2-33 帝都買付出張(1)
蒸気機関車の汽笛が轟き、水蒸気が立ち込める広大なターミナル駅に着いた。
(凄い……何回見てもリアルスチームパンクの世界だわ。ワクワクしちゃう!)
帝都は名実ともにこの世界一の科学と技術の最先端都市だ。5階建てのおしゃれな建物が街並みを作り、空には大小10機を超える飛行船が行きかっている。
(飛行船に乗ってみたかったなぁ……今回もゆっくりする時間はないけど)
『アイリス様、飛行船は半年以上前に予約しないと乗れません』
(やっぱ、人気なんだ。ソルディトまで飛んでくれたらいいのに)
『前世では、飛行船で大西洋1万キロを5日かけて横断した記録がありますが、この世界ではまだ最長850kmほどです。ソルディトまで3,200km以上ありますので、10年後くらいに期待されてはいかがでしょうか』
(早く技術力が発展してほしい。私じゃなくて、ライト兄弟が転生したらよかったのにね)
去年の呪い調査の出張を思い出す。図書館にこもりっきりの5日間だったが、今回も忙しい秒刻みのスケジュールの5日間で、のんびり観光する暇はなさそうだ。
ザイール副会長は移動中も、地図を広げて商談先を次々チェックしていた。彼の右腕の2人、シャルルとジャンも、実に頼りになる補佐で、両脇から情報を提供していた。事務長の右腕の丹念な仕事ぶりで有名な法務担当のジャスジンさんは、契約書の見直しや、商標登録の書類を作成している。私はそれぞれから、ルートを聞かれたり、計算したり、翻訳したりで忙しくお手伝いしていた。船の中で同乗していた商会と、2つも商談をまとめるレオン会長とザイール副会長は、とても息が合っていてさすがって感じだったが、全てに付き合わされる私は、到着前に少しこのメンバーにうんざりしていた。
「アイリス、あの建物はすごいな! さすが帝国だ」
レオン会長が、ガラスと鉄骨でできた、まるで宙に浮いているような美しい建物を指さす。途中階に吹き抜けの空中庭園が作られている、面白い建物だった。
『アイリス様、あちらは帝都の新しい商業施設、シャロン・ギャラリーです。帝国の最新技術が詰まった建築物で、特に採光と通気の設計が革新的だと言われています』
(テオ、この世界の建築データまで持ってるの?)
『前回の訪問時に、図書館で各専門分野の雑誌を数多くスキャンさせていただきました』
(流行情報は、やっぱり新聞雑誌チェックよね)
「お? あの髪型の人、違いないな。おーい、ヨハーン!」
駅を出て、キョロキョロと見渡しながらテオとおしゃべりしていると、レオン会長が大きな声を上げた。向こうの方で手を振る男性が見える。キラキラと輝く眼鏡をかけた、20代前半くらいに見える童顔の人だ。
「レオンさん、お久しぶりです! 皆様、ようこそ帝都へ!」
笑顔が可愛らしいチャーミングな人だが、騙されてはいけない。帝国の科学技術をまとめている工業省の若手トップキャリアで、かなり優秀な人だ。
「アイリスさん、この前はありがとうございました! 天気予報のシステムは、今や我が帝国でも注目の的ですよ。こちらでは、お見せいただいた百葉箱を、より精度が上がるよう改良しています。これを見てください」
私の前までやってきて、ポケットから図面を取り出す。挨拶もそこそこに、私に図面を見せ始めるヨハンさんに、レオン会長は呆れ顔だ。
「ほら、帝国工業省の開発した新型です! 中に温度補正装置をつけて、さらに正確な測定を実現しました。でも、まだ湿度計の精度に問題があって──」
『アイリス様、確かにこの百葉箱の設計は興味深いですが、湿度計の仕組みが古すぎます。私が提案している方式の方が──』
なぜか、テオも張り合うように説明を始めた。前世の理系の機械オタクの先輩と後輩を思い出す。議論し始めると、2人とも譲らないタイプだ。
「ヨハンさん、お会いできて嬉しいです。興味深い設計書ですね。後でゆっくり見せていただきますね。まずは、移動を──」
