2-35 帝都買付出張(3)
会長たちは遅くまで飲んでたらしく、朝になっても起きてこなかった。おかげで誰にも邪魔されずに、ヨハンさんの図書室に引きこもることができた。さすがに最新の設計書は無いが、理論の研究論文などは揃っているし、各社のパンフレットもきれいに並べられている。
「凄い……この辺はかなり古いそう……貴重な技術書っぽいね」
『アイリス様、クロプ男爵家は、代々、機械技術マニアが多いようですね。男爵位でありながら上位貴族を押しのけて、工業省の若手トップキャリアという評価は、いかに実力主義な帝国でも異例のことでしょう』
「ヨハンさんって、技術に対してかなり貪欲だけど、思考は柔軟でリベラルな人って感じよね。貴族っぽくないし、研究者寄りの官僚って感じ」
『あ、アイリス様、そのままそこの20冊を、全部めくってください。その巻末付録の設計図も見やすく広げて……あ、あ、ゆっくり、丁寧にお願いいたします。ふむ、これは素晴らしいですね。とても50年前の設計とは思えません。 次は、右下の巻物を。ふむふむ。蒸気圧を利用した初期の自動制御装置の記録ですね。次は、左上段の蒸気機関の専門書を……』
予想通り、テオはデータマニア魂を炸裂させている。私は正直、機械にはあまり興味ないし、前世の知識もないので、はしゃぐテオに言われるまま、書物めくりマシーンになる。テオがデータを増やしたら、最終的に私の利益になる。Win-Winの共生だ。テオ君、頑張ってくれたまえ。
「それにしても、趣味で集めているって言ってたけど、これだけの資料を持っているのは凄いよね。専門機関の研究所並みだわ」
3時間以上はめくり続けているだろうか。途中の調薬機器の書物は私も目を通したけど、後はひたすらパラパラめくりマシーンだ。
『はい。興味深い書物が多いです。例えば、この記録装置の設計は、実現したら汎用性が高いです。百葉箱のデータも自動で記録できるようになるかもしれません。あと57冊お願いします』
「えぇぇ、お腹すいたし、もう指がカサカサだよ。会長の様子も見に行かなきゃ」
テオに文句を言っていると、ヨハンさんが顔を出した。
「アイリスさん、もうすぐお昼ですよ。よかったら、新しい装置をお見せしたいのですが」
ヨハンさんに案内された場所は、最新の設備が整ったキッチンだった。冷蔵庫や冷凍庫、ガスコンロ、あれは食器乾燥機かな? 見たことがあるけど、知っているのとはちょっと違う見た目の家電もどきが並んでいる。料理人2名で回しているようだ。
「これは私が開発に関わった、最新式の自動回転装置なんですよ! 材料を中に入れて、好みのカットサイズと撹拌時間を設定して、このレバーを回すと──」
スイッチを入れると、中の羽が上下に動きながら緩急をつけた回転を始めた。
『アイリス様、これはミキサーの進化系のような装置ですね』
(これなら、誰でも同じ品質のフラジェリーのが作れるかも。販売員の研修期間が短くできるわ!)
「ヨハンさん、これってもう販売されているんですか? 購入することは可能ですか??」
ヨハンさんに詰め寄っていると、やっとレオン会長たちが起きてきた。
「アイリス、……頭が痛い。……薬をくれ」
階段を降りてきたレオン会長は、明らかに二日酔いの様子だ。その後ろから来た、副会長とシャルルとジャンも、同じように顔色が悪い。
「ぷっ、皆さんひどい顔色ですね。ちょうどよかったです、二日酔いに効果があるフラジェリーノを作りますよ」
「えっ! アイリスさん作れるんですか? 昨年、ソルディトでいただいた紅芋のフラジェリーノが忘れられなかったんです! 二日酔いになったら飲めますか? なったことないんですけど!」
ヨハンさんが慌ててミキサーを抱きしめている。
「ヨハンさん、わざわざ二日酔いにならなくても大丈夫ですよ。そのミキサーをお借りしますね。あとは氷と牛乳と、何か果物はありますか?」
ミキサーに薬草、紅茶パウダー、はちみつ、青りんご、氷、牛乳、を入れ、スイッチを入れる。あっという間に出来上がったフラジェリーノに、会長たちが顔をしかめたまま口をつける。
「おぉ美味いな、これは! 冷たくて頭がスッキリする」
「アルコール分解作用がある解醒草と解毒作用がある爽涼草をブレンドしました。虹彩蜜で薬草の苦みをおさえているので飲みやすいはずです。青りんごの酸味も胃を刺激して働きを促進させるので、食事前の飲み物にピッタリなはずです!」
ヨハンさんも気に入ったらしい。ごくごく飲みながら、めっちゃいい笑顔になっている。
「そういえば、シルヴァークレスト商会の王都支店では、フラジェリーノとおしぼりをVIP対応に出していると聞きました。それは、是非、帝国支店でも取り入れたいですね。お客さまのお好みと体調に合わせたフラジェリーノを用意できたら、それだけで話題になりそうです」
「それはいいですね! 効能を書いたフラジェリーノのメニュー表を作って、お客様に選んでもらったらいいかもしれません。季節ごとにメニューを変えると、それ目当ての来店も増えそうですし、アレルギー対応などもしやすいです。ソルディトに帰ったら、早速、レシピ開発しますね」
「いやぁ、アイリスさんは頼もしいですね。楽しみにしていますよ。さぁ、皆さん、ランチにしましょう」
ヨハンさんはニコニコ笑顔のままで、出しっぱなしにしていたフラジェリーノの材料をそっと小皿に移している。成分分析をしたいのかな? ちゃっかりしてる。
「そう言えば、ヨハン。王都支店では、貴族専門の会員制サロンを検討しているんだが、帝国ではどうなんだ? 帝国の流儀に合わせた貴族対応のアレンジが必要だと思うが」
レオン会長が、軽いサンドイッチを食べながら話しかけると、ヨハンさんが考え込んでいる。
「そうですね、帝国でも貴族対応は注意が必要です。役所や研究所は実力主義で身分はあまり関係ありませんが、例えば高級なレストランは貴族しか利用できないところもまだまだあります。帝国支店も、客層によって対応を変える必要はあるでしょうね」
「ヨハンさん、高級レストランと普通のレストランは、内装や料理以外に違いはあるんですか?」
気になって聞いてみた。なんかすごい機械とかあるのかな?
