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13/04/23    横浜オフィス:私も観音さんもそれが一番むかついたの!

13/04/23 火 16: 30


「観音さんとシノ出てきませんねえ」

「シノちゃんが泣きながら出てきたら僕が怒ってやるぅ」

 対面の席には、久々に土橋統括が座っている。今はもう観音の席だけど、何だか懐かしいなあ。

 観音とシノは喫煙室で工作会議中。シノのマルコウについて討議をしている。本来は土橋統括も一緒に入ってないといけないはずなのだが……何も言うまい。

 部屋には俺と土橋統括の二人だけ。他は全員出払っている。

 既に三時間が経過。普通は一時間以内で終わるから、不安を感じずにいられない。

 どうも仕事が絡むと、観音とシノの組み合わせはろくな展開にならない。正確にはシノだけが落ち込んだりむかついたり。上司相手に張り合っても仕方なかろうに。

 ──ようやく二人が出てきた。

 観音はいつもと変わらないが、シノはどんよりとしている……って、やっぱりか!

 土橋統括が観音を睨みながら指さす。

「我が寵姫シノ姫に貴様如き塵芥が論難しようとはぁ、ここに直れぇ!」

「仕事してください」

 観音はつっけんどんな物言いで土橋統括を鋭く睨み付ける。土橋統括はその眼光に怯んだか、すごすごと自分の席へ戻った……これはこれで予想してたけどな。

 観音が引き出しからスプレーを取り出し、椅子に振りかける。

「それは?」 

「除菌剤。人の椅子に汚いお尻乗せるんじゃないよ、ったく」

 ひでえ……ついに土橋統括には外面作る気がなくなった様だ。色々イラっとするのはわかるけど、先日の『若手』発言がとどめをさしたか。

 消毒を終えた観音は椅子に腰掛け、黙々と仕事を再開した。

 一方のシノは頭をガクリ下げたまま。魔乳も一緒にうな垂れている。

 やりづらいなあ。何もかも見ない振りをしながら、役所で購入している週刊誌に目を通す。現在は喫煙室警備こそやめたものの、観音に言われた通り何もしていない。情報機関の場合、雑誌読むのも一つの仕事じゃあるけどさ。

 時計の針が一七時四五分の定時に近づく。よしダッシュで帰宅してCARP、そう思ったところにシノがぼそり口を開いた。

「弥生……今晩付き合って……」

 えっ!? いくら表向きはとぼけていても、夜の誘いはさすがに応じたくない。

 すると今度は観音が、無言でチラシを一枚差し出してきた。見てみると、豆腐居酒屋の割引クーポン。行けってことか。それも「ここなら食べても許すから」と。

 二人して一体何なんだ。


            ※※※


 定時を迎えて横浜駅へ。

 うな垂れたままのシノを連れ、豆腐居酒屋に入る。

 平日だけあって客は少なく、個室がとれた。ある程度までは仕事話もできるだろう。

 ──生ジョッキと前菜が届いた。

 小さく乾杯。ずっと俯きぱなしだったシノが、ようやく顔を上げた。まるで文鎮をぶら下げているがごとく重そうに唇を動かす。

「二重スパイだったんだ……」

 いきなり何を言い出す! まさか、観音が口を滑らせた!?

 そんなわけはない。一瞬本当に思いはしたが、憂いはすぐに晴れた。

「私のマルタイ……」

「なんだ、そんなのよくある事じゃないか」

 そう、公安庁の抱えるスパイの一定数は二重スパイである。

 マルセも日本政府の情報を集めている。そしてスパイ仕事がきついのは先方も同じ。だから「うちの情報を教えるので、代わりにそちらのを教えてくれ」と申し出てくる人もいるのだ。一方で、それに応じる担当官も、形式上は二重スパイとなる。

