言いたくなってくる。
しかし観音は顔色一つ変えない。そして手の平を上に向け、俺を指し示した。
「『全て』というのは『弥生の件も含めて』ということでよろしいんですね」
──はっ。
息を呑む。ついに本題が切り出された。
「あ、いや、それは……」
千田首席が口籠もる。しかし観音は知った事かとばかりに、すまし顔で続ける。
「御親友である段原補佐に申し訳が立ちませんか」
「冗談じゃない、僕は奴が大嫌いだ!」
えっ!? 千田首席がいきなり声を荒げた。観音も意外だったのか目を丸くしている。
失礼、と千田首席が頭を下げる。その間に観音は表情を戻し、ゆっくりと問うた。
「しかしお二人は親友の間柄と話に聞いてますが」
千田首席が俺に目を向けてきた。
「彼が人から好かれる様な人間でないのは、弥生さんが一番知っているでしょう」
「はあ、ええ、まあ」
いきなり話を振られたので生返事しかできない。
「いいんですよ。傍からはそう見えるでしょうし、僕もそう振る舞っています。しかし、これはここだけの話にしておいてもらいたいのですが……」
千田首席の念押しに、俺と観音が揃って頷く。
「実際は僕が逆らえないだけです、立場の違いがありますから」
どういうことだ。素直に疑問をぶつけてみよう。
「段原補佐と千田首席なら同格じゃないんですか。むしろ首席の方が上かと」
細かい話は端折るとして、この認識で大きくは間違ってないはずだ。
「弥生、そういう単純な話じゃないんだ」
観音は何やら得心した様子。千田首席に確認の問いを投げる。
「報告書評価の問題ですね」
千田首席がうんうん、と頷いている。今度は観音に聞いてみよう。
「どういう事ですか」
「報告書評価なんて分析官の裁量一つだろ。例えば千田首席が段原補佐を敵に回せば、少なくとも段原班からは評価が一切来なくなる。逆に御機嫌を取れば評価が来る」
「私だって本庁二‐三にいましたけど、そんなバカな話がありますか」
「君は『お情け評価』を出した事はないか。あれを私利私欲でやるって話だよ」
「お情け評価」とは、例えばCならC+という感じで、報告書にわざと甘い評価をつける事。登録有望なマルタイを持つ調査官に応援として出す場合が多い。
ただしこれは不正ではなく、むしろ調整。そもそも元々の基準が厳しすぎるのだ。
「理屈はわかりましたけど、だからと言って担当官の好き放題には……」
「担当官が補佐以上ならできるだろ」
「どういうことですか?」
「C以下の報告書は殆ど補佐止めだから上はチェックできない。区分の原則があるから横もチェックできない。部下がいたって言いなりにさせればいい」
納得せざるをえないけど耳を塞ぎたくなる台詞だ。
「確かにそうですが」
「だろ? 私みたいに本庁とのパイプを直接持たない限りは闇から闇だよ」
「でも評価を上げる方は露骨にできないでしょう、二‐一のチェックがありますから」
二‐一は報告書評価の査定権を有する。分析の与えた評価が相応しくないと判断すれば容赦なく評価を下げる。AをCにするのも厭わない。一方で上げる事は殆どない。
だからお情け評価と言っても、せいぜい八五点を九〇点にする程度である。
「僅かな上乗せでも現場にはありがたいんだよ。しかも今の二‐一課長は誰だ」
「あっ……三良坂課長ですね」
思わぬ形で話がつながった。観音がニヤリとしてみせる。
「そういうこと。彼を後ろ盾に持つ段原補佐は、もはや現場に対してやりたい放題ってわけさ。もちろんそれが可能であるのと実際にするのは別の話だけどさ」
観音が千田首席に「後は首席の口から」と話の水を向ける。
「まさに天満川さんが言い当てた通りです。現時点で詳しくは話せませんが、露骨には口に出さないまでも大きな顔で接してきているとだけは言っておきます」
はあ、何というか。俺も当事者のはずなのに、まるで他人事に思える。
観音はゆったりと言い含める様にして千田首席に話しかける。
「私のいる限り、報告書評価の問題は心配しなくても大丈夫です。ただ御承知でしょうが、仮に私がいくら数字を出したところで千田首席の実績とはなりません」
