2-36 ラテアートと幹部会議
いよいよ、私の異動希望を伝える幹部会議だ。わざわざ昨日、エトラ支店長もソルディトに来ている。
幹部会議の前に、開発室でカフェオレの最後の仕上げをしている。せっかくみんなが揃うなら論より証拠で現物を飲ませたい。
『アイリス様、温度は62度で安定しています。泡立ての状態も良好です』
「ありがとう、テオ」
帝国から持って帰ってきた新しい小型サイズのミキサーで作ったフォームドミルクは、かなりいい感じだ。少し深めの青のカップに、濃いめに淹れたコーヒーを注ぎ、その上にたっぷりのフォームドミルクを載せる。
「秘密兵器は、まだ乾いてないかな?」
『アイリス様、安定性のテストはすべて合格です。温度変化による色の変化もありません』
「うん。じゃあ、会議室に持って行きましょう」
会議室のドアを開けると、レオン会長、エトラ支店長、事務長のトバイアスさん、法務プロのジャスジンさんが揃っていた。ザイール副会長は次の買い付けに向かっているので欠席だ。
「失礼いたします。皆様、これを召し上がりながら、お話を聞いていただけますでしょうか」
青と銀のトレイに並べた5つのカップを、一人一人の前に置いていく。
「これは……なんという飲み物だ?」
「なぜ、飲み物の上にうちのロゴが浮かんでいるんだ?」
「これは楽しいな。どういう仕掛けなんだろう」
「アイリスさんに驚かされない日は来るのでしょうか……はぁ」
皆さんが驚いた声を上げる。最後の事務長のため息は解せない。なんでよ、可愛いじゃん。
「こほん。これはカフェラテと言って、コーヒーとミルクを組み合わせた飲み物です。上に浮かんでいるロゴは、可食性の薄いシートに食用インクで絵付けしたものです」
「これは、食べても安全なのですね?」
事務長が興味深そうに覗き込む。
「はい。飲んでいるうちに、自然と溶けて混ざります。これはハンコで押したロゴですが、印刷できるように開発したら、もっと繊細な模様や文字も印刷できるようになるでしょう」
「ほう。これは面白い」
レオン会長が一口飲んで、目を輝かせた。
「温かいコーヒーに少し温い泡立てたミルク。不思議な組み合わせだが、これは美味いな。アイリスが帝国で独占権を欲しがっていたのはこの飲み物のためか」
「貴族の家紋を印刷したら、喜ばれそうですね。新しく作る貴族サロンにちょうどいい」
エトラ支店長がニッコリ笑う。
「古語で『幸運』や『繁栄』という文字を入れるのも良いでしょう。お茶会での話題になりそうです」
「おや、シートが溶けていく……これは面白い演出ですね」
ジャスジンさんも、珍しく楽しそうな表情を見せている。
「このシートの印刷が成功したら、飲み物だけでなく、お菓子にも応用できます。誕生日ケーキのメッセージプレートや、お茶会のお菓子に家紋を入れたり。ロールケーキやクッキーに模様を入れると可愛らしいんですよ。それに、薬の入れ物に服用時間や注意書きを印刷することもできます」
会長とエトラ支店長が顔を見合わせて頷く。
「それに、お子様向けのお菓子に物語の一場面を印刷したり、季節のお菓子に詩を入れたり。可能性は無限大です」
「幸運という文字を飲み干すというのは、船乗りにも受けそうだな。王都の貴族サロンだけでなく、一般販売も考えてもいいかもしれん」
確かに、ラテアートは貴族層だけに展開するのは勿体ないかもしれない。前世のアニメコラボショップで推しのラテアートに感動したあの気持ちは、全人類に味わってほしい。飲むのが勿体ない気持ち、飲み始めた時の罪悪感、崩れた推しを見る絶望感。うんうん。
「そうですね。でしたら。1年以内に可食インクの種類を増やして、金銀などは貴族専用にするのもいいかもしれません。そうすれば、サロンの特別感も保てると思います」
「金色の精密な家紋が印刷されたチョコレート……ふむ、大変、プライドをくすぐるでしょうね」