 つまり二重スパイ自体はマルコウの一手法にすぎない。俺達は情報を取れさえすればいいのだから、それ自体は決して悪いことではない。

 悪いのは日本国や公安庁を裏切ってマルセに隷従し、流してはいけない情報を流してしまう「真の二重スパイ」。俺が掛けられた疑いは当然こちらである。

「観音さんもそう言ってた。でも私ショックで……知らなかったから」

 本庁だと公知の事実なのだが、現場だとそうなのかな。

 客が二重スパイである場合、分析担当はそれを前提に報告書を読む。この手法だと互いに重要度の低い情報しか交換しないし、偽情報だって当然ありうる。でもそれならそれで、先方の意図を探る分析材料となるのだ。

 しかしおかしい。

「首席は何も言わなかったの?」

 例えシノが知らなくても、首席クラスが知らないことはありえない。二重スパイなら求めてくる報酬は情報だからすぐにわかるし、対応を指示するはずなのだが。

 本来は区分の原則があるので詳しく聞いてはならない……が、今回は仕方ない。観音だってそのつもりで割引クーポンを渡したのだろうから。

「うん。それも後で話す」

「わかった。それじゃ話を聞かせてくれ」

 シノが軽く頷いてから口を開く。

「先日のマルセツなんだけどさ、観音さんのアドバイス通り、調査課題と公然情報と本庁資料を突き合わせながら質問を用意して臨んだんだ」

「お前って素直だな。てっきり、もっと悔しがってると思ったけど」

「悔しいに決まってるじゃん。私だって努力してきたし、それに見合う自信だって持ってた。それなのに格の違い思い知らされて『私ってなぁに?』って感じだよ」

「だろうな」

 観音は口だけじゃない。実際に事務処理能力も高い。次から次にてきぱき仕事を終わらせているのは傍からもわかる。また、土橋統括は「あのババアの業務日誌、いつも真っ黒だよぉ。決裁も次から次へと上げてくるし、勘弁してよぉ」とグチっていた。つまりそれだけ「動く」ということでもある。

「だけど観音さんの言葉には、負けを認めるだけの価値がある。実績があるから説得力もある。むしろ仕事を学ぶ貴重なチャンスだと思ってる」

 そう言わせる観音もさすがだけど、そう言えるシノも大したものだと思う。

 ──鍋が届いた。

 シノが手際よく具材を鍋に入れながら続ける。

「それでマルタイに質問したら態度が豹変して『その話が欲しいなら俺も情報をもらいたい、俺に見合った肩書の職員に担当を変えろ』って言われて」

「あれ? 『俺』ってマルタイは男?」

 公安庁では女性職員が男性マルタイにマルコウするのを原則として禁じている。これは『職員自ら』によるハニートラップ、いわゆるハニトラを防止するため。仮にハニトラを役所が知れば、そのマルコウは即座に打ち切られる。

 ハニトラは受け取る対価が金か情報かで異なるものの、行為そのものは売春と変わらない。不道徳的で非倫理的ゆえ、公務としては相応しくないとされるのだ。

 他にも人事に支障が生じるという理由がある。担当官に惚れたから組織を裏切るわけであって、「穴がついていれば誰でもいい」というマルタイはそうそういない。つまり担当者の代わりが効かないのだ。

 これは公安庁に限らず、多くの各国情報機関でも同じ。だからハニトラには、相手が大臣などの超大物でもない限り、売春婦や風俗嬢あるいは専門の工作員などの適材が用いられる。

「うん。だって福山前首席にやらされた〝無理マルコウ〟だし」

「無理マルコウ?」

「マルセの県本部近くで待機させられてさ。仕事終わって出てくる人を無理矢理捕まえては『公安庁です、情報下さい』って路上で頼み込まされたの」

「それでスパイを引き受けるヤツなんて二重スパイで当たり前じゃないか──」

 ああ、話が見えた。二重スパイとして接触してくる人には、情報交換を目的とする場合ともう一つの場合がある。

「──そんなの功を焦ってるのが丸わかりだから、逆に自分をマルコウしてくれと言ってる様なものだろ。相手の足下を見た〝逆マルコウ〟はマルセの十八番じゃないか」

 つまり、公安庁内に真の二重スパイを作ろうとする場合である。

「うん、マルコウされてたのは私の方だった。『受け取らないと二度と会わない』って強引にプレゼント渡されたり、場所もデートスポットばかり。『相談に乗るよ』とか『愚痴聞いてあげる』とか変に優しいから、おかしいとは思ってたんだけど」