観音の働きは最初から織込済み、いなくなれば元に戻るしな。
「天満川さんの言い分はもっともです。でも今の僕に何か打つ手がありますか」
千田首席は相変わらず笑顔を張りつかせたままだが、その口調はいかにも不満げ。
「だからこそ、弥生を私にお任せいただきたい」
「弥生さんを?」
「彼は『キャリアの恥』だの『給料泥棒』だの『偽装薩摩豚』だのと全庁中から陰口を叩かれてる身です。もしその彼が実績を挙げる事ができれば、それは管理職である首席の手腕として文句なく評価されましょう」
「なるほど」
なるほどじゃないよ。
「知らなかった、私はそんな事言われてたんですか」
ショックすぎて泣きたい。特に偽装薩摩豚ってなんなんだ。
「言われて当たり前だろ。横浜のみんなは、君に気を使って教えなかっただけだ」
観音はそう吐き捨てると、再び首席に向き直った。
「ただその原因も首席が御存知の通りです。元々弥生には能力もやる気もありますし、私が全責任を持ちます。もし任せていただければ、きっと首席のお役に立ちましょう」
観音が大見得を切った。「私が手柄を渡す」と遠回しに告げながら。
千田首席はじっくりと考えているのだろう。ひたすらに頷きを繰り返す。
俺は、そして恐らく隣の観音も、じっとそれを見つめ続ける。
──頷きが止まった。
「わかりました、任せます。弥生さんは誰憚る事なく存分に働いて下さい」
やった!
観音がテーブルの下に右手を隠す。目で追うとサムズアップしていた。しかしそのジェスチャーとは裏腹に、観音が厳しく鋭い眼差しを千田首席に向ける。
「ありがとうございます。あとは首席の御覚悟次第です。それを見せていただいた暁には、首席の次のポストについても私から西条人事課長に口添え致しましょう」
何の事だ、話は終わったんじゃないのか。
首席が僅かな躊躇いを見せた後に頷く。
「わかりました。もう遅いですし、そろそろ切り上げましょう」
※※※
首席を乗せたタクシーを見送った後、観音に話しかける。
「最後の台詞は何だったんですか」
「ただのブラフ~。こういう席でああいう台詞って何だか格好いいじゃん~」
観音がわざとらしく酔った振りをしながら、見え見えの嘘ではぐらかす。
「まあいいですけどね。でも口添えするとか言っちゃったのはまずくありませんか」
「べっつに~。口添えはするけど、西条課長がどうするかまでは言ってないし~」
「それってひどすぎませんか」
「うんにゃ~。それがおとなのせかい~ってもの、にゃははは」
いつもの観音らしからぬ妙なハイテンション。御機嫌なのは間違いなさそう。
「やたら浮かれてますね」
「そりゃそうさ~、これで君は晴れて自由だし~。私もお役御免だし~。西条課長にも顔を向けられる~ってものさ」
観音の口から予想だにしなかった言葉が飛び出した。
「お役御免? あの……えっ……と……」
まだ終わりじゃないだろ。俺に接待登録するのが残ってるじゃないか。
西条課長は『天満川に全て甘えればいい』と、はっきり言ったぞ。
いや、それだけじゃない。
「さっき千田首席に自分で言ってたじゃないですか、全責任を取るって」
「君が何か問題起こせば全責任取るよ~。その時は観音ちゃん、広島に帰る~」
何この茶番。でもこうやってしらばくれられると問い詰めようがない。まさにこういう時のためのお役所言葉なのだから。まさか俺の側から「手柄をくれ」とは言えるわけもない。観音本人からちゃんとした言葉で言質をとらなかった俺のミスだ。
いや……それでもミス以前の問題だ。この女、一体何考えてやがる。
「私はこれからどうすればいいんですか」
観音がくるりと向き直った。
「子供じゃないんだから自分で考えろよ」
いつもの口調に戻って無表情。俺はそれを見て本気で突き放された事を悟った。
観音が再びにへらと顔を崩し、手をひらひらさせる。
「じゃあね~、おやすみ~」
俺は呆然としたまま、長い髪のなびく観音の後ろ姿をただただ見つめ続けていた。