エトラ支店長の言葉に、私は深く頷いた。
「はい。王都支店の貴族向けサロンのオープニングの目玉商品にしたら良いですよね」
一瞬、静寂が流れる。
「と、いうことは?」
エトラ支店長が、片眉を上げて私の顔を覗き込んでくる。
「私……王都支店への異動を希望させていただきたいのです」
レオン会長はカップを置き、静かに微笑んだ。
「やっと言ってくれたな。お前の希望なんて聞かなくても、みんなわかってたんだぞ」
「え?」
「エトラは、お前が開発した新商品をすぐに試せる環境を整えろって、もう指示を出して物件を抑えている。ちゃんと調薬設備も入れる予定だ。ザイールは王都との流通網の見直しをしていた。トバだって、王都支店の予算を組み直し始めてるしな」
事務長が苦笑いしながら頷く。
「ジャスジンは、本人の希望もあって、王都支店の事務長に異動させることにしました。アイリスさんには、事務的にしっかりしたお守りが必要ですからね」
ジャスジンさんは笑顔で頷いた。
「アイリス、帝国でお前と同じものを見聞きした私には思いもつかない飲み物を、お前は帰ってきて直ぐに形にした。お前の才能は、もっと大きな場所で活かすべきだ。ソルディトは窮屈だったろう?」
「そんなことはありません! みんなソルディト本店のみんなが、私を育ててくれました。いろんなアイデアを形にする機会をくれて……本当に、本当に感謝しています」
思わず、目頭が熱くなる。
「だからこそ、もっと成長して、たくさんの人を笑顔にできる商品を作りたいです。王都に行って、新しいことにチャレンジして、この商会をエイレニアで一番の大商会にして、帝国のシュトラーゼ商会より大きくして、そして、そして……」
声が震えて言葉を続けられない。
レオン会長は嬉しそうに笑った。
「お前は、俺より欲張りかもしれんな。よし、異動の日取りは、トバにも相談して、きちんと準備を進めてくれ」
「アイリスさん。このカフェラテ、もう一杯いただけないでしょうか。そうですね、『千載一遇』という文字がいいですね。これから、王都支店は楽しくなりそうだ」
エトラ支店長が少し黒い笑顔で言う。
「私もおかわりだ。そうだな『一時預託』の文字がいいかな。アイリスはいずれソルディト本店に戻ってきてもらうしな」
レオン会長も、エトラ支店長に笑いかけながら空になったカップを差し出してきた。
「すぐにお持ちしますが……お2人とも私を商品みたいに扱わないでください!」
開発室に戻りながら、思わず笑ってしまった。まさか加食シートで牽制し合うとは。そんな面白い使い方もありかもしれない。
(テオ、これから出発までにすることリストを作らなきゃね。引き継ぎ事項は山ほどあるし)
『既にリストアップしております。引き継ぎ先は18件、引き継ぎ事項は、大きくは87件ですが、詳細な内容ですと319件──』
(マジか……見たくないかも。とりあえず、カフェラテの準備が先ね。みんなが待ってるし)
『では文字は、加食インクにペンをつけて用意しましょう』
「それと、帝国で見た新しい技術のメモも整理しておかないと。フォームドミルクの作り方も、誰でも簡単にできるように手順書を作らなきゃだわ。テオがいないなら温度確認も必要だし」
『アイリス様、一度に考えすぎです。順番に片付けていきましょう。2週間で引き継ぎと資料作成が終わるようにスケジュールを組みます。それから荷造りに2日、ヘルバに戻って王都へ送る荷物の確認、薬草採取、商工会への挨拶など往復の時間も入れて5日、もちろんソルディト図書館で未読の書物は全部データベース化する必要もありますね。これは5日はかかるでしょう』
思わず声に出して笑ってしまう。テオに任せておけば、どんなに大変なことも上手くいく未来しか見えない。いつだって、ちゃっかりデータ収集を組み込むことも忘れないし。
