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13/03/25    横浜オフィス:我が邪眼の下に悠久の忠誠を誓えぇ

13/03/25 月 16:00


 いつもの横浜事務所。

 入口では、黒スーツで固めた背の高い女性が姿勢を正して直立している。部屋の職員達が注目する中、はきはきとした大きな声が発せられる。

「この度、本庁調査第二部第三部門から横浜公安調査事務所国外部門に配属となりました天満川観音と申します。御指導御鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます」

 観音がやってきた。これは霞ヶ関で異動者の慣習となっている挨拶回り。異動者はこうやって庁内の各部屋を挨拶して回るのだ。

 観音が福山首席の後任、千田首席の席へ向かう。観音は千田首席の前で直立すると、髪が床につきそうなくらいに深々と頭を下げた。

「千田首席、只今横浜に着任致しました。よろしくお願い致します」

「おお、よく本庁からいらっしゃいましたね。お疲れ様です。僕も着いたばかりでして横浜の事は全然わからないんですけど、お互い頑張っていきましょう」

「はい」

「具体的な仕事や客の割当は土橋さんから指示を受けて下さい」

 シノが顔を寄せ、ぼそぼそと話しかけてくる。

(ねえ弥生。千田首席って随分と腰が低そうな話し方するね。底抜けの笑顔もあって好々爺って表現がぴったり)

(逆に顔に貼りついてて、いかにも裏があるって感じじゃないか)

(典型的な『特高の笑顔』だね)

 特高は、戦前に存在した秘密警察「特別高等警察」の略称。

 拷問で有名な特高だが、実際は拷問する前に多くの者が転向したとか。刑事達がにこにこ優しく接してくるのを見て、逆に恐ろしくなったらしい。話の真偽は知らないが、さもありなんだ。千田首席の笑顔は身内の俺すら寒気がするもの。

(「一日最低一〇分は鏡に向かって笑顔を浮かべたままにする」ってのが特高以来の伝統らしいけどさ、毎日そんなの続けてれば能面みたくもなるわ)

 公安庁の前身は法務府の特審局であり、形式的には特高と関係ない。しかし公安庁の創設時には特高から職員とノウハウが移転した。実質的には前身と言えるし、多くの職員も本音ではそう思っている。

 そんな千田首席は段原補佐と同期。しかも噂によれば仲がいいらしい。まず前首席同様に因果を含まされているだろう。こんな胡散臭い人が敵だと思うと頭が痛い。観音が横浜に来てくれたとは言え、しばらくは予断を許さない状況が続きそうだ。

 続いて観音は、本日付で出世した土橋「統括」の席へ向かう。

 土橋統括は俺の対面から窓際の統括席へ移動している。きょろきょろそわそわ落ち着かない様子がかわいらしい。「キャリアさん二人を部下にするんだから僕も威厳保たないと」と言ってたが、誰もあなたにそんなものは期待してない。

 観音が、千田首席に対すると同じく、深々と頭を下げる。

「統括の下に配属されました天満川観音です、よろしくお願い致します」

 ──ん?

 土橋統括が立ち上がった。左手をあげ、小指を器用に曲げつつ顔を隠し、親指と人差し指の間から左目だけを覗かせる──唇をへの字にきゅっと結んだ。

「土橋統括調査官が命じるぅ。我が邪眼の下に悠久の忠誠を誓えぇ」

 それは威厳じゃねえ! ただの厨二病だ!

 観音は返す言葉を失ったか、無言のまま拳を握りしめ体をぷるぷると震わせている。背中しか見えないのに顔が引きつっているのが分かる。

(ない、これはないよ。今まで見た中で一番キモイんですけど)

(何をどう勘違いしたらこういうことをやってしまうんだ) 

 しかし観音は耐えきった。

「統括の人を集める魅力については是非とも学ばせていただきたく存じます」

 「邪眼=人を集める魅力」か、まったく物は言いようだ。

(弥生聞いた? 観音さんって大人だね)

(でもトゲはあるぞ。声震えてるし)

 相変わらず多忙の白島統括は外勤。従って観音の挨拶回りはこれで終わり。

 観音が振り向いた。眉を釣り上げ、口角をひくつかせながら歯を食い縛っている。こちらに歩いてくる。そのまま向かいの上席席に座る……はずが通り過ぎた?

 ──うがっ、後頭部が! この女、裏拳食らわしやがった!

「いきなり何するんですか」

「すまん、手が滑った」

「どうやったら滑るんですか」

「じゃあ、転んだ」

「『じゃあ』でもなければ転んでもないでしょうが」

「古来からの格言があるじゃないか。『弥生を見たら殴れ』と。日本で稲作が始まった頃の話だ。ある村で日照りが続いて稲田が全滅すると危ぶまれたので雨乞いをしてみたのだが全く効果がなかった。頭に来た農民達が腹いせに巫女を一発殴った。するとその瞬間に雨が降り出した。しかし次の日には止んだ。もう一度巫女を殴ったらまた雨が降り出した。その次の日にはまた止んだ。その日は巫女を殴らなかった。その次の日はまた晴れた。ここで試しにと殴ったところ雨が降り出した。農民達は巫女の神通力に畏敬の意を表した。その巫女の名前が弥生だったことからこの格言が生まれたのだよ。ちなみにこの逸話は『弥生時代』の由来でもある。ここは試験に出るから覚えておくといいよ」