「いえいえ! アイリスさんに見せていただいた百葉箱が素晴らしすぎて。滑車を使った自記温度計の仕組みは天才的です。帝国工業省の技術者たちが負けられないと燃えています」
『うむ。なかなか先見の明があるお方ですね』
テオが、急に満足そうにしている。ウザい。
「あの、申し訳ありませんが、帝国工業省というと……?」
止まらないヨハンさんに、真面目な法務事務のジャスジンさんが話しかける。
「あ、すみません。ヨハン・クロプと申します。帝国工業省で技術開発のお仕事をしております」
工業省の役人? この可愛らしい人が? って、会長と私以外の初対面の人たちが驚いているのがわかる。もらった名刺と顔を何往復もしているが面白い。
「騙されるなよ。この男、33歳の工業省の次官補だぞ。それに、男爵家の跡取りでな」
レオン会長の言葉に、みんなが固まる。わかるわかる、私もビックリしたよ。科学技術を重要視する帝国で、工業省といえば他の役所より一段高い権力を持っている。
「ヨハン、それより、ホテルに案内してくれよ。まずは、荷物を起きたいんだ」
「ホテルなんて必要ありませんよ。うちに泊まっていただくように用意してます。あちらに、最新式の空調が聞いた馬車を停めてますので、皆様のお荷物を──」
「え? ヨハンの家なのか。頼むから、変な家具の実験は勘弁してくれよ? 前に泊めてくれた時の温かいベッドは暑すぎて汗まみれになったからな……」
おぉぉ、さすが機械オタク? ちょっと楽しみだ。
あれから2時間。レオン会長とザイール副会長とシャルルとジャンは、「馴染みの人たちに情報収集がてら挨拶してくる」と、さっさと出かけてしまった。ジャスジンさんは少し年配なので、疲れたと言いつつ部屋で書類チェックをしている。残された私は、タウンハウスの案内を申し出てくれたヨハンさんの後をついて歩いている。
「こちらが私の宝物庫なんです! どうぞ、見てください」
タウンハウス3階の一室は、まるで博物館のような空間だった。ガラスケースに収められた様々な機械。古いものから最新のものまで、美しく並べられている。宝物庫って宝石とか、絵画とかが収蔵されているはずでは……?
『アイリス様、これは大変興味深いです。この世界のテクノロジーの発達課程がわかりますね! これらの機械の多くは、20世紀初頭の技術に匹敵しますし、特に、あの計測器などは──』
「このオルゴール、素敵ですね」
テオはスルーだ。勝手にデータベース化してくれるだろう。
「そうなんです! 100年前の傑作なんですよ。東方の小国で作られたもので、大変エキゾチックな調べなんです。オルゴールをご存知なんですね」
「はい。このシリンダーの並び方は、とても良く考えられています。音と一緒に、ここの動物たちが踊る仕組みですね」
私が機械仕掛けに興味を持っているとわかると、ヨハンさんの目が輝いた。次々と色々な機械を見せてくれる。特にヴィンテージの時計のコレクションは見事だった。
「いやー、アイリスさんは何でもご存知だなぁ。屋上にも面白いものがあるんです。案内させてください」
屋上に案内されると、そこには小さな天体観測用のドームがあった。望遠鏡は、前世の高校の天文部で見たものよりも、かなり立派だ。
「帝都は夜でも明るくて、星の観測には向かないのですけどね。でも、一日の終わりに、ここで星を見ていると落ち着くんです」
ヨハンさんの声が、静かな声で独り言のように呟いた。
「爵位のおかげで工業省に入れたんですけど、派閥争いとか出世とか……レオンさんが羨ましいです」
「レオン会長は、ちょっと自由すぎますけどね。周りが大変なんですよ?」
「ははは、確かに。私がミスリア国に短期留学していた時に、レオンさんが仕入れの旅に来ていましてね。3年かけて12カ国を回っていて、戻ったら商会を立ち上げると、目を輝かせて語っていました。貴族で、あれだけ自分の人生を楽しんでいる人を私は知りません」
ヨハンさんも、好きな機械に携わる仕事をしているけど、役人をしているともどかしい事も多いのだろう。ってことはさ、めっちゃチャンスじゃない?