『アイリス様、スケジュールリストは既に200項目を超えております』
「えぇ!? そんなにあるの?」
『はい。まずは優先順位の高いものから。1.本日の幹部会議用のカフェラテ追加2杯。2.調薬室の引き継ぎ資料作成。3.開発中商品の整理──』
テオの声を聞きながら、コーヒーを淹れ始める。私の決断を、みんなが待っていてくれた。その信頼に応えられるよう、1つ1つ、きちんと準備していこう。
深めの青いカップにコーヒーを注ぎながら、私は次々と思いつくアイデアを口にする。
「そうだ、テオ。可食シートって、溶ける時間を調整できるよね? 何層かに分けて、飲むたびに次のメッセージが出てくるの、面白そうじゃない?」
『アイリス様、それは面白い発想ですね。層の間に空気を入れることで、速度を調整できそうです』
「うん。例えば、最初は『開運』、次は『商売繁盛』、最後は『万事如意』とか。縁起物として売れそうよね。あ、でも、そうすると製造工程が複雑になるから、これも貴族専用かな……」
『まずは王都支店のサロン向けに開発を進めましょう。製造方法が確立できれば、その後の展開も考えやすくなります』
フォームドミルクを注ぎ、古代文字で『繁栄』と入れたおかわりも事務長とジャスジンさんのために用意する。
「テオ、私って欲張りかな? 王都に行くのに、ソルディトの仕事も手放したくないって思ってる」
『アイリス様らしい欲張り方だと思います。商品開発への情熱が、この商会の発展を支えているのですから』
カップを載せたトレイを持って、会議室に戻る。レオン会長たちは、帝国出張の話で盛り上がっていた。
「ありがとう、アイリスさん。シュトラーゼ会長にお会いできたとはすごいですね。王都にもシュトラーゼの支店がありますから、挨拶に行きましょう。二日酔いが治るフラジェリーノも、もちろん王都支店でも販売できますよね? ちょうど支店の斜め前に空き店舗が出そうなんですよ。直営のカフェに改装してもいいかもしれませんね」
エトラ支店長の言葉に、レオン会長が言葉を挟む。
「飲食は、素人だと難しいぞ。アイリスは帝国で美容系の商品チェックをしていたから、薬草を使った美容サロンの方がいいかもしれない」
「ふむ、美容サロンですか。そこも貴族フロアと富裕層フロアをわけた方がいいですね」
「あの、お2人とも、まずは王都に慣れてからですよ。美容サロンのアイデアはありますが、しっかりした品質チェック体制を整えてからでないと無理ですって……」
事務長は資料に目を通しながら、静かに微笑んでいる。
「アイリスさん、ソルディトと王都を行き来する出張予算も確保しておきますからね。それから、新商品を思いついたら、具体化する前に必ず、絶対に、間違いなくジャスジンに話してくださいね」
『アイリス様、トバイアス事務長の目は笑っていません。お気をつけください』
みんなの期待が先走りすぎてる気がするけど、まぁ、期待されないよりいっか。
開発室に戻って、テオとタスクリストを確認する。引き継ぎ資料の作成、開発中商品の整理、新商品の企画書、特許申請の準備……やることは山積みだ。でも、不思議と重荷には感じない。
『アイリス様、準備は計画的に。本日のTo-Doリストはこちらです。着実に進めましょう』
「そうね。あ、でも、その前に可食シートの層を重ねる実験をしたい! 絶対面白いと思うの!」
『はぁ……。では、実験は15分だけです。その後、すぐに引き継ぎ資料の作成に入ります』
「えぇ、もう少し時間欲しいな。30分にして?」
『アイリス様、計画性を……』
窓の外では、春の陽射しが商会の石畳を明るく照らしていた。私の新しい挑戦は、こうして始まろうとしている。テオの言葉を半分聞き流しながら、私は早速実験の準備を始めていた。
『未来』 『希望』 『光り輝く明日』