 これが「おかしい」で済んでしまうなんて、シノはやっぱりお嬢様だ。誰の目から見ても明らかな、べたべたのハニートラップじゃないか。

「観音さんは何て言ったの?」

「ここまで無事でいられて本当によかった、って安堵してくれた。もし弱みを作られてたら、その時は一巻の終わりだったからって」

 弱みを「握られて」じゃなく「作られて」という表現が怖すぎる。

 ──鍋が煮えたらしい。

 シノが小皿に取り分けてくれる──あ、まずい。

「シノ、悪いけど肉は入れないで。豆腐とキノコ中心でお願い」

「せっかくだし食べようよ。観音さんには内緒にしてあげるからさ」

「いや絶対に痩せるって決心したから」

 シノが口を尖らせながら、よそった小皿を渡してくる。豆腐を口に放り込み、ほふほふしてから話を戻す。

「土橋統括は何か指導してたの?」

「何にも。観音さんが『あの厨二統括はこれまで何をしてきた』って激怒してた」

「やれと言われてもできそうにはないけど……いい人なんだけどなあ」

「だからこそかな」

「ん?」

「私は、土橋統括が何も口出ししなかったのは、あの人なりの優しさだと思ってる。表現は悪いけど、土橋統括は自分の無能を自覚してるからさ」

 それはある意味において有能と呼べるかもしれない。

「福山首席は?」

 名前を出した瞬間、シノが青筋を立てた。

「聞いて! 私も観音さんもそれが一番むかついたの!」

「聞くから落ち着けよ」

 しかしシノは一気に捲し立ててくる。

「会議では『気の回しすぎ』とか『関係深めるには二人きりになれる場所へ行かないと』とか言って。一方で記録のコメントは何も書いてないし。気づけば判子も普段のじゃないし」

 つまり自分は何も見てないし、知らない。判子はシノが無断で押したと言い張るつもりだったのだろう。仮にバレたところで、事なかれな役所は福山首席の味方をするほかない。責任を全てシノに被せ、トカゲの尻尾切りで幕を引くこととなる。

 シノは息を継いで更に捲し立てる。

「福山首席は自分の実績作りのために私を人身御供にしたんだって。『どうぞお食べ下さい』と私の体をマルセに差し出したんだって」

 シノははあはあと息を切らし、満杯のジョッキを一気に空にする。

 これは、さしものシノもブチ切れて当然だ。もちろん観音だって怒るし、気を回しもする。

「じゃあマルコウは打ち切り?」

「ううん、続ける。このまま登録を目指す」

「マジで?」

 シノが頷く。

「マジで。観音さんもサポートするって言ってくれた」

「……シノ、この状況で更に続けるって怖くないの?」

「もちろん怖いよ。でも結局は何もされてないしね」

「そりゃそうだけど」

「観音さんによると『担当交代を持ち出したのは出世に色気を持ってる証、それも条件になる』んだって。だったら後は私次第だからさ」

 この純粋に前向きな態度は実にシノらしい。お前すごいよ。

「そっか。うまくいくといいな」

「うん、ありがと。話すだけ話したらお腹空いちゃった。お鍋たいらげちゃお」

 シノの促しに応じ、残った鍋を二人で分け合った。


 会計を済ませて退店すると、シノが俯きながら声を掛けてきた。

「ねえ、弥生。駅まででいいから手を繋いでいい?」

 手を繋ぐって高校生じゃあるまいし……逆に断りようもないな。

 手を差し出す。

 シノが握ってくる。そして顔を上げると、こちらを向いて微笑んだ。

 会議を終えてから、初めて笑った。

 まあいいか。

 うん、やっぱお前はそういう顔の方が似合うよ。


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