「全くのでたらめを自信満々につらつら長々喋らないで下さい!」

「細かい男は嫌われるぞ」

「開き直らないで下さい! すぐに人を殴る女性の方が嫌われると思います!」

「またまたあ、嬉しいくせに。ツンデレか?」

 観音はニヤニヤしながら拳の関節を突き立て、おでこをぐりぐり押してくる。痛いよ。何でおでこなんだよ。普通はほっぺたじゃないのかよ。

「私はツンでもなければデレてもいません」

「そうか? 私はツンデレだが」

「ツンはともかくデレてないじゃないですか」

「デレてもない男相手にパンストはあげないだろう」

「あれはゴミを押しつけただけじゃないですか」

「でも、持って帰ったんだろ」

「ええ、妹に見つかって変態扱いされました」

「でも、使ったんだろ」

「ええ、妹が切り刻んで雑巾にしました」

「役に立って何よりだ」

「話をそらすな!」

 観音が「やれやれ」といった風に手の平を上に向けて首を振る。人を殴って茶化した挙げ句にその態度は何だ。

「じゃあ、君はどう言えば満足するのかね?」

「ごめんなさい、土橋統括にむかついたから腹いせに弥生を殴りました」

「ごめんなさい、むかついたから腹いせに弥生を殴りました」

 観音のまるで感情の篭もらない棒読み口調がさらにイラつかせる。

「目的語を抜かないで下さい! 意味が変わったじゃないですか!」

「思ってもない事は言えないだろう。私は土橋統括にむかついた覚えはない。なぜなら上司には礼をもって接しなくてはいけない。だから弥生も私に礼を尽くせ」

 だめだ。会話がまるで噛み合わない。この女は一体何なんだ。

 初対面でのラウンジは確かにこういう人だった。しかし本庁で改めて会った時はクールで落ち着いた佇まいだった。仕事の実績を考えれば、あれが本来の姿かとも思ったが……違ったようだ。

 ──シノが立ち上がり、観音に会釈する。

「天満川上席、お久しぶりです。今後は御指導御鞭撻の程よろしくお願いいたします」

「研修以来だな。以前通り『観音さん』でいいよ。『若い』者同士、気軽に接してくれ」

 知り合いだったか。でも別に不思議ではない。公安庁では女性研修が盛んに行われており、女性職員同士はほぼ顔見知りになるから。

 ただ、今の観音の台詞には変なイントネーションが混ざっていた様な?

「観音さん。土橋統括はああいう人ですから右から左に流した方がいいですよ」

「そうだな。気持ち悪すぎて、ついカッとしてしまった。弥生すまん」

 観音が頭を下げてくる。どうしてシノからだとあっさり言う事聞くんだ。俺とシノの差はどこにある。

 ──ゆったりのんびり語尾を伸ばした発声が課内に響く。

「ただいまです~」

 旭がハラールショップ巡りから帰ってきた。

 本日から、旭は晴れて俺から独り立ち。もちろん一人でやらせても大丈夫と判断したからだが、俺自身の理由もある。体制が変わった以上は様子を見たい。ここは内勤に一旦戻って観音の指示を待つべきだ。

「あ~、観音さんだ~。いらっしゃいです~」

 旭はそう言うが早いか、観音に駆け寄って抱きついた。

「観音さんのささやかにほんのりした胸の感触は至高です~」

 観音が旭の頭を慈しむ様に撫でる。

「そうだろう、そうだろう。薄い胸は私の自慢だ」

 薄い胸であることを自慢する女性はいかがなものだろうか。ちっぱいナイチチな女性は、コンプレックスを持ってるからこそ更に光るのに。

「観音さんが羨ましいです。今や微乳に見せるブラが飛ぶ様に売れるくらい、微乳が女性美のスタンダードとなってますからね」

 そして魔乳女性が微乳女性を羨む世の中というのもいかがなものだろうか。と言うか、メーカーはそんなブラ売るのを今すぐやめろ。

「そんな事ないです~。シノさんのぶるぶるもちもちな胸の感触は究極です~。それこそ世の男性が憧れ、世の女性の羨むところです~」

「とんでもない、むしろコンプレックスだよ。男性からは変な目で見られるし、服を探すのも苦労するし」

 コンプレックスねえ……シノの苦々しげな表情を見ると本音なのだろう。男としてここはフォローしておかないと。

「旭の言う通りだぞ。庁内でも巨乳好きの方が多いし、大きさなんてどうでもいいって人も多いし。胸を無駄な脂肪なんて考えるのは俺くらいのものだ」

 あれ? シノの目に冷たいものを感じる。そして旭が睨み付けてきた。

「大きなお世話です~。全身に無駄な脂肪つけてる人が何ほざいてるんですか~」

 ああ、そういうことか。別に旭に言ったつもりはないが、こいつにも半端に無駄な脂肪はあるしな。

「シノ、旭すまん。悪気はない」

「いいよ、別に……」

「自分の身の程さえ知ってもらえればそれで構いません~」 

 お前こそ身の程を知れ。

 俺の表情から心を読み取ったか、旭が舌を出す。そして観音から離れると、机にドンと手持ちのビニール袋を置いた。ああ……この形は……。

「観音さん~、お土産です~」

「これは何だ?」

 観音の問いに俺とシノがありったけの笑顔で答える。

「本場のパキスタン人すら口にできないカレーです」

「まさに夢見心地で天にも昇る味ですよ」

 きっとお前は悪夢を見ながら別の意味で昇天したんだろうな。

 シノと旭と見つめ合う。これで明日には観音も、真に俺達の仲間入りだ。


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