「最近話題になっている貴族専用高級レストランは、音楽を演奏する小部屋があって、音を増幅させる管を使って全ての部屋に音楽を届けているらしいですよ。面白いでしょう? 増幅管のサンプルは宝物室にあるので、後でお見せしましょう」
『アイリス様、その音響システムは興味ありますね。音を増幅させる管があって、音楽の需要が高いなら、蓄音機の発明も近いかもしれません』
(ヨハンさん、色んな機密事項を知ってそうだけど、ほんとに帝都支店長に転職できるのかな? 帝国的にはヤバくない?)
『何らかの機密保持契約はさせられそうですね』
午後からは、ヨハンさんに案内されてショールームや工房、市場などを視察する。夕方からは、別行動をさせてもらい、帝都の商工会議所内にある特許閲覧室にこもって、全ページをスキャンめくりした。概要を見ても、専門的すぎて私にはわからないけど、テオは新しい発見に興奮している。
『アイリス様、この金属の変色は温度によって結晶構造が変化する現象で──』
「テオ、その説明は後でいいから。データベース化に集中して」
色々な素材や機器の存在は、今後の開発で大いに役に立ってくれるだろう。
そして帝都5日目。朝8時から21時まで、商談の嵐が続いた。予定の8つが15にまで膨れ上がり、事務長の右腕のヴィクトリアおじさんと私は疲れ果てていた。でも、残りの4人は『帝都最後の夜』だと、元気に夜の街に出て行った。
「アイリス、たまには一緒に行かないか?」
「カラオケがあるなら……あ、すみません、疲れすぎてボケてました。今日も先に休ませてください」
寝室で倒れ込むように横になり、明日の予定をタスク管理で確認していると、テオが珍しく遠慮気味な声で話しかけてきた。
『アイリス様、明日は午前の汽車で帰る予定ですが、母上のご実家を訪ねる時間くらいはありますが……』
お母さんの実家かぁ。母方の祖父母は亡くなっているが、母の兄、つまり私の伯父が帝都に住んでいることはわかっていた。けれど……
「いいえ、会う必要はないわ。両親が亡くなった後、葬式にも引き取りにも来なかった人に会う必要はないと思うの。アイリスなら、本来のこの身体のアイリスなら、会いたいと思ったのかもしれないけれど」
実家のことは、テオに全て調べてもらっていた。何か事情があったのだとしても、今の私には、無理にその関係を取り戻そうとは思えない。引き取られなかったからこそ、ヘルバで露店商として生きる道を選んだアイリス。その道があったからこそ、私は今の自分でいられるのだから。
起き上がって、1センチくらい土が盛り上がっている月ちゃんを眺める。帝都の月も静かに月ちゃんを照らしていた。
帝都出発の朝は早起きして、朝の市場へと向かった。昨日までの疲れは残っていたけれど、これが最後のチャンス。薬草売り場を見て回る。前回、購入して使えると思った薬草を中心に、ひたすら買い漁る。
朝市の帰りは遠回りして、お父さんが修行していたという有名な薬屋「シルバームーン・アポセカリー」に向かう。白と青を基調とした優美な建物は、今も変わらず帝都一の薬屋として名を馳せているという。でも、私は店の前を通り過ぎるだけにした。
足は自然と、飛行船事故の慰霊碑がある広場へと向かっていた。大理石の碑には、父の名前も刻まれている。24年前、偶然その場に居合わせた一人の調薬師として。英雄として。
『アイリス様、お父様の名前の横にある星印は、特別な功績のある方を示す印です』
「そう。でも父は、そんなことは考えていなかったはずよ。目の前で困っている人がいたから、助けただけ。それが、アイリスの記憶の中の父らしいわ」
指で名前をそっとなぞってから、私はヨハンさんの家に戻った。これで、帝国出張も終わり……と思っていたけど、帰りの機関車や船でも通訳させられて、テオに脳内で愚痴を垂れ流す。結局、本当の意味での休暇は、滞在中一日もなかったかもしれない。でも、見るもの聞くもの全てが新鮮で、刺激的な日々だった。
(そうだ、テオ。例の温度で色が変わる金属、どんな風に使えると思う?)
『それについては、3つの活用案を考えております。まず──』
船旅の間、テオと新しいアイデアについて語り合った。帝都で見つけた様々な技術を、どう活かせるか。テオは興奮気味に話し続け、私も新しいアイデアが次々と浮かんでくる。
ソルディトまでの長い帰り道。結局、商談がない時間も、仕事の事ばかり考えてしまうのは、もう諦めるしかない。ソルディトに帰ったら、希望異動先を伝えなくちゃね。