私は急いで部屋から秘密兵器を取ってきた。
「これ、私塾と共同開発した教材なんです。名刺のために印刷工房を作りましたが、それだけでは勿体ないので色々な製品を企画開発しています。自分のアイデアを形にしてお客様の笑顔を見られるのは、とてもやりがいがある仕事ですよ」
帝国バージョンの星座盤を、ヨハンさんに差し出す。
「これは! 季節ごとの星が正確に確認できる……なんて素晴らしい。ちゃんと帝都の空に合わせて、帝国語の星座にしてあるのですね。シルヴァークレスト商会は、本当に魅力的な商品が多いですね。これは、すぐに工業省に持っていかないと。教育庁もだな」
「ところで、ヨハンさん。シルヴァークレスト商会の帝都支店長をしませんか?」
「えっ?」
「うちの商会は、みんなの才能を活かすことを大切にしています。もちろん、工業省のお仕事は簡単には辞められないでしょうが、シルヴァークレスト商会をさらに発展させていくためには、ヨハンさんの知識と才能は絶対に必要です。いかがでしょうか?」
ヨハンさんは、一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに困ったような笑顔になった。
「アイリスさん、そんな大役、私には──」
その時、階段から声が聞こえた。
「いいじゃないか、ヨハン。商売は楽しいぞ」
レオン会長だった。早くも帰ってきていたようだ。
「でも、レオンさん。私には……」
「5年でいい。それで、もし合わないと思えば、役人に戻ればいい。フランチャイズを考えていたが、やはり帝国1号店は直営の方がありがたい。1号店が落ち着いたら、帝国内にフランチャイズでシルヴァークレスト商会の支店を増やす権利も与えよう」
「フラン、チャイズ?」
「ああ、アイリスが考えた新しい商売の仕組みだ。名刺もおしぼりも、ティーバッグ式の薬草茶も、全部アイリスのアイディアなんだ。お前たちが組んだら、もっと面白いものを作れるはずだぞ」
「アイリスさんが? 天気予報システムだけでも画期的なのに、他にも……でも新しい百葉箱も、書類まみれのうんざりな役所より早く設置できるかもしれない。名刺の印刷も改良したい所があるし、あのエンボス加工は、僕が改良すれば同時に箔押しもできるはずなんだ──」
話が進むにつれて、徐々にヨハンさんの目が輝いてくる。口も悪くなってきたが。ついに、彼は小さく頷いた。
「レオンさん、やってみたいです」
レオン会長は満面の笑顔で、ヨハンさんの肩を抱いて握手した。
翌日、私たちは早速、支店の物件探しに出た。帝都の中心から少し離れた商業地区。電車通りに面した4階建てのビルは、1階に高級文房具店が入っている。その店主が引退するため、建物ごと売りに出されているのだという。
「ここなら、工業省にも近いですし、商業地区の中心からも遠すぎないが、帝国最大手のシュトラーゼ商会とは離れている」
ヨハンさんは、慣れた様子で物件の説明をしていく。文房具店の2階は、商談室と倉庫。3・4階は店主の居住スペースだった。
「改装すれば、1・2・3階を店舗に、4階は応接室と事務室にできます。地下もあるので、そこに印刷工房を作れば騒音の問題も解決しそうです。あ、あの新しい吸音素材を使えるな」
レオン会長は、うなずきながら耳を傾けている。事務長の右腕のジャスジンさんは、既に改装費用の計算を始めていた。
物件は即決で決まった。フランチャイズの打ち合わせや根回しが必要なくなったことで、今日の予定は随分と早く終わってしまう。
「アイリスさん、皇立図書館に行きたいのですよね? これ、工業省の紹介状です」
ヨハンさんの申し出に、目を輝かせる。商談の予定は明日からびっしりだ。今日、行けるなら嬉しい。テオのソワソワした気配が伝わってくる。
「ありがとうございます! では、失礼します」
『アイリス様、1年で新刊が3,823冊も増えているはずです。効率的に回るためには、3階奥の最新科学技術論文から始めて、特別室に──』
(テオ、落ち着いて。閉館まで5時間のRTAよ!)
春の陽射しの中、私は図書館に向かって走り出した。帝都の街はさらに活気に満ちているように見える。商会の支店ができれば、きっと面白いことになりそうだ。次こそは、飛行船の予約をしてから来たい。そんなことを考えながら、石畳の通りをかけて行った。




