13/03/01 横浜オフィス:シノさん~、聞いて聞いて、聞いて下さいよ~
13/03/01 金 15: 00
「旭、どうしてお前はそれを買う」
「弥生さんだって買ってるじゃないですか~」
「幸せはみんなで分かち合うべきだろう」
「わかってるなら聞かないでください~」
現在は事務所に上がるエレベーター内、ハラールショップから帰ったところ。
あれから俺達は何事もなく過ごせている。これも白島統括のおかげだ。
案の定、福山首席は白島統括に根回ししてきた。白島統括がいくら言っても引き下がらないから、落としどころとして俺一人にマルコウさせることで決着がついた。その上で白島統括は、まだ決裁に上げてない自らのマルコウ記録を一本渡してくれた。あとは名義を俺に書き換えて、少しずつ決裁に上げていけばいいとのこと。
これで福山首席の問題は片付いた。
──エレベーターを下り、いつもの部屋へ。ロッカーの並びを抜けると、課内はうららかな優しい陽射しで溢れていた。
「ただいま」
「ただいまです~」
春の到来を感じさせる柔らかな空気に、声にも自然と張りが出る。
「おかえり」
「おかえりぃ」
部屋にいるのはシノと土橋上席だけ。二人の机はがらんとしまま。ただひたすらにぼけ~とお茶を啜っていた。
本日は人事異動の内示日であり、今年度の人事評価が確定する日でもある。今日から年度が変わるまでの一ヶ月間は成果を上げても一切評価されない。
つまり仕事する意味が全くないから、二人は堂々とこうしてさぼっている次第。
旭が土橋統括の机に、手持ちのビニール袋をごとりと置く。
「土橋上席、統括昇任おめでとうございます~、これお祝いです~」
「ありがとぉ」
土橋上席が目一杯に口角を引き拳が入る程に口を開いてにっちゃり笑う。愛娘と一緒に観ているキュアキュアなアニメの魔法少女を真似ているつもりらしい。究極の笑顔を研究した成果という話だが、来世で美少女に転生してからやってほしい。
そんな土橋上席ですら年数を重ねさえすれば昇任できるのが公務員のいいところ。給料さえもらえればいいというなら安定面で最高の職業なのは否定しない。
俺、シノ、旭は四月以降も変化なし。白島統括もそのままだから、入れ替わるのは首席だけということになる。
俺もシノの机にビニール袋をごとりと置く。
「これは俺からの差入れ。日本人に人気らしいぞ」
シノは顔をパアっと赤らめ、袋からずしりとした中身を取り出す。
「弥生が私に? ありがとう。大切に味わって食べるね」
とことん味わってくれ。明日は土曜日だし心ゆくまで休めるだろう。
旭とアイコンタクトをする。あの貴重な味わいは是非ともみんなと共有したい。決して俺達だけがあんな目に遭ったのが許せないなどという心の狭い理由ではない。
──部屋の電話が鳴る、外線か。
旭がとった。
「もしもし~」
公安庁では電話を受けても、相手が名乗るまでは「公安庁です」と名乗らない。たまに「失礼だ」とキレる人もいるが仕方ない。一般社会の非常識が情報機関の常識。職員の名前はもちろん、代表以外の直通電話番号すら機密なのだから。
「……あーお久しぶりです~……うん、私は四月からも横浜です~」
旭がそのまま会話を続ける。どうやら知り合いらしい、恐らくは同期だろう。
人事話はみんなの大好物。内示後は、こうしてあちこちで情報交換がなされる。
「えっ! はいはい~……それではです~」
何やら素っ頓狂な声を上げた。電話を切るや、興奮しながら駆け寄ってくる。
「シノさん~、聞いて聞いて、聞いて下さいよ~」
「何かすごい話でもあったの?」
お前の目にはシノしか入らないのか。
そのシノがニヤニヤしながら聞き返す。
「うちの部屋に、あの美人キャリアの天満川観音さんが来るんですって~!」
──えっ!? 俺達三人は同時に絶句した。
最初の二年を除くと、キャリアが事務所に行くのは所長としてのみ。本来は俺すら左遷絡みの異常な人事なのに、二人目のキャリアが来るというのだ。
もちろん観音が左遷でない事は明らか。
なぜ? どうして? 何のために?
旭は新人なのでそこまで頭が回らないのだ。
「なんかみんなテンション低いなあ~。あの『薔薇の天満川』ですよ~。一研で本庁に行った時に抱きついて以来です~。シノさんの巨乳を鷲掴みにしながら観音さんの薄い胸に頭をぐりぐりむにゅむにゅつるつる、あーもう想像するだけで~」
旭が涎を垂らしながら恍惚の表情を浮かべる。別の方向には頭がくるくる回るらしい。お前は一度病院で見てもらえ。
しかし、旭が壊れている間に得心が行った。それは観音の言葉を思い出したから。
「もしかしたら事態を動かせるかもしれない」。
あれは観音が横浜に来ることを意味していたのだ。恐らく俺とシノの上司として。
──夜、観音から「近日中に本庁人事課へ来い」との電話が入った